調査
南区は今日も、多くの人で賑わっていた。
青い空は高く澄み、白や黄色の小鳥達が屋根の上を飛び跳ねている。石造りの街を軽い足取りで行き交う人々は楽しげで、旅行客は道の両側にずらりと並んだ屋台を覗き込んでいる。陽気なオルガンの音に合わせてステップを踏む者達もいて、道端に咲く可憐な花も笑っているかのように揺れている。
だが、いつもの地味な装いで町を歩くフランクにとっては、楽しげな音楽も、屋台から漂う食べ物の芳しい匂いも、すべてが余所事だった。
「いくら調べても、ブラント隊長の秘密なんか出てこない……」
四角く重ねられた石畳を睨みながら、ため息交じりに呟く。
短い黒髪があちこちに跳ね、目の下にはうっすらと隈ができている。
バーデン隊長に罵声を浴びせられてから、二日が経った。
騎士団の事務仕事を行う王宮の宰相執務室に行って、イルゼの来歴が知りたいと申し出てみた。
出てきた資料には「ブラント伯爵家長女・ノルデン騎士養成学校卒業・女性・ヘルツフェルト暦三百二十八年盾の月生まれ・青鷲隊隊長」という普通の情報しか載っていなかった。
これ以上の情報はないのかと問うと、女性職員に胡乱な眼差しで「申請理由は?」と逆に聞かれた。
まさか「バーデン隊長がブラント隊長の人気に嫉妬していて、弱みを握って来いと言われているからですー」なんて言えず、フランクはすごすごと王宮を後にした。
次の手を考えなければならない。
「次……青鷲隊の副隊長に聞いてみる、か」
口に出して呟けば、それが最善のような気がした。というか、他にイルゼに繋がる伝手がない。
騎士団は基本的に他の隊との交流がない。けれど、副隊長は先日の騎士団長会議で、会議が始まる前に少し世間話をした。
親しい仲と言えるほどの交流にはならなかったが、厳つい見た目に反して穏やかな性格だったと記憶している。
そうと決まれば行動あるのみ。
フランクは足早に、この町で一番お酒の種類が多い「夢揚亭」へと向かった。短い世間話の中に、酒好きだという情報が含まれていたからだ。
案の定、青鷲隊副隊長はテラス席でジョッキを傾けていた。
フランクはほっとしながら夢揚亭のドアを潜る。
昼食時ということもあり、明るい店内は大いに繁盛していた。
近づいてきた店員にことわりを入れ、フランクは副隊長のもとへ向かう。
「こんにちは、ライムント副隊長」
「おお、君は赤狼隊の……」
「フランク・ルーマンです」
「そうだ、フランクだ。まあ、座れ。酒でも飲むか。今日は良い日だ、奢ってやるぞ」
顔を上げたライムントは上機嫌に笑って、ごつい手のひらで隣の椅子をばんばんと叩いた。
熊のように大きな体、もじゃもじゃとした赤毛に、同じくもじゃもじゃの顎髭。見た目は山で木を切る樵のようだが、本来の彼は長槍の扱いに長けた実力者だ。
お言葉に甘えて、フランクはさっとライムントの正面の椅子を引く。
「良い日って、何か良いことでも?」
近づいてきたウェイトレスに軽い酒とイカのフライを頼み、料金を渡して、ライムントを窺い見た。
場合によっては祝い酒を追加注文しなければ。
「俺の娘が俺にハイタッチしてくれた」
「……娘さん、おいくつですか」
「二歳だ。めちゃくちゃ可愛い」
「良かったですねえ」
至極真面目な顔の相手に、フランクは微笑みを浮かべて頷いた。
自然な笑顔だったかどうかは自信がない。愛妻家だと聞いたことはあるが、親バカだというのは初めて知った。
「まあ、飲め。娘を全力で褒め称えていたら、妻からとりあえず外で頭を冷やして来いと言われたのでな。酒を飲んでいるところだ」
酒を飲んでも頭は冷えないと思うが、そこは突っ込んではいけないところだろう。
テーブルの上には、華リンゴの飾り切りや、リシュルという小麦で作った辛いパン、香辛料の効いた牛肉の炒めなど、酒のつまみになりそうな料理が並んでいた。たくさん飲む男は、たくさん食べるようだ。
ライムントは酒を飲みながら、フランクを見た。
「今日はどうした。珍しいな、俺に話しかけるなんて」
「非番で歩いていたら、ちょうどお見かけしたので」
運ばれてきた木製のジョッキを掲げると、すかさずライムントが自分のジョッキをぶつけてきた。
満員御礼の店の中、がんっという小気味よい音が耳に響く。
フランクはウェイトレスが運んできたイカのフライをつまみながら、どうやってイルゼの弱点を探るかを考えた。
相手はイルゼの腹心だ。警戒心を抱かせるのだけは避けたい。
「ライムント副隊長も非番ですか? 青鷲隊の騎士が巡回しているのを見かけましたが」
「おう。昨日、いやもう今日になっていたが、夜中に酔っ払いが集団で暴れやがって、調書を取ったりゴミを片づけたりするのに朝方までかかったんだ」
「もしかして徹夜ですか」
「寝てねえが、別に困らねえ。昼間から酒が飲めてラッキーなだけだ」
平然としたライムントは、少しの寝不足も感じさせない。いったい、いつからここに座って飲んでいるのだろう。
フランクに言えるのは一言だけ。
「お体に気を付けてくださいね……」
ライムントはちっと舌打ちをした。
「イルゼと同じことを言いやがる。いいんだよ、俺の家系は代々酒が強いんだ。俺の祖父なんか死に水も酒だった。大丈夫、心配すんな」
心配するほどの仲ではないが、ちょうどいい具合にイルゼの名前を出してくれた。
フランクは芳しい香りがする桃の酒を一口飲んで、何気なさを装いつつ口を開いた。
「そういえば、ブラント隊長とライムント副隊長は長い付き合いなのですか」
ライムントは、揚げたジャガイモを口に放り込みながら、軽く頷く。
「そうだな。あいつが騎士団に入ったころからの付き合いか。最初の頃は生意気な目をしたガキで可愛げのかけらもなかったが、今はまあ、よくやってるよ。あいつが弱音を吐くところを見たことがない。意地っ張りなんだな」
けなしている口調で、しかしその表情は信頼の情で満ちている。上官と部下として、きちんとコミュニケーションが取れているのだろう。
片や自分は……と考えそうになって、フランクは急いで思考を打ち切った。今は仕事をしない豚……バーデン隊長なんかを思い出している場合ではない。
「そうなんですか? ブラント隊長って、誰にでも親切な方なので、意外です」
「騙されるな。あれは怖え女だぞ」
鼻で笑ったライムントがわざとらしく大きな体を震わすものだから、フランクは思わず笑ってしまった。
そのとき。
「誰が怖いって?」
不意に軽やかな声がした。
フランクとライムントは何気なく声のした方を向いて、同時に「うわ」と声を上げる。
「フランク・ルーマン、また会ったな」
「こ、この間ぶりです……」
出入り口のある右側から現れたのは、群青色の騎士団の制服を纏った金髪の麗人。
ただそこにいるだけで夢揚亭の客の視線を集めているのは、イルゼ・ブラントその人だ。
まさかまた、顔を合わせるとは思わなかった。
フランクはひやりとしながら、テーブルの上を無意味に片づける。
「ライムント、面白い話をしていたな。続けろ」
「俺は何も言ってねえよ。さっさと仕事しろ」
顔を歪めてしっしっと手を振るライムントに、イルゼはフランクの隣の椅子にどさりと座った。位置的に、フランクは逃げられない。
イルゼはテーブルの上の華リンゴを一つ摘まんで、ため息をついた。
「やっと昼休憩をとりにきた上司にその言いぐさ。どうせお前のことだ、この店で飲んだくれているんだろうと当たりをつけて来てみれば……予想が当たって嬉しいよ」
リンゴの欠片を咀嚼するだけなのに、所作が美しいせいかつい目で追ってしまう。
テラス席を吹き抜ける風が、彼女の髪をふわりと舞いあがらせた。
降り注ぐ太陽の光を受け、その金の髪は白く輝く。
フランクは当たり障りのない笑顔で、イルゼに話しかけた。
「今日も、お忙しそうですね」
「樽の月は王都に人が集まるからな。特に南区は飲食店が多いから、飲み食い好きな人間がどうしても集まってくる。人が集まれば騒ぎが起きる。騒ぎが起きれば駆けつけざるを得ない。ちょっとは息つく暇を与えて欲しいものだ」
イルゼは苦笑して、近づいてきた給仕係に食事と炭酸水を注文した。昼休憩とはいえ仕事中だ。さすがに酒は飲めないだろう。
ライムントが「がはは」と大口を開けて笑った。
「人が大手を振って歩けるのはいいことじゃねえか。災龍の襲撃がありゃあ自由に買い物もできやしねえ。それどころか命を失う可能性だってあるんだ。災龍が来ない間に樽の月を謳歌しなけりゃ、やってらんねえよ」
樽の月は一年で最も気候が良い月だ。
月の半ばに建国記念を含む祝祭日、つまりは国民の休日が七日間あるため、遠出をしたり、出稼ぎから帰って来たりと人々の往来が激しくなる。
「災龍の前回の襲撃は八ヶ月前でしたね。あいつら、二度と来なければいいのに」
イカの足を噛みながらフランクが言うと、イルゼはちらりとライムントに視線を走らせ、
「非番の騎士が何を飲み食いしようと、それは自由だ。だがライムント、隊長が働いていると言うのに副隊長がのんびり酒を飲むのはいかがなものかと思うが、どうだ」
半眼のイルゼに、ライムントは片眉を上げる。
「おいおい、俺が今朝までどれだけ大変だったか報告を聞いてるだろう」
「聞いているが、早朝から一度も座る暇がなかった私も大変だった」
「お前、腹が減ってるんだな。まあ、食え。好きなだけ食っていいから」
ライムントが目の前に並べられたおつまみを、あれもこれもとイルゼの前に押しやった。フランクも慌てて自分が注文したイカのフライを差し出した。大好物だが仕方がない。
ちょうどイルゼが注文した品が運ばれて来て、彼女は料金を支払うと早速、串に刺した鶏肉を食べ始めた。てらりと光るタレと、香ばしい匂いが食欲をそそる。
フランクは、チャンスだ、と思った。
「お二人は本当に仲が良いですね。副隊長は隊長が騎士団に入ったころからのお知り合いということでしたが、ブラント隊長はなぜ騎士団に入ったのですか」
さりげなさを装って酒を口に含みつつ、フランクはずばりと切りこんだ。
イルゼは長い睫毛を瞬かせると、口の中の物を飲み込んでから笑った。
「なんだ、壁新聞の続きか? 仕事熱心なんだな」
「壁新聞? なんだそれは」
初めて聞く言葉に、ライムントの目が光る。
やめてくれ、話を広げるのは。そう思うフランクだが、人の口に戸は建てられない。
イルゼが胸を張った。
「騎士団の隊員交流のために作るんだと。私は目立つからな」
「なるほど。女騎士なら珍しいから話題性もあるし、お前は若手に人気だから記事を読んでくれる隊員も多そうだな」
「騎士団の役に立てるのなら本望だ」
口から出まかせのつもりだったが、ライムントにも知られてしまった以上、本当に壁新聞を作らねばならなくなってしまった、ような。
背中に嫌な汗をかきながらも、フランクはにこやかな顔で話の軌道修正を試みる。
「そうなんです。ブラント隊長は人気者ですから、みんな、その人となりを知りたいのではないかと思いまして。隊長の幼少期の様子など、聞いてみたいなあって」
「そんなことまで載せるのか。隊長としての意気込みならいくらでも語れるのだが」
運ばれてきた炭酸水に口をつけて、イルゼが困ったように首を傾げた。
戸惑う麗人は庇護欲をそそる。このまま、失礼しました、と尻尾を巻いて逃げ出したい。
でも、そういうわけにもいかなくて。
フランクはヤケになりつつ、首を振った。
「いえいえ、隊長の基本的な情報も載せようかと思ってるんです。いわゆる、誕生日や趣味などのプロフィール欄ですね。少しでも隊員に親しみを持ってもらうために必要かと。これは他の隊長達にもお願いしようと思っています」
墓穴を掘った。自分で壁新聞の範囲を広げてどうする。他の隊長……第二弾はバーデン隊長にして、人気がなくて企画終了ということで許してもらえないだろうか。
「私の子供の頃のことなど、たいしたものではないよ。どこにでもいる、やんちゃでクソ生意気な女の子だった」
テーブルに肘をついて、イルゼが首を傾げてフランクを見た。
長い金色の睫毛も、深い青の瞳も、艶やかな赤い唇も、透き通るように白い頬も、人形のように美しい。彼女に見つめられると心臓が跳ねて挙動不審になりそうだ。
フランクはなんとか気持ちを立て直そうと、咳払いをしてイルゼを見つめ返した。
「ならないかどうかは、もう少しお話を伺ってから決めたいと思います」
「君は、今の私に興味があるのか。それとも、私の過去に興味があるのか」
「そ、れは、もちろん、隊長のすべて、です。記事にしてはいけないと言うことでしたらそのとおりにしますが、教えていただくことだけでもできませんか」
イルゼが炭酸水を飲みながら、目を眇めた。そして、
「やけに食い下がるな」
その、硬質な声に含まれた警戒に。
「いえ、そんなつもりは。申し訳ありません」
フランクは急いで引き下がった。不興を買って距離をとられては元も子もない。
気まずい沈黙がテーブルを支配した。
テラス席のすぐ横の通りを幼い子供が歓声を上げて通り過ぎ、その背を慌てた様子の父親が追いかけて行く。
どこからともなく聞こえてくるオルガンが哀愁を誘うメロディを奏で、涼を含んだ強い風が食堂の看板をがたがたと揺らして去って行った。
表面上は素知らぬ顔で座っていたフランクは内心、汗をだらだらと流しながら、そろりと正面に座る二人を見た。
二人とも、真面目な顔でフランクを見つめている。
その表情には不審と同時に、こちらを探るような色があって。
フランクは俯いてしまいたくなった。
彼らは二人とも、騎士として尊敬できる人達だ。まったく尊敬できない、彼らの真逆の上司のために、なぜ自分はこんなにも居心地の悪い思いをしなければならないのだろう。
もうヤケクソで、バーデン隊長の目論見を全部話してしまおうか。
フランクがそう思って顔を上げた、そのときだった。
布を裂くような悲鳴が上がった。
同時に、物が壊れる複数の音と、甲高い笛の音があちこちから聞こえる。
騎士は、笛の音を駆使して会話する。
今、聞こえてくるその意味は。
災龍だ。
三人は顔を見合わせる間もなく、椅子を蹴って走り出した。




