【第3章】分岐の灯
夜の焚き火が、誰の表情も照らしきれなかった。
レジスタンス拠点内では、重苦しい沈黙が漂っている。
「お前さ、あれは無謀すぎた」
カナトの声が、火の揺らぎを裂くように響いた。
「敵の真上に突っ込むなんて、正気じゃねぇ」
アキは答えず、鍋の中の豆スープをゆっくりとすくい上げる。
「仲間の命も背負ってる立場だろ? お前が無茶すれば、全員が崩れるんだよ」
「……放っておけなかった」アキがようやく口を開いた。
「見捨てられなかった、ってことか? 結果論だろ。それでお前が死んでたら、何も守れなかった」
焚き火の炎が揺れ、ふたりの影を地面に長く伸ばす。
「“守る”って何だよ、カナト。合理だけで人の命を秤にかけるなら、俺は医療班なんてやってない」
「だからって……理想論じゃ生き残れないんだよ、兄さん」
「でも、理想を捨てたら、生き残って何になる?」
アキの声は静かだったが、芯があった。
カナトはそれ以上何も言えず、拳を握ったまま視線をそらした。
そのやりとりを、物陰にひっそりと潜んでいたひとりの男が観察していた。
サジキ──新たに派遣された補給調整員。
身元も軍籍も提出書類も完璧だった。だが、その沈んだ眼差しの奥に潜むものを、まだ誰も知ることはなかった。
焚き火を囲んだ夜、カナトはふと眉をひそめた。
「あいつさ……いつも物資の管理してるくせに、弾薬の並びだけはやけに正確なんだよな」
アキは何も言わなかったが、目を伏せたままスプーンを置いた。
数日前、ナギサもこんなことを漏らしていた。
「サジキに通信リレーの調整を任せたら、私が教えてない中継設定をいじってたの。指摘したら“前任地でやってた癖で”って笑ってたけど……本当かしら」
ツバサも訓練帰りに一度、サジキの視線を感じたことがあった。
「……目が、野戦経験者のそれじゃねぇ。味方を見る目じゃなくて、“測ってる”目だった」
そう呟き、彼は無言でナイフを研いでいた。
翌日。アキは医療棟にこもりきり、カナトは武器整備区にこもっていた。
隊全体にも、目に見えない亀裂が走っていた。
通信機器のタイムラグ、届かない物資、行方不明の偵察員──
まるで“誰かが中からかき回している”かのように。
「……これ、ルートが改ざんされてる」
ナギサがログを睨みながらつぶやいた。
「命令のタイムスタンプが、20ミリ秒だけ前倒しされてる。これは……通信ルートを挟んで“挿入”された形跡」
ツバサが隣から顔を覗き込む。
「つまり、誰かが偽の命令を出した?」
ナギサは無言で頷いた。目の奥に、過去の記憶の影が差す。
その頃、カナトの元に一本のメッセージが届いていた。
「兄が、機密ファイルを独断閲覧した形跡がある。裏切りの兆候に注意」
発信者は不明だった。だが、文面はあまりにも巧妙に“疑念”を煽っていた。
──それでも、カナトの胸のどこかで、ある名前が過った。
(……サジキ?)
カナトの中に、昨日のやりとりがフラッシュバックする。
──「生き残って何になる?」
拳が、無意識に固まる。
アキは一人、拠点裏の廃車置き場にいた。
かつて父が乗っていた古いバイクの残骸に触れながら、空を見上げていた。
「親父が言ってたな。お前が信じられなくなるときほど……兄弟である理由が試されるって」
言葉は風に流れる。
記憶の中、父の背中は黒ずんだ作業着を着ていて、決して多くを語らなかった。ただ、雨の日に一言だけ言った。
「迷ったときは、どっちが“壊さない道”か考えろ」
壊すよりも、守る方が難しい。
だからこそ、自分の“やわらかさ”を信じたいと思っていた。
そのとき、背後に足音。
「兄さん……ちょっと、話せるか」
カナトだった。目の奥に、迷いと苛立ちが滲んでいた。
「命令のこと、聞いた。お前が独断で」
「違う。俺じゃない」
アキの言葉は短く、強かった。
だが、それがかえってカナトを揺さぶる。
「じゃあ誰が……」
そこへ、突如警報が鳴った。
「内部セキュリティ侵入検知。レベル3。通信コアへ未承認アクセス」
ナギサの声が端末越しに響いた。
「異常アクセス検知、レベル3。通信室、誰かが外部と交信してる!」
拠点に緊張が走る。
アキとカナトはすぐに走り出し、通信室の重い扉を蹴り開けた。
モニターの前にいたのは――サジキだった。
彼は振り返りもせずに、無言で通信端末のケーブルを引き抜く。
「……やっぱり、お前か」
カナトが歯を食いしばる。
サジキはゆっくりと立ち上がり、うっすらと笑った。
「兄弟喧嘩、もう少し長引くと思ったんだがね」
「黙れ」カナトが銃を抜く。
だが、アキが素早くその腕を押さえる。「生かす。情報が必要だ」
その一瞬の隙に、サジキが懐から何かを取り出しかける。
瞬時にナギサが副回線越しにショック信号を送信。
通信端末が強制シャットダウンし、サジキの手からそれが滑り落ちた。
彼は呻きながら膝をつき、そのまま拘束される。
翌日。
ツバサとナギサは、解析班とともにサジキの通信端末を調査していた。
深夜を超えてようやく、暗号層の奥底に不正な通信ログが浮かび上がる。
「これは……交信先、敵国の統合戦略局。ログの末尾に“GLOAMING”のキーワード」
ナギサが眉を寄せながら読み上げる。
「“全地上情動系統の遮断・制圧試験、対象:旧日本列島”」
「“感情を媒介とした集団指数データ蓄積は、臨界ラインを突破。照準位置座標:正中軸”」
ツバサはつぶやいた。
「……やっぱりだ。“ホロウ・ウィング”はただの前座だった。
本体は、これから来る」
アキとカナトが駆けつけた時、ナギサは端末を指差した。
「この兵器は、感情の“分断”を引き金に発動される。
だから、拠点の“壊れ”が必要だった……サジキは、そのために送り込まれてた」
カナトの表情がこわばった。
自分たちの諍いが、まさに敵の計画の一部だったことを悟っていた。
「つまり……“仲間同士の疑念”が臨界を越えれば、やつらは引き金を引く」
アキは黙ってポケットから紙片を取り出す。
焦げた端に、かすれた文字が残っていた。
「……“ごめんって”。ユーマの、最後の言葉だった」
その響きに、カナトの肩がかすかに揺れる。
「……悪かった、兄さん。
あのとき、お前の選んだやり方を、信じてやれなかった」
アキはゆっくり首を振る。「俺も……揺れてたよ。
でも、信じ合うって決めなきゃ、誰にも未来は託せない」
その横で、ナギサが静かに言った。
「敵の兵器は“感情を増幅する”。だけど、それがどんな感情かまでは選ばない。
なら……希望だって、拡げられるかもしれない」
ツバサが端末を閉じる。
「決断の時だな。“GLOAMING”の夜が来る前に……
こっちから先に、陽を灯す」




