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街ねこ司法書士、消えた土地の夢  作者: W732
第1章:消えゆく下町の影
6/16

1-6. 再開発の影に潜むもの

 翌朝、健太は慣れない早起きで、事務所のシャッターを開けた。まだ夜が明けきらない薄明かりの中、街は静けさに包まれている。健太の足元には、いつも通りのんびりとした様子のミケが、ぴたりと寄り添っていた。普段ならまだ夢の中だろう時間だが、ミケもまた、健太の緊張を察しているかのようだった。

「よし、ミケ。行くぞ」健太はミケの頭を撫で、小さく呟いた。

 健太が向かったのは、鈴木正義の土地を管轄する法務局だった。開庁と同時に駆け込み、登記官に今回の事情を説明するためだ。不正な登記申請があった場合、速やかに異議を申し立てる準備も整えておきたい。

 法務局の窓口は、朝早くから既に数人の職員が忙しなく動き回っていた。健太は、受付で司法書士証を提示し、土地の登記申請に関する緊急の相談がある旨を伝えた。しばらく待たされると、奥から登記官の斎藤さいとうが姿を現した。斎藤は、四十代半ばの、真面目そうな顔立ちの男性だった。

 健太は、斎藤登記官に、鈴木正義の件を詳細に説明した。偽造された委任状、特殊インクによる手書き再現の可能性、公証役場での認証過程の不審点、そしてNPO法人「ふるさと再生プロジェクト」が関与している可能性について、一つ一つ丁寧に説明した。

 斎藤登記官は、健太の話を真剣な表情で聞いていた。彼の表情は、健太の話が進むにつれて、徐々に険しくなっていった。

「なるほど……それは、非常に悪質かつ巧妙な手口ですね。公証役場の認証まで欺くとは……」斎藤登記官は、腕を組み、唸るように言った。

「はい。現在、警察にも情報提供済みで、弁護士とも連携して対応を進めております。しかし、土地が不正に登記されてしまえば、鈴木様の損害は計り知れません。何卒、不正な登記申請があった場合、細心の注意を払って審査を行っていただきたく、事前にお願いに参りました」

 健太は、深々と頭を下げた。登記官は、登記申請の審査において非常に強い権限を持っている。彼らの判断一つで、登記の行方が左右されるのだ。

 斎藤登記官は、健太の目を見た。

「司法書士の先生が直接、ここまで切羽詰まって相談に来られるとは、よほどの事態とお見受けしました。お預かりした情報に基づき、当法務局でも、当該土地に関する登記申請については、通常よりも厳重な審査体制を敷かせていただきます。特に、本人確認情報や印鑑証明書の真正性については、徹底的に確認します」

 健太は、安堵の息を漏らした。法務局の協力を得られたことは、大きな前進だ。

「ありがとうございます、斎藤登記官!」

「しかし、佐々木先生」斎藤登記官は続けた。「彼らは、登記を完了させるために、あらゆる手を使ってくるでしょう。場合によっては、別件を複数の法務局に申請を試みる可能性も否定できません。当法務局だけではなく、関係する可能性のある他の法務局にも、警戒を呼びかけておくべきかもしれません」

 健太は、斎藤登記官の言葉に、ハッとした。確かに、複数の法務局に申請をかける手口も、地面師が使う常套手段の一つだ。もし、健太が警戒を促した法務局以外の場所で登記申請がなされれば、防ぎようがない。

「承知いたしました。他の法務局にも、同様に警戒を呼びかけるよう、手続きを進めます」健太は、斎藤登記官の助言に感謝した。

 法務局を出ると、健太はすぐに携帯電話を取り出し、橘弁護士に連絡を入れた。法務局でのやり取りを報告し、複数の法務局への警戒呼びかけについても相談した。橘弁護士は、健太の行動の早さを称賛し、他の法務局への連携についても、弁護士会を通じて協力を求めることを約束してくれた。

「あとは、NPO法人『ふるさと再生プロジェクト』の調査ですね」健太は電話口で言った。

「ええ。こちらでも情報収集を始めています。ただ、彼らはNPO法人という形を取っているだけに、外部からは活動内容が見えにくい。しかし、怪しい取引があれば、必ず足跡を残しています。特に、資金の流れは重要です。鈴木先生の方でも、何か追加情報があれば、すぐに教えてください」

 橘弁護士の言葉に、健太は頷いた。

「分かりました。何かあればすぐに連絡します」

 電話を切り、健太は空を見上げた。青空には、白い雲がゆっくりと流れている。その向こうには、この下町が抱える闇が潜んでいると思うと、健太の心は重くなった。

 事務所に戻った健太は、ミケに今日の報告をした。ミケは、健太の話を、まるで理解しているかのように、静かに耳を傾けていた。

「これで、とりあえず法務局と警察、そして弁護士の先生方との連携はできた。あとは、彼らがいつ、どう動いてくるかだな」健太は呟いた。

 その日の午後、事務所に意外な訪問者があった。

「佐々木先生、いらっしゃいますか?」

 ドアを開けて入ってきたのは、初老の女性だった。顔には深い皺が刻まれているが、その目は力強く、優しい光を宿している。手には、使い込まれたエコバッグを提げている。健太は、その女性に見覚えがあった。鈴木醸造の向かいにある、小さな八百屋の店主、花田キヨ(はなだ きよ)さんだった。

「花田さん、どうされましたか?」健太は少し驚いた。花田さんは、これまで事務所を訪れたことはない。

 花田さんは、健太に軽く頭を下げると、ゆっくりと事務所の中を見回した。そして、健太のデスクの上で丸まっているミケに目を留めた。

「あら、ミケちゃん。今日も元気そうだねぇ」

 ミケは、花田さんの声に反応し、「ニャア」と一声鳴くと、花田さんの足元に擦り寄っていった。花田さんは、しゃがみこんでミケの頭を優しく撫でた。

「先生、実はね、ご相談したいことがあってね」花田さんは、健太の目を真っ直ぐ見て言った。「この頃、うちにも、変な人が来るようになったのさ」

 健太の胸に、嫌な予感が走った。

「変な人、ですか?」

「ええ。最近になって、急に『ふるさと再生プロジェクト』とかいうNPO法人の人が、頻繁に訪ねてくるようになったのさ。最初はね、『地域を活性化させたい』とか、『古い街並みを守るためにお手伝いさせてほしい』とか、良いことばかり言ってたんだがねぇ…」

 健太は、身を乗り出した。「そのNPO法人、どんなことを言ってきたんですか?」

「それがね、最近になって、『この地域の再開発が進むから、もし土地を手放すなら、今がチャンスだ』とか、『NPOが間に入れば、高値で買い取ってもらえる』とか、しきりに土地の話をするようになったんだよ。お隣の田中さんのところにも、同じようなことを言っていたみたいでね」

 花田さんの話は、健太が危惧していた通りのものだった。やはり、NPO法人「ふるさと再生プロジェクト」は、再開発を隠れ蓑にして、この下町の土地を狙っているのだ。鈴木醸造だけではない。他の住民たちも、ターゲットにされているのだ。

「その人たちは、他にどんなことを言っていましたか?」健太は、質問を続けた。

「それがね、『この地域はね、先祖代々受け継がれた土地だから、登記が複雑になっているところが多いんですよ』とか、『古い登記だと、将来、相続する時に揉めるかもしれませんよ』とか、やけに不安を煽るようなことばかり言うんだよ。それで、『NPOが提携している司法書士に相談すれば、無料で診断してあげますよ』なんて言うもんだから、少しは気になったんだけどねぇ…」

 健太は、拳を強く握りしめた。彼らは、下町の住民が抱える「土地の権利関係の複雑さ」や「相続への不安」といったデリケートな問題につけ込み、巧みに接近しているのだ。そして、提携している司法書士がいると偽り、自分たちの息のかかった人間を送り込もうとしているのだろう。

「花田さん、そのNPO法人が提携していると言っていた司法書士の名前は、覚えていますか?」健太は尋ねた。

 花田さんは、首を傾げた。「いやぁ、それがねぇ。名刺を置いていったんだけど、どこにやったか……」

 健太は、焦燥感に駆られた。もし、彼らが送り込む司法書士が、彼らと共謀している「偽物」の司法書士、あるいは、彼らの手先となって動く「悪質な」司法書士だったら、事態はさらに悪化する。

 ミケは、花田さんの話を聞いている間、じっと花田さんの顔を見上げていた。そして、花田さんが話し終えると、ミケは花田さんのエコバッグに顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。エコバッグの中には、花田さんが朝採れたての野菜を入れていたのだろう。新鮮な土の匂いがする。

 ミケは、エコバッグの中を嗅ぎ終わると、花田さんの首元に顔を近づけた。そして、花田さんの首筋を、前足でそっと触った。

「ミケちゃん、どうしたんだい?」花田さんは、くすぐったそうに笑った。

 しかし、健太はミケの行動に違和感を覚えた。ミケは、何かを伝えようとしている。その視線は、花田さんの首元に集中している。

「花田さん、失礼ですが、そのネックレス……」健太は、花田さんの首元にかかる、小さな金色のペンダントトップに目を留めた。それは、シンプルなデザインで、よく見ると、何か模様のようなものが刻まれている。

 花田さんは、ペンダントトップを指で触った。「ああ、これかい?これはね、昔、主人と旅行に行った時に買ったお土産だよ。何の模様だか忘れてしまったけど、気に入っているんだ」

 健太は、ミケの視線と、ペンダントトップを交互に見た。ミケは、まるでその模様をよく見るように、健太の顔を見上げている。健太は、花田さんに断りを入れて、ペンダントトップを少しだけ手に取ってみた。すると、その模様が、かすかに「漢字の『土』」のようにも見えることに気づいた。

「土……?」健太は呟いた。土地の「土」。単なる偶然か?

 ミケは、健太が「土」という言葉を発すると、満足そうに「ニャア」と鳴いた。そして、花田さんのエコバッグの中に頭を突っ込み、何かを漁り始めた。

「こら、ミケちゃん!」花田さんは笑いながら言ったが、ミケは構わず、中から小さな紙切れをくわえ出した。それは、折りたたまれた、しわくちゃの紙切れだった。

 ミケは、その紙切れを健太の足元にポトリと落とした。健太が拾い上げて広げてみると、それは、まさに花田さんが「どこにやったか忘れた」と言っていた、NPO法人「ふるさと再生プロジェクト」の名刺だった。

「これだ…!」健太は興奮して叫んだ。ミケは、やはり健太の思考を読み取り、重要な手がかりを見つけてくれたのだ。

 名刺には、NPO法人の住所、電話番号、そしてウェブサイトのURLが記載されている。そして、そこには、NPO法人の代表理事である「山田太郎」という名前が記載されていた。健太がウェブサイトで確認した名前と一致する。

 しかし、その名刺の裏には、手書きで何かメモが書き込まれていた。

『〇〇司法書士事務所、高橋』

 健太は、目を見開いた。やはり、NPO法人が「提携している司法書士」がいたのだ。そして、その名前は「高橋」という。健太は、司法書士の知り合いに「高橋」という名の人物はいないか、頭の中でリストアップしてみたが、心当たりはない。

「花田さん、この『高橋』という司法書士に、会いましたか?」健太は尋ねた。

 花田さんは、首を横に振った。「いや、会っていないよ。忙しいからと断っていたんだ。でもね、そのNPO法人の人が言うには、『とにかく一度、この司法書士に相談すれば、全て解決する』って。なんだか、妙に押しの強い話し方だったから、ちょっと怖くなってね」

 健太は、名刺に書かれた「高橋司法書士」の名前を改めて凝視した。この「高橋」という人物は、NPO法人「ふるさと再生プロジェクト」と共謀し、地面師詐欺に加担している可能性が高い。

 健太は、すぐに司法書士会の名簿で「高橋」という名前の司法書士を検索した。すると、県内に数人の「高橋」姓の司法書士が存在した。その中で、NPO法人の住所に近い場所で開業している司法書士が一人いた。しかし、その司法書士の評判は、特に問題があるようには見えない。

 もし、この「高橋」という名前が偽名だとしたら?

 あるいは、実在する司法書士の名前を勝手に使っているだけだとしたら?

 健太は、花田さんに、この「高橋」司法書士に決して会わないよう、固く忠告した。

「花田さん、この司法書士には、絶対に会わないでください!彼らは、あなたを騙そうとしている可能性が高いです!」

 花田さんは、健太の剣幕に驚き、顔を青ざめさせた。「ええ!?そんな…!」

「もし、またNPO法人の人間が来たら、すぐに私に連絡してください。決して、彼らの話に乗らないでください」

 健太は、花田さんに、正義の身に起こっていることを簡潔に説明した。花田さんは、驚きと恐怖で顔をこわばらせていた。

「そんな…鈴木さんのところも…!この下町が、そんな恐ろしいことになっているとは…」

 花田さんは、自分の八百屋だけでなく、この下町の他の住民たちも狙われていることに気づき、深い不安に陥った。

 健太は、花田さんを落ち着かせ、安心させるように語りかけた。

「大丈夫です、花田さん。私たちが、この悪質な詐欺師たちを必ず食い止めます。決して、この下町の土地を、彼らの思い通りにはさせません」

 花田さんは、健太の言葉に、わずかな希望を見出したかのように、ゆっくりと頷いた。そして、ミケの頭をもう一度撫でると、震える足で事務所を後にした。

 事務所には、再び重い空気が漂っていた。健太は、ミケに目をやった。ミケは、花田さんの名刺をじっと見つめていた。その瞳は、まるで、この名刺の裏に隠された、もう一つの闇を見透かしているかのようだった。

「『高橋』……お前は誰だ?」健太は、心の中で呟いた。

 NPO法人「ふるさと再生プロジェクト」。その背後にある「高橋」という司法書士。そして、この下町全体を飲み込もうとしている、再開発の影。

 健太は、この事件が、自分が想像していたよりもはるかに大規模で、根深いものであることを悟った。しかし、同時に、この街を守るという強い使命感も湧き上がってきた。

 ミケは、健太の決意を感じ取ったかのように、小さく「ニャア」と鳴いた。その声は、健太に「一緒に戦おう」と語りかけているかのようだった。


【免責事項および作品に関するご案内】

 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、地名等はすべて架空のものです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。

 また、本作は物語を面白くするための演出として、現実の法律、司法書士制度、あるいはその他の専門分野における手続きや描写と異なる点が含まれる場合があります。 特に、司法書士の職域、権限、および物語内での行動には、現実の法令や倫理規定に沿わない表現が見受けられる可能性があります。

 これは、あくまでエンターテイメント作品としての表現上の都合によるものであり、現実の法制度や専門家の職務を正確に描写することを意図したものではありません。読者の皆様には、この点をご理解いただき、ご寛恕いただけますようお願い申し上げます。

 現実の法律問題や手続きについては、必ず専門家にご相談ください。

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