戦闘
「慌てないで! こちらから逃げてください、大きな荷物は後で取りに来ればいいですから、とにかく急いでここから離れて!」
イルゼ達と別れ、逃げ惑う人々を誘導して回りながら、フランクは笛の音に耳を澄ませた。
災龍用の笛は小指ほどの大きさだが、石造りの街を駆け抜け、遠くまでよく響く。
鳴らし方にはパターンがあり、遠くにいても指示や状況を伝えることができるものだ。
「災龍が今いるのは南区のトラント広場か。上手く誘い出したな」
建物が並ぶエリアで暴れ回るのは得策ではない。
対災龍の戦闘には、大きな広場を使うのがセオリーだ。そして、災龍討伐は月ごとに担当部隊が決まっている。
「今月の担当は青鷲隊……お手並み拝見、だな」
青鷲隊が得意とするのは、弓矢や槍などの遠距離用の武器だ。ちなみに、赤狼隊はトラップを仕掛ける罠戦術、黒鹿隊は剣や斧を使った接近戦、白鯨隊は接近戦及び毒物を得意とする。
早足にトラント広場に向かいながら、フランクは荒くなった息を整えた。
情報収集部所属のフランクは戦闘員ではない。
だが、災龍には昔、妹を殺された。
災龍は、絶対に見逃してはいけない敵だ。
フランクにできるのは、せいぜい避難者の誘導くらいだ。
せめてその役目を全うすべく、フランクは戦闘の中心地へと走った。
黒みがかった紫紺色の鱗が、のそりと動くたびにぎらぎらと光る。
人の頭ほどもあるぎょろりとした目玉は上下左右に油断なく動き、蝙蝠のような羽がばたばたと耳障りな音を立てる。
四本脚のさきにある黒光りする鉤爪の大きさは人の腕ほどもあり、前に進むたびに石の地面をがりがりとひっかいた。
八ヶ月ぶりの災龍は、前回現れた災龍に比べてやや小型だった。
だが、それでも破壊力は人間の比ではない。
災龍は頭と尾を振り回し、暴れている。
円を描くように配置された青鷲隊の弓矢部隊が一斉に矢を放つ。
災龍でも噛み砕けない燈眼石の矢じりは、災龍の堅い鱗をも貫通する。
地鳴りのような悲鳴を上げて、災龍がのた打ち回った。
一閃、金色の髪をなびかせ、身を低くした女騎士が災龍に走り寄る。
襲い来る災龍の尻尾をかわし、降り注ぐ矢を避け、女騎士は災龍の右目に剣を突き刺した。
災龍の悲鳴が広場に響き渡った。
その隙に、大柄な騎士が長槍を振り回し、左後ろ足を切りつける。
硬質な光を放つ黒い爪が、風を斬って大柄な騎士に襲いかかる。
けれど、幾筋もの矢が先にその足を貫いた。
好奇心に駆られて災龍討伐を覗こうとする民を押さえながら、フランクは安堵した。
青鷲隊の動きは完璧だ。
騎士団は、伊達に長い歴史を積み重ねてはいない。
災龍の死骸は情報収集部の騎士達があらゆる記録を取った後、始末屋と呼ばれる民間の業者に下げ渡され、皮も、牙も、爪も、加工して日用品や装飾品に生まれ変わらせる。
体から幾筋もの血を流した災龍の命は、もう間もなく消えるだろう。
野次馬達も勝負の行方に希望を見出したのか、お喋りの声が大きくなってきた。
そのとき。
人の波を押さえていたフランクの右側から、水色の小さなボールが広場へと転がり出た。
はっとする間もなく、五歳くらいの子供が一心にボールだけを見て、走り出てくる。
「危ないっ」
フランクは、反射的に地面を蹴った。
その瞬間、ぎょろりとした災龍の瞳が弱き者を捕えた。
広場の中心から四つ足で一気に加速した災龍が、息を二つ吸う間もなく目前に迫る。
フランクは手を伸ばし、子供を救い上げた。
災龍の牙が。
ちらちらと伸びた赤い舌が。
鋭い爪が。
熱い息が。
子供を抱えたフランクに間近に迫る。
踵を返す、時間がない。
片目を潰され、体中を傷つけられ、怒り狂った災龍の生臭いにおいが届く。
跪いたフランクは、子供を己の体で守るようにぎゅっと抱きしめ、災龍に背を向けた。
逃げ出した群衆の悲鳴が、広場にこだまする。
だが。
災龍はいつまでたっても襲ってこなかった。
おそるおそる振り返ると、肩で息をする金髪の女騎士が、血濡れになった長剣で災龍の後ろ足の腱を切り裂いていた。そして次の瞬間、災龍の首に深々と矢がつき刺さる。
どう、と音を立てて災龍の体が石畳の上に沈んだ。
強烈な血の臭いが、辺りに漂う。
動かなければ巨大な怪物は単なる置物だ。
金髪の騎士は高々と剣を空に掲げた。
息をひそめていた人々は勝利を確信し、歓喜に沸いた。
ヘルツフェルト王国騎士団が勝ったのだ。
残り2話です。




