《第3章 第2話 ひよりの残響》
桜咲学園の屋上に、春の風が吹き抜けた。
夕暮れの光は、金色に染まりながら古い手すりを照らしている。
月城朋広はその場に立ち、両手で欄干を掴んだまま、静かに目を閉じた。
――あの日、桐生ひよりが消えた場所。
彼女の“残響”がまだ残っているように、空気が柔らかく震えている。
耳を澄ますと、微かに声が聴こえた。
『……朋広、風の中にいるよ。』
声ではない。
心の中で、桜の花びらが散るように響いた。
ひよりの想いが、まだ世界のどこかに漂っている。
「……ひより。」
その名を呼ぶと、ふと足元に影が射した。
校舎の階段を上ってきた少女――
あの夜に現れた“継承体”が、穏やかに立っていた。
「あなた、ここに来ると思っていました。」
彼女は風に髪を揺らしながら、ひよりと同じ微笑みを浮かべた。
朋広は胸の奥が締めつけられる。
「……お前の中に、ひよりの声が残ってるんだろ?」
「ええ。時々、夢の中で彼女が囁くの。
“朋広の傍にいて”って。」
その言葉に、朋広の視界が滲む。
夢の中でも、彼女は自分を導こうとしていたのか。
少女は手を差し出した。
その掌には、淡く光る花びらが乗っている。
「これが……“残響”。
彼女の心のかけら。」
朋広が触れると、暖かさが指先に流れた。
――記憶。
あの日、桜の下で見た笑顔。
桜吹雪の中で交わした約束。
「……夢でも幻でもいい。
もう一度、あの桜の下で――」
朋広が言い終える前に、風が巻き起こった。
校舎の上空から光の花びらが降り注ぐ。
屋上が、まるで春の結界に包まれたように輝いた。
少女の瞳が淡く光り、口元が震える。
「朋広さん……これが、ひよりさんの“最後の記憶”です。」
その瞬間、朋広の視界が反転した。
――あの春の日。
桜の下、ひよりが笑っている。
「ねぇ、朋広。
人は死んだら、記憶になるのかな?」
「……そんなこと、考えるなよ。」
「でもね、もしそうなら、私はあなたの心の中に残りたい。」
そして、微笑む。
あの日の声が、今も心臓に焼き付いていた。
現実に戻ると、少女は静かに涙を流していた。
「……彼女の想いが、あなたの中に完全に繋がりました。」
朋広は目を閉じ、頷く。
「ひより、お前は確かにここにいる。」
風が止み、桜の花びらが一枚、彼の肩に落ちた。
それはもう、ただの花びらではなかった。
“命の形”として彼に継承された、愛の記憶だった。
朋広は空を見上げ、静かに呟いた。
「俺は、この記憶を――絶対に散らさない。」




