命令
「青鷲隊隊長イルゼ・ブラントの秘密を探せ」
肘掛椅子に座った男が、押し殺した声でそう言った。
二重顎の丸い顔に、芋虫のような太い指。はち切れんばかりに突き出た腹。騎士というより裕福な商人のように見えるこの人物は、赤狼隊隊長のヘルベルト・バーデンだ。
一方、執務机を挟んで対面に立つ赤狼隊情報収集部所属のフランク・ルーマンは、直立不動の体勢のまま、上司の背後に飾られた赤狼隊の紅い隊旗をひたすら見つめていた。
黒い短髪に黒い瞳。顔はいたって地味で、体つきは中肉中背。特別な個性はない、どこにでもいそうな若者である。
赤狼隊隊長の執務室にフランクを呼び出したバーデンは、苦虫をかみつぶしたような顔で続けた。
「あの女狐の秘密、すなわち弱点を世にばらまけば、ヘルツフェルト騎士団の次期騎士団長は必然的に俺に決まる」
バーデンの深刻な声と表情に同意しかけ、いやいや待てよ、とフランクは口を開いた。
「現任のベルク騎士団長が退任するという話は聞かないですけど……」
「ふん、あんなおいぼれ。俺の予想では余命二年だ」
二重になった顎をたぷたぷと揺らす上司を見ながら、フランクは脳裏に騎士団長を思い浮かべた。
ベルク騎士団長は年齢こそ五十七歳だが、毎朝十七エスタ(二十キロメートル)を走り、騎士団内の各所に配置されている水瓶に井戸から汲んだ水を満たして回り、修練場で体術の稽古を行ってから執務を始める超人だ。腹筋も上腕二頭筋も大腿四頭筋もかっちかちだし、少なくとも目の前の豚の親戚……ではなく、バーデン赤狼隊隊長よりもずっと長生きしそうだ、が。
バーデンに反論した場合、その百倍の叱責が飛んでくるのは目に見えている。
よって、ここは話を進めるしかない。
「ええと、次期騎士団長は、バーデン隊長とブラント隊長の一騎打ちなんですか」
「黒鹿隊のボイムラーは筋肉バカ。白鯨隊のベッセルは決断力のない無能だ」
バーデンは太い腕を組み、鼻を鳴らした。
体を預けた革張りの椅子が、みしりと悲鳴を上げる。
「その点、イルゼ・ブラントは女というだけで周りにちやほやされている。性別で優位に立とうとするなど言語道断、許しがたいことだ」
「は、い」
ちやほや……? とは思ったが、声に出すことはしない。沈黙は金貨に値する。
「だが、奴も所詮は人間だ。秘密にしている弱みの一つや二つ、あるはずだ。いいか、お前は赤狼隊の情報収集部員として、必ず奴の秘密を見つけだし、俺に報告するんだぞ」
「はい」
「ブラントの奴、二十四で隊長になったばかりのペーペーのくせに、会議でいちいち俺に意見してくる。いい加減、目障りだ。生意気で身の程を弁えない女に、俺の恐ろしさを思い知らせてやる」
「はい」
「一年前、職にあぶれていたお前を拾ってやった恩を忘れるな。お前の首は俺が握っているんだからな。これはお願いではない、命令だぞ」
「はいはい」
「はい、は一回! さっさと行け! 役に立つ情報を持ってきた暁には、次期副隊長の座を検討してやる」
バーデンがにやりと分厚い頬を歪めた。
「……はい」
フランクは蚊の鳴くような声で呟き、のろのろと隊長室を後にした。褒美が褒美になっていない。
部屋を出てすぐ、赤狼隊副隊長のフォルナーに出くわした。
ひょろりと縦に長い副隊長は、今日も青白い顔で分厚い書類を抱えている。灰色の髪はくしゃくしゃで、その眼鏡の奥の瞳はぼんやりと宙をさまよっている。
「副隊長、お疲れ様です」
「……ああ、フランク」
声をかけると、一拍の間を置いて、フォルナーの目の焦点が合った。
「疲れているようですが大丈夫ですか。お荷物、お持ちしましょうか」
手を差し伸べると、副隊長は軽く首を振った。
「大丈夫だよ。ちょっと隊長の承認印が必要な書類仕事が溜まってしまっていて。全部に目を通していたから二日ほど寝てないんだ」
「それって、大丈夫じゃないと思いますけど」
フォルナーは今にも倒れそうだ。ただでさえ、風が吹けば飛びそうな薄い体をしているのに。
けれど、彼はため息をついて書類を抱え直し、ぽつりと呟く。
「仕方ないよ。うちの隊長はああ(・・)だから……」
ああ(・・)。つまり、騎士団の仕事はそっちのけで自分の出世にしか興味がない。
ここにも隊長の被害者が……と思いながら、フランクはふらふらと去っていくフォルナーの背中を見送った。
ヘルツフェルト王国は、ドレア大陸の北西部に位置する農業国家だ。フューゲル山脈から流れ出る水は栄養が豊富で尽きることがなく、国中の田畑を潤してもなお余りある。
広い国土は緑の大地と称され、取れる農作物は外国との貿易に大きな役割を果たしていた。
しかし、順風満帆に見える国にも敵がいる。
その名を人は『災龍』と呼ぶ。
体長十二カナン(十五メートル)から二十二カナン(二十五メートル)ほど。見た目は四本脚の陸トカゲで、背中にはコウモリのような皮の翼がついている。
見上げるほどに大きな灰色の怪物は、地の果てからやってきて、無差別に大陸中の国を襲う。奴らは口から火を吐くわけでも、目から光線を発射するわけでもない。だが、硬い鱗で覆われた巨体で縦横無尽に家を、道を、田畑を破壊して回るのだ。
災龍の襲撃を天災と怖れ敬う国もある中で、ヘルツフェルト王国は早くから災龍を駆除の対象としてきた。
その駆除の役目を担うのが、ヘルツフェルト騎士団である。
ヘルツフェルト騎士団は赤狼隊、青鷲隊、黒鹿隊、白鯨隊の四つに分かれており、それぞれに戦闘部隊と情報収集部隊をもっている。
長い年数の間に蓄積された情報と戦略を基に、彼らは災龍を討伐する。
とはいえ、災龍の襲撃は年に数回程度。
災龍が現れない間、彼らは犯罪者を取り締まり、国民が安全安心に暮らせるよう、日々職務に勤めている。




