表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

【第2章】境界に潜むもの

燃料という言葉が、もはや過去の遺物となったのは、いつからだったか。

21世紀半ば、人類はついに石油資源を使い果たした。噂されていた備蓄もすべてが枯渇し、発電所は次々に機能を停止。エネルギー戦争と名付けられた20年の混迷の果て、“代替動力”と呼ばれた数々の夢の技術も、一握りの国家が軍事転用するに至っては、それはもはや希望ではなく脅威となった。

2100年の今、人々が知る“敵国”は、資源ではなく“技術”で支配しようとしている。

レジスタンス前哨基地・空白地帯北緯29度。

午後18時14分。ナギサは警戒ユニットの監視ログを黙々とチェックしていた。背後では、ストーブの火が時折ぱちりと音を立てる。今日も豆のスープ。だが、ここ数日の気配はいつにも増して不穏だった。

「またドローンの軌道が変だな」

モニター越しのグラフは、直線から急に螺旋を描き、突然停止。まるで、何かを探すような……いや、迷っているような動き。

「これは……人の操作じゃない」

隣で見ていたアキが呟いた。

「自己学習型AI? でも、そんな…」

ナギサは思わず言葉を止める。ひとつの記憶が脳裏をよぎった。かつて旧通信局で解析していた“ある通信波形”。常温で動作し、外部信号に依存しない、未知の高エネルギーパルス。軍では“ゼロ熱源波”と呼ばれていた。

ツバサが奥の通路からゆっくりと現れる。

「……それ、ホロウ・ウィングかもしれない」

その名前に、ナギサの指が止まった。

「知ってるの?」

ツバサは視線をそらし、僅かに口元をかすかに動かした。

「昔、一度だけ見た……敵地にいた頃。“感情に反応する機械”。戦う相手を選ばない、だけど、自分を“脅かす意志”にだけ反応する。人の感情で動く兵器だった」

空気が沈黙に包まれる。

「試作品は一体だけと聞いた。でも……もしそれが、実戦配備されていたら……」

そこへ突然、通信が割れた。

《前線観測塔より緊急通報。上空にて識別不能の大型飛行兵器を確認。通常兵器では捕捉できず。侵攻ルート不明――》

耳鳴りのような無線のノイズのなか、ナギサがわずかに震えながらつぶやく。

「……探してる。“何か”を探して、こっちに来てる」

アキとカナトはすぐに装備を整え、小隊とともに迎撃に向かう。ツバサは途中、ナギサにだけ静かに言った。

「俺があいつを止める」

「できるの?」

「……止められなきゃ、もう戦争じゃなくなる」

夜、曇天の空が異様に明るかった。

遠くに浮かぶ黒い塊。まるで骨の翼を広げた異形の鳥。光を帯びず、音もなく、それは空中を滑るように降下してきた。

ツバサの顔色が変わる。「まずい……“匂い”を嗅がれてる」

敵兵は確認できない。だが、黒い翼の中央に浮かぶ光点だけが、微かに脈動していた。それは生き物のようだった。

「カナト、落ち着け。無駄な発砲は――」

だがもう遅かった。

誰かが引き金を引いた。次の瞬間、“それ”が変形を始める。

まるで外骨格が開き、内部から濃縮された何かが放たれるような挙動。爆音ではなく、“振動”が地面を駆け抜け、小隊の兵たちが次々に倒れ込んだ。

「超圧縮パルス……脳の平衡感覚を狂わせてる!」

ナギサが叫ぶ。

だがそれは始まりに過ぎなかった。

アキが地を這い、負傷者を引きずりながら叫ぶ。「ナギサ、制御波形を割り出せるか!」

「わかんない! でも……もしかしたら!」

彼女は必死に小型端末を叩き続ける。ツバサは銃を捨てて“それ”の正面へ立った。

「……聞こえるか?」

まるで、兵器に話しかけるような声だった。

「俺は敵だ。かつて、お前に命令を与えた側の人間だ」

黒い機体の光点が、わずかに明滅する。

「だけど今は違う。信じてくれとは言わない。ただ、お前が“誰を脅威と見なすのか”、今、俺が決めさせてやる」

そして、足元のビーコンを投げた。

直後、閃光。爆裂ではなく、信号ジャミング。

ナギサの画面に波形の変調が現れる。

「……感情伝導パターン、乱れた!」

その隙を突いて、アキとカナトが前へ出る。

「今だ、コードブロック信号を!」

ナギサの指が最後の送信を叩く。

一瞬、“それ”の動きが止まった。

まるで、戸惑っているように、空中で小刻みに揺れながら後退する。そして、飛翔。黒い塊はそのまま高空へと消えていった。

深夜。残されたのは、焼け焦げた地面と、震える呼吸。

誰もが口を開けなかったが、全員が悟っていた。

――これは“戦い”ではなく、“警告”だった。

しかも、それは人に対するものですらない。“存在”そのものへの指し示し。

ツバサは無言で膝をついた。

泥と血にまみれた手袋を外し、掌に残る震えを見つめる。

空は曇天のまま、かすかに明滅する星の一粒さえ許さなかった。

「次は……“本体”が来る。俺たちの覚悟を、試しに来る」

その呟きには、自責の色が滲んでいた。あの兵器の影を知っていた彼の沈黙――それこそが、何よりも重い。

拠点へ戻る道中、誰ひとり口を開かず、重たく湿った沈黙だけが足元にまとわりついていた。

風は冷たく、夜の闇がまるで世界の端を蝕むようだった。

焚き火のそば。ナギサは、震える手でスープの鍋をかき混ぜ続けていた。

豆の匂いが立ち上るはずの鍋からは、なぜか何の香りも感じなかった。

「やっぱり……来てしまったんだ、“あれ”が……」

彼女の声はかすれ、まるで誰かに言い聞かせているようだった。いや、“それ”に向かって話しているようにも聞こえた。

アキは、その背中を静かに見つめていた。

焚き火の明かりが、彼の顔の左半分をゆらゆらと照らしている。

傷ついた世界に差し込む光ではなく、あたたかさではなく、ただ、過去の残照のような赤。

「まだ……終わってない。きっと、始まりさえ、していなかったのかもしれない」

ナギサのスプーンが鍋の底をひとつ鳴らした。誰もそれを拾わない。

遠く、山の尾根の方角で、重低音のような振動が短く地面を揺らした。

大地が怯えている。それは、誰も口に出さなかった言葉のようだった。

カナトが薪のかけらをくべようとして手を止めた。

「……この先に、何があるっていうんだよ。希望か? それとも……ただの延命か?」

彼の問いに、誰も応えなかった。応えられなかった。

そしてその沈黙こそが、この夜を最も深く冷やしたのだった。

焚き火が小さく鳴いた。

夜の隅で、影だけが少しずつ長くなっていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ