北領の魔王と世界の事1-1
土地には限りがある。
世界の端から端まで、人の足でも何年か時間をつぎ込めば、必ず踏破することが出来るだろう。
翼あるものであれば、なお早く行き来できるかもしれない。
地図を広げてみたことはあるだろうか。
地図の書かれた紙は四角く、その中央に大きな人間の王達が支配する大陸がひとつあり、右に大陸の3分の2ほどの大きさの魔の王たちが支配する島がひとつ。そして、それらの外を大小さまざまな島の浮いた大海が囲う。
大陸の端を見たものならば多くいるが、海の向こうを見た人間はいまだに存在しないだろう。
土地には限りがある。
だが、地図の紙のように、『世界』に『限り』は存在するのだろうか。
私は、それを知る術を持たない。
唯一知り得る者が在るのだとすれば、それは、神のような存在か、もしくは……
「ライト・ブレーメン著 『レキサンドラ歴史考』より」
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私は、『北の魔王』と呼ばれている。獣人であり、性別は男である。
世界の大部分の土地を支配している人間種族たちから、『魔族領』として認定されている地域、その北部分を、中央にいらっしゃる大魔王様より領地として拝領している。領民はさまざまな獣人、魔人(妖精種族やエルフ族などもこちらに所属する)といった種族が主だ。
『魔王』と言っても、私の治める地はあまり豊かではなく、他の魔王の治める領地に比べれば華やかさの欠片もない。
もちろん、それは私の不徳のいたすところであるのだから、誰に文句を言うことも出来ない。むしろ、反省し精進せねばならないところであろう。
そんな私は、他の魔王たちには遠く及ばぬほどに脆弱で、権力も無ければ魔力も上手く扱えない若輩であり、よって彼らからも彼らの領民からも下に見られ、私の領民たちには肩身の狭い思いをさせてしまっている。
さて、獣人と聞いて、どういった容貌のものを想像するだろうか。
毛の生えた獣と人の中間を思い浮かべるかもしれない。
しかし、残念なお知らせで申し訳ないが、実は半魚人も獣人に含まれる。
そう。
私の種は、魚である。
人と、魚類の中間の姿だ。
ああ、言っておくが、人魚の方を思い浮かべないでほしい。
私の姿は簡単に言えば、『魚に人間の足が生えた』ような容貌を思い浮かべていただきたい。
足がなくては陸に上がれないだろう。足は大事だ。
もちろん、両腕も大事だ。机上の書き物が出来ないからな。
ああ、わかっている。わかっているとも。
だいぶ残念な姿だということは。
しかし、これにはわけがある。
私が未熟で、完全な人型にうまく切り替えが出来ないのだ。
このあたりの話をするには、私の生い立ちから話さねばならない。
私は、今でこそ『北の魔王』と呼ばれ、その地位についてはいるが、もともとは人間であった。
もちろん、人間が魚人に変化するなんてことは、並大抵の事ではありえない。
私をこの世界に誕生せしめた存在は、今の私と同じ、魚人の夫婦であった。
魚人同士の夫婦から、まさか犬の獣人は生まれまい。もちろん、私は彼らにそっくりな魚人の赤子だったとも。
魚人の子は卵で生まれ、卵から出た直後から幼少期は浅瀬で完全な魚の形態で過ごす。卵はどちらかというとイクラのような魚卵系の形態はしていない。形としては同じではあるが、魚人の卵は岩より硬く、深い藍色の球体をしており、まるで宝石だ。
事実、魚玉と呼ばれ、高級な宝玉として取引されるため、乱獲され一時魚人の数が相当数激減した時代もあったそうだ。
話を戻そう。
まさしく、玉のような赤子としてかわいらしく生まれた私であったのだが、ここでひとつ問題があった。
玉のような赤子として生まれる以前、一人の人間の男として生きていた……という、前世の記憶を持っていたのだ。それも、地球という球体の星、その中の日本という国で生きていた記憶だ。
今いるこの世界とはまったく違う世界での記憶。
それは転生と呼ばれるものだったのだろう。それまで、かわいい娘2人と、気の置けない奥さんと共に過ごしていた私は、混乱して発狂しかけた。
今になって思えば、そんな幸せだった記憶しか残っていないが、おそらくは天寿を全うした後に転生したのだろうと思える。記憶の片隅に、孫たちにお年玉をあげた風景や、大事な誰かの葬式で喪主をしたような映像、そして、視界を埋める白い天井とカーテンの絵がこびりついている。
とはいえ、ある程度時を経てわかる、といった程度である。
私は長らくの間、魚人である自分を否定し、さらに、前世で見た洋画のような明らかにファンタジーな世界を否定した。
そんなわけで、私の成長は他の同世代の魚人たちに比べすこぶる遅かった。
両親はとてもおおらかな人たちで、私の異常性を理解しつつも一人で生きていけるように成長するまでを共に過ごしてくれた。
やがて、こうなってしまっては私の意志ではどうにもならないのだ、ということを諦めと共に理解した私は、やっと、自分と言う存在を認め、少しずつ世界になじむ努力をし始めた。
魚人と呼ばれるだけあって、両親は魚でありながら人であった。
水中に居る時には魚の姿であったり、体の大部分が水中の移動に適した形に変化したが、陸地に上がると完全な人型となり生活していたのだ。
魚というより蛙……両生類? と、つっこんだ幼少期。いまや、元いた世界のほうが私にとっては異世界であるが、そちらの世界にいる私の身内や友人にこの私の葛藤というか、もやもやした感じを伝えても、きっと責められはしまい。
なぜ魚人たちが陸に上がるのかといえば、もともと、『魚人』の名のとおり、人の性質も併せ持っている種である。一生を水中で過ごすことは出来ないという習性があるのだ。
私の元の故郷、地球で得た知識に在る魚人の知識とは相違している。娘と共に見たアニメ映画の人魚は、一生を水で過ごしても差し支えない、むしろ、水の中でしか生きられない種だったはずだ。
とはいえ、水の中でずっと生きられないのは、地球にいた鯨のような哺乳類と違い、空気がなければいけないだとか、そういう理由ではないようだ。
魚人として成人を迎えると、なぜか長い時間魚の形でいることが苦痛となりはじめ、人の形をとる。人の形になれば水中では完全な魚の形態である時よりも動きにくくなり、さらに、人としての欲求が生まれ陸に上がり生活をするようになる。
このような習性は、魚人という存在が生まれもっての本能であるとも言われているが、先に述べたように、魚玉を乱獲する者たちが増えたことが原因で、陸上に上がり、魚人であることを隠して生きるようになったのが始まりではないかとも言われている。だが、今となっては、乱獲されたのが先なのか、そういう性質を持ってもともと生まれた種なのかという事を論じることは難しい。遥か昔の出来事であるのだ。
実は、魚玉の状態、もしくは魚の姿で過ごす幼生体の魚人は、その時期必ず陸のそばの浅瀬でなければ生きていけない。
これは、どうやら太陽の光と月の光を浴びなければ成長が出来ないという性質であるためらしい。
太陽も月も、この世界では天体という概念はなく、神秘的な力の塊であるとか、神の化身であるというような認識であるようだ。ただ、光だけ浴びればいいというものではないらしく、浅瀬以外で魚人が育ったという話は今までに無いようだ。人としての性質が邪魔をしているのだろうといわれている。
卵を乱獲されはじめる前も、その後も、魚人は水中で卵を両親が守り育てていた。水中では最強の誉れ高い魚人である。子育ての時期には半人半魚の状態で水中に戻り、子供たちを守り続ける。魚玉を狙うものたちは、次第に警戒心を強めた魚人から卵を得ることが難しくなっていったが、それでも巧妙な手口で魚玉を奪うものは後を絶たない。
幼いころは浅瀬でしか生きていけず、成人すれば必ず陸に上がらなければならない欲求が襲うという性質がなければ、魚人はもっとその数を増やし、もしかしたら世界を支配する種族になっていたかもしれない。
なぜなら、『陸』に対して圧倒的に『海』が広いからである。
大陸から離れ、ずっとずっと遠くの海で子育てが出来たなら、魚人たちだけのネットワークが生まれ国が出来、世界の海を支配できたのではないだろうか。
とはいえ、現実にそうなっていないのだから、世界というのはうまく出来ている。
どうやら、海をずっと進んでいくと、月も太陽も届かない所へ出てしまうらしい。
私はまだ見たことが無いのだが、その先には陸が無いのだという。
太陽と月以外に、陸が必ず必要である魚人の成育。
海は、魚人にとって揺り篭でありながら、やがては巣立ちを促す、優しくも厳しい存在なのである。
陸に上がらなければならない魚人たち。この世界を作った存在は、『大陸の外』に『知恵ある生き物』を存在させることを拒んでいるのかもしれない。
もしくは……成人すれば人の姿になるのは、他の獣人たちも同じであり……私が異世界の人間としての意識を残しているから感じることなのかもしれないが、もしかしたなら、種族の違う獣人同士での婚姻が実際にあることを考えれば、そうして新しい『種』を作り出すための交配実験でもしているのではないかと思わせる。
現在は、獣人の血が混じれば互いの特徴が半減し、人としての部分が強調され、力強さや魔力は逆に弱まってしまう。だが、それでも。代を重ねていけば、いずれは純血種を超える者が、自らのリミッターを外せる存在が現れるかもしれない。
同種同士の婚姻しか認められなかった時代が長く続いたため、私がそれを実際に見ることはかなわないかもしれないが、そうした未来があるのなら、半人半獣が、世界の最大勢力である人間種族に次ぐ勢力であるという意味も理解できる、……かもしれない。
『大陸』とは、造物主による『箱庭』、……いや、『実験施設』もしくは、『牢獄』なのではなかろうかと、私は思う。
さて、話がどうも意図せず私の妄想含む世界規模なものになってきた。もう一度話を戻そう。