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遭遇

 赤狼隊の隊服は、鮮やかな紅色をしている。

 白い糸で左胸に縫いつけられた狼の刺繍は格好良いし、紅という色は災害時の目印になるので便利なのだが、いかんせん目立ってはならない情報収集部員には相性が悪い隊服だ。

 よって、騎士団本部にいるとき以外は、一般人と同じ麻のシャツとズボン、革のブーツという出で立ちとなる。


「白鯨隊の白い制服も目立つから嫌だけど、黒鹿隊の黒と青鷲隊の群青色の制服は着てみたかったなあ」

 独りごちながら、フランクは爽やかな葉擦れの音をたてる街路樹の下をぬって歩く。

 太陽がぎらぎらと照りつける夏はようやく峠を越し、日中はずいぶんと過ごしやすくなった。午後三時となる今も、通りを抜ける風は涼しさを含み、日陰に避難せずとも石畳の道をゆっくりと歩ける。


 気候が良ければ人は、人の集まる場所を目指すものだ。

 六百年の歴史を持つ王都の四つに分かれている地区のうち、南区は飲食店の集まった商業地区だ。店も多ければ客も多い。食べ物の匂いも、馬車の音も、華やかに着飾った人々も、すべてが通りに溢れている。


 その中にあって、存在感を放つ女性が一人。

 群青色の隊服を着た、イルゼ・ブラント青鷲隊隊長、その人だ。


 凛々しさを感じさせる端正な顔立ち。一つに結んだ金髪が歩くたびに軽やかに踊る。動きには一切の無駄がなく、誰かに声をかけられれば、丁寧に手を上げて返事をしている。

 樽の月、つまり今月は青鷲隊が災龍討伐及び南区の警備担当だ。

 通常、隊長は本部にいて、問題が起こったときに部下に指示を出すのが常だ。が、イルゼ・ブラントは自らも町に降り、行動する人物だ。


 フランクは朝から彼女を尾行していた。

 バーデン隊長の言う彼女の「秘密」を探らなければならない。

 ……副隊長の座にはまったくもって興味がないが、下っ端としては与えられた仕事に拒否権はない。そもそも、真面目に仕事をしているフォルナーがいるのに次期副隊長を、だなんて失礼にもほどがある。


「だいたい、半日も見ればわかる。ブラント隊長はバーデン隊長の百倍は善人だ。老人の荷物を持ったり、道案内をしたり、壊れた荷車を押してやったり。噂だって、悪い話を一切聞かない」

 腰に下げた道具入れから、メモ帳を取り出す必要も感じない。

 誰もが彼女のことを「良い人」と称する。

 彼女の弱みなんて探ろうものなら、逆にフランクが痛めつけられるに決まっている。


「バーデン隊長はブラント隊長の爪の垢を煎じて飲めばいいのに……」

 そう、思わずため息をついた時。


「何をしているんですか」


 不意に声をかけられ、びくりとして振り返った。

 目に飛び込んできたのは白い制服。左胸には鯨の刺繍。その男は。

「ベッセル、隊長……」

 思いがけない相手に、思わず顔が引きつった。


 バーデン曰く「決断力のない無能」。

 三十代半ばの彼は侯爵位を持つ貴族で、一般人が気軽に口をきける相手ではない。

 赤銅色の長い髪をかき上げながら、ベッセルはフランクをじろりと睨みつける。背が高い人物だ。フランクとは頭一つ分、目線が違う。


「さっきから見ていれば、イルゼをずっとつけ回していましたね。確かに彼女は美しい人ですが、怨恨? 思慕? どちらでしょう」

「え、え」

「見たところ君は十代後半。まだ道を誤る前です。引き返せますよ」

 細い目を更に細くして、ベッセルが挑発的に笑う。

 礼儀正しい口調ではあるが、その目は物騒な色をたたえていた。

 その、ベッセルの後ろから。

「ベッセル、問題事か。潰すか」

 ぬっと現れた青年に、フランクは乾いた笑をこぼすしかない。


 バーデン曰く「筋肉バカ」。

 至上最年少の二十歳で黒鹿隊の隊長職に就いた、現在二十六歳の青年だ。鍛え抜かれた筋肉と行動力は今までに多くの実績を上げている。左胸に白い糸で鹿が縫いつけられた黒い制服は、ところどころほつれが見える。


 頭の中で情報が洪水のように溢れて来るけれど、睨みを利かせた二人を前に、それは何の足しにもならない。鷹に射竦められた野ネズミの気持ちだ。


 ベッセルが肩をすくめた。

「潰さないでください。騎士が一般市民を攻撃すれば、嬉々として宰相執務室付査察官が出張ってきますよ」

「さいしょうしつむしつづきささつかん」

 口の中で呟いたフランクに、ベッセルが「ああ」と視線を向けた。

「一般人は知らないかもしれませんね。知らなくても問題ありませんが」

「あいつらは俺達の天敵だ。騎士の問題行動を、目を皿のようにして探し出して、首をきるのを楽しんでる」

 ボイムラー黒鹿隊隊長が、厳つい顔を大げさにしかめて見せる。

「仕事ですから、楽しんではいないでしょうけれど。それはともかく、問題は君です」


 ベッセル白鯨隊隊長がフランクの顔の前に、長い指を突きつけた。

「時々いるんですよね、職務に励むイルゼに一方的な感情を抱く輩が。私は彼女の同僚兼友人として、怪しい動きをしている君を見逃せません」

「なんだ、つきまといか。骨を二、三本折ればいいか」

 ボイムラーがわざとらしく両手の骨をぽきぽき鳴らす。怪力で知られる彼の手にかかれば、肩を掴まれただけで骨が折れてしまうこと間違いなしだ。


「誤解です!」

 フランクは慌てて顔の前で両手を振った。

 確かに、傍から見れば麗しのブラント隊長の後ろをこそこそとついて回る、怪しい男にしか見えなかっただろう。

 でも、フランクは「ブラント隊長の秘密を探せ」という命令を遂行していただけなのだ。


 自分は悪くない。断じて、悪いはずがない。悪いのは全部、バーデン隊長だ。だがしかし、これをそのまま言うわけにはいかないし……!


「た、確かに俺、私はブラント隊長を見ていましたが、それは理由があって」

「どんな?」

 ベッセルが指を下ろすことなく、短く問う。

 そりゃそう聞くよねー! と頭の中で頭を抱えながら、フランクはひとまず笑顔を作って見逃してもらおうとする。

 もちろん、許されるはずもなかったが。


「お前の顔、嘘くさい。正直に吐くまでうちの部隊で面倒見てやろうか。筋肉は良いぞ」

 ボイムラーが、威嚇するように歯をむき出しにして笑った。

 これは絶体絶命のピンチ。彼の率いる黒鹿隊は体を鍛えるのが趣味の輩の巣窟だ。フランクは以前、食堂で黒鹿隊の隊員が「俺、筋肉と会話できるんだ」と言っているのを聞いたことがある。決してお近づきになりたくない。


 万事休す。

 そのときだった。


「何をしているんだ」

「おや、イルゼ」

 背後からかけられた涼やかな声に、フランクは飛び上がるほど驚いた。

「ブラント隊長……」

 ごくりと喉を鳴らして、声のした方を振り返る。


 そこには確かに、イルゼ・ブラント青鷲隊隊長が立っていた。


 釣り上がり気味のきりりとした青い瞳はフランクに向けられ、腰に手を当てて立っているだけなのに華がある。現に今も、民衆がちらちらとこちらに視線をくれながら通り過ぎていく。……青鷲、黒鹿、白鯨隊隊長に囲まれている貧相な人間(フランク)に、哀れみの目をくれているのかもしれないが。


「ずっと私の後を付け回していただろう。用があるんじゃないのか」

「おや、気づいていましたか」

 ベッセル隊長が首を傾げ、ボイムラー隊長が気安い様子で笑みを浮かべた。

「特に害がないから放っておいたんだが、二人が出て来たら話は別だ。私のことに手を煩わせてしまって申し訳ない」

 イルゼが頭を下げると、ベッセルもボイムラーも慌てたように顔の前で手を振った。


「私達は別に。昼休憩に、話題の『鴎亭』のシチューを食べて来たばかりです。そしたらたまたま、この少年が目に入ったもので」

「そうだ。たまたま遊び道具がいたから、ちょっかいをかけていただけだ」

 遊び道具。

 フランクは若干むっとしながらも、気配を殺そうと努力した。この状況で、目立っていいことなんて一つもない。


 イルゼは快活に笑った。

「暇なのか。それなら巡回を手伝ってくれ。今日もなかなかの人出で、青鷲隊の騎士だけでは大変なんだ」

「それとこれとは話が別。俺達はそろそろ本部に戻る時間だ。昼休憩が遅くなった」

 ボイムラーはそう言って、通りかかった菓子売りからブラシュ(胡桃入りの蒸しパン)を買って早速、かぶりついている。自由か。


 ベッセルは苦笑した。

「それくらいのこと、イルゼもわかっていますよ。今のは軽い冗談、でしょう?」

 片眉を上げて問われ、イルゼは両手を広げて頷いた。そして、

「それで私になんの用だ、フランク・ルーマン」


 顔を覗き込まれ、フランクは息を飲んだ。完全に、油断していた。

 ベッセルが顎に手を当て、意外そうに首を傾げる。

「なんだ、知り合いだったんですか」

「赤狼隊情報収集部所属のれっきとした騎士だぞ」

 言葉を交わす二人に、フランクは動揺した。

「どうして、俺のことを知っているんですか……」

 心臓が妙な具合に脈を打つ。


 フランクが騎士団に入団して一年。

 騎士団には三百人以上の騎士がいて、一度も言葉どころか顔を見たことのない騎士もいる。

 隊長となればフランクよりももっと大勢の人を相手にしなければならないはずで。

 一介の騎士の所属と名前を憶えているなんて、狂気の沙汰だ。


 イルゼは平然と口を開いた。

「緊急時に、とっさに名前を呼べなかったら不便だろう。戦いの援護を頼むとき然り、負傷して救護所に運び込むとき然り」

 至極、当然のように言う。

 フランクは開けかけた口をきゅっと閉じた。「バーデン隊長なんて自分の隊の騎士の名前もろくろく覚えていませんよ!」とキレ気味に叫ぶところだった。危ない。


 頭上で小鳥が軽やかに囀る。

 石畳の通りを、馬車や人が流れていく。

 アコーディオンのもの悲しい音色が遠くから聞こえ、子供の騒ぎ声がそれをかき混ぜて風のように去っていく。

 樽の月の空は、吸い込まれるように青かった。


 ベッセルは「ふむ」と腕を組んだ。

「イルゼ、問題はなさそうですか」

「そうだな。天気もいいし、このまま一緒に歩こうかと思う」

「それならお節介は退散します。行きましょう、クラウス」

 もぐもぐとブラシュを口に詰め込んでいるボイムラーを従え、ベッセルは雑踏の中に消えて行った。


 後に残されたのは青鷲隊隊長のイルゼと、平民服のフランク。完全に、職務質問を受けている不審者だ。


「さて、君の本当の目的はなんだ。私を尾行しても、得るものはないと思うが」

 イルゼは腰に手を当て、悪戯っぽい顔でフランクに笑いかける。美貌と呼ぶにふさわしい彼女からは、ふわりと優しい匂いが漂ってきた。


 こんな麗人を前に、あーだこーだ複雑な嘘を考えられるわけがない。


 視界の端に、屋台の上に並んだ新聞紙にくるまれた芋が見えた。

 フランクは頭で考えるより先に、

「あの、実は俺、騎士団の中で新聞を作ろうと思っていまして」

 とっさに口から出たでまかせに心の中で悲鳴を上げながら、フランクは自棄になって笑顔を付け足した。

「ブラント隊長は騎士団の中でも、とても人気のあるお方です。それで、隊長の知られざる意外な一面を、新聞の記事にさせていただけないかな~なんて思っていまして」

「君は騎士団の広報も兼任しているのか」

「いえ、俺の勝手なアイディアなんですけど、ほら、騎士団のそれぞれの部隊って縦のつながりはあっても横のつながりはないから……騎士団本部の建物内で、ええと、壁新聞、のような形で披露できないかなって」

 苦し紛れに答えながら、心の中で、両手で顔を覆って床を転がる自分がいる。


 壁新聞て。

 初等学校の低学年の夏休みの宿題か。

 いい大人が壁新聞。


「私は別に構わないぞ」

「そうですよね、ご迷惑ですよね……え?」

 聞こえてきた声に頷いて……フランクは呆然と目の前の女性騎士を見つめた。視線は同じくらいなのに、どうも彼女の方が背が高いような気がして、つい見上げてしまう。


 イルゼは顎に手を当て、宙を睨むようにしてぶつぶつと呟いている。

「ヘルツフェルト騎士団の壁新聞か。斬新な発想だ。確かに、騎士団の中には私と交流のない者もいる。その者達にも私のことを知ってもらえるのなら、メリットがある。うん、面白そうだ」

 とんとん拍子に話が進んでしまった。


 フランクは感動すると同時に、慄いた。

 なんだ、この即決ができる人間は。こんな怪しい提案、普通なら却下する。万が一、了承したとしても、バーデンだったら「取材代はいくらだ」とふっかけてくるか、自分を褒め称えた記事ではなければ機嫌を損ねて壁新聞を破り捨てかねない。おまけに、初対面なのにこの気安さ。警戒心がないのか? 心が空のように広いのか?


 が、フランクの動揺などイルゼは少しも気にすることなく、フランクの背を押して、さっさと歩き出した。

「それならば、私の近くにいた方が楽に取材が出来るな」

「そ、それは、はい」

 フランクの口からはもう、同意の言葉しか出てこない。


 イルゼはお日様のように、にこりと笑った。

「では行こう。いつものことだが樽の月は気候が良くて人の出が多くなるから、南区は特に騎士の数が足りなくてな。馬の足も借りたいくらいに忙しいんだ」


 あれ、もしかして俺、労働力……?

 金の髪をなびかせるイルゼに続きながら、フランクはそれでもいいかと腹をくくった。


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