最後の信号
宇宙船タロスは火星と木星の間の小惑星地帯、アステロイドベルトの空間で、メインエンジンに小惑星が衝突し、航行不能になった。搭乗員は脱出カプセルに乗り移り、母船は放棄された。
タロスには三人の宇宙飛行士が乗っていた。船長のシュミット、そしてグレンとヒロキの二人の飛行士である。最初のうちこそ三人は助かる方策を議論したが、いくら議論しても酸素の残量が少ない事実には変わりない。
グレン飛行士が言った。
「やめよう。議論している間にも二酸化炭素が蓄積している」
船長が口を開いた。
「宇宙服のボンベの中の酸素残量は六時間だ。この脱出カプセルの酸素残量も同じくらいだ。なるたけ持たせる為には余計な活動をしないことだ」
二酸化炭素はそうしてる間にも蓄積される。濾過する装置のバッテリーも危うい。
ヒロキ飛行士がおそるおそる言う。
「この脱出カプセルで一番近接したステーションまで飛行しては?」
船長は首を振った。
「無駄だ。このカプセルの搭載燃料はそこまでない。このカプセルは救助船を待つまでの緊急避難の為の船だ」
「救助船は近くまできているが、こちらの座標が確定できてないだろう。それまで酸素が持つか……」
続けて言ったグレン飛行士の言葉が、狭いカプセル内に重く響いた。
計器盤がオレンジ色に点滅している。二酸化炭素の濾過システムの稼働を示していた。
再びシュミット船長が言う。
「ここでは三人の生存に潤沢な酸素はない。残されたのは、二人が六時間生き延びられるだけの量のカプセルの酸素と宇宙服のボンベの残量。それも、カプセルの二酸化炭素除去装置のバッテリーが持てばの話だ」
「なんとかならないんですか!」
ヒロキが興奮して言うと、
「……落ち着け」
シュミット船長が、喘ぐような呼吸を整えながら口を開いた。
「酸素残量はあと六時間だ。少しでも持たせるには、余計な活動をしないことだ。脳を休ませろ」
だが、沈黙は疑心暗鬼を生む。刻々と時間だけが経過した。
カプセルの隅で、若い飛行士のヒロキが肩を震わせていた。彼は二人の先輩を見比べ、 やがて視線を足元に落とした。
数分後、静寂を破ったのは衝撃音だった。
「何をする、ヒロキ!」
「すみません……死にたくないんです!」
ヒロキは狂ったように叫び、手近にあった工具を振り回した。疲労で朦朧としていた船長とグレンは、抵抗する間もなくハッチ付近へと押しやられる。ヒロキは二人の宇宙服のヘルメットを無理やりロックすると、自分の宇宙服はカプセルのフックに固定し、手動レバーを引いてハッチを開けた。酸素の奔流が船長とグレンを、押し流す。
「さようなら!」
激しい排気音とともに二人の体は宇宙の暗闇へと放り出された。
一人残されたヒロキは、ハッチを閉めると、タンクの弁を開き、カプセルの中を酸素で満たした。このとき、呼吸を渇望していたヒロキは窒素との混合気ではなく、酸素を百パーセントの濃度いっぱいにした。荒い息をしながらシートに倒れ込んだ。
これで酸素は独占できる。救助が来るまで、なんとか持たせられる筈だ。
「俺が、生き残るんだ……」
カプセルの内部はタンクの弁が開かれたことにより、充分な酸素で満たされた。ヒロキはヘルメットを取ると、深い深呼吸をした。地球へ帰れる。俺は生きている、とヒロキは生きる喜びの感情でいっぱいになった。しかし、その歓喜は一瞬で凍りついた。
カプセルが激しく振動したのだ。ヒロキは気づかなかったが、そのとき、小惑星とも呼べない数センチ程の、この宇宙では珍しくもないニッケルを含んだ岩石のかけらが、真空の空間を飛び高速でカプセルの外郭を貫いた。その数センチのかけらの勢いは、船体内部の電源ケーブルをちぎってショートさせた。火花は充満した純粋酸素に引火した。
ヒロキが、あっ、と声を発し、苦痛を感じる間もない瞬間、カプセルは凄まじい勢いで爆発した。機体は原形をとどめることもなく粉々に砕け、破片は四散した。
宇宙空間の離れた位置で二人の飛行士は、その一部始終を目撃していた。宇宙服の窒素ガスを噴射して、身体のバランスをとり、相互に近づいていた。
彼らは皮肉にも、カプセルの爆発に巻き込まれない距離まで遠ざけられていた。
シュミット船長が通話器で言った。
「カプセルに残っていたら、われわれも宇宙の藻屑になっていたところだ……」
「ヒロキにわれわれは助けられたということでしょうか……」
グレンが応えた。
すると、二人のヘルメットのバイザーに突然、光が射した。離れた空間に複数の輝きが見えた。救助船の探照灯だった。白い大型の船は二人にゆっくりと近づいてきた。
カプセルの爆発の閃光が位置測定の目印の信号となった。救助船は減速して近づいてくる。皮肉にも、仲間を裏切った男の最後の行為によって二人の飛行士は助けられた。
シュミット船長は言った。
「ヒロキは宇宙飛行士としては適任を欠いていたが、最後に最高の信号弾になってくれたな……」
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