3-2. 秘密結社の残滓
古地図が指し示す「隠された宗教施設」の存在、そしてそれがこの下町の地下水脈と深く関わっている可能性は、健太の心を深く揺さぶった。単なる地面師詐欺事件が、地域の歴史を巻き込んだ壮大な謎へと変貌していく。健太は、小林教授の鑑定結果と、そこから得られた新たな情報を持って、再び橘弁護士の事務所を訪れていた。ミケは、健太のショルダーバッグの中で、静かに眠っている。
「小林教授の見立てによれば、この地図は、江戸時代後期から明治初期にかけて、この下町に存在した『七星社』という秘密結社が作成したものだそうです」健太は、橘弁護士に説明した。
橘弁護士は、古地図を広げ、真剣な表情で見ていた。 「七星社……。聞いたことのない名前ですね。政府に禁じられた秘密結社とは、穏やかではありませんね」
「ええ。彼らは、この地域の地下水脈を利用して、特殊な儀式を行っていたと伝えられています。そして、その儀式は、この地域の『豊穣』をもたらす、と信じられていたようです」
健太は、小林教授から聞いた話を、橘弁護士に詳しく説明した。秘密結社が、地下に複雑な施設を作り上げ、夜間に秘密の儀式を行っていたこと。そして、その入り口が、現在「闇夜の神社」と呼ばれている廃神社の跡地にあった可能性が高いこと。
橘弁護士は、腕を組み、深く考え込んでいた。 「なるほど……。NPO法人『ふるさと再生プロジェクト』が、単に鈴木さんの土地を狙っていただけでなく、その地下にある旧日本軍の弾薬庫、さらには、この七星社の秘密施設、そしてその地下水脈そのものを手に入れようとしていたとすれば、全てが繋がりますね」
「はい。彼らは、再開発を隠れ蓑にして、これらの地下施設にアクセスしようとしていたのではないでしょうか。特に、水利権が絡んでくるとすれば、その動機はより明確になります」
橘弁護士は、古地図の鳥居の記号に指を置いた。 「では、この廃神社の地下が、七星社の秘密施設の入り口である可能性が高いと。しかし、そこには、まだ誰も足を踏み入れていないのですね?」
「はい。小林教授によれば、この地図以外に、その秘密施設の具体的な場所を示すものは残されていないそうです。警察も、弾薬庫の件で地下を捜査しましたが、この秘密施設の入り口までは特定できていないようです」
橘弁護士は、健太の目を見た。 「佐々木先生。この七星社の秘密施設。我々で、さらに詳しく調査してみる必要がありそうですね」
健太は、橘弁護士の言葉に、胸が高鳴るのを感じた。警察が介入できない領域。それは、司法書士と弁護士の連携によって、初めて足を踏み入れることができる場所だ。
「しかし、危険が伴うかもしれません」健太は、慎重に言った。
「もちろんです。しかし、この七星社の秘密が、今回の地面師詐欺事件の核心にあるとすれば、これを解明しない限り、真の解決には至らないでしょう。それに、小林教授も言っていたように、この地域には、まだ知られざる歴史が隠されている。その秘密を暴くことは、この街の未来を守るためにも重要だと考えます」
橘弁護士の言葉は、健太の心に強く響いた。
その日の午後、健太は橘弁護士、そしてミケとともに、廃神社の跡地を訪れた。そこは、下町の喧騒から離れた、ひっそりとした場所だった。鳥居は朽ち果て、社殿も既に存在しない。ただ、苔むした石碑が、かつてそこが神社であったことを物語っていた。周囲には、雑草が生い茂り、誰も訪れる者がいないことを示している。
ミケは、健太のショルダーバッグから顔を出すと、周囲の空気を嗅ぐかのように、鼻をひくつかせた。そして、石碑の周りを、慎重に歩き始めた。
健太は、古地図を取り出し、石碑の位置と、地図に描かれた鳥居の記号を照合した。場所は、間違いなくここだ。しかし、どこにも、地下への入り口らしきものは見当たらない。
「地図によれば、この石碑の真下に、入り口があるはずなのですが……」健太は呟いた。
橘弁護士は、周囲を注意深く見回した。 「長い年月を経て、地表が隆起したり、土砂が堆積したりした可能性もありますね」
ミケは、石碑の周りを何度か回ると、突然、石碑のすぐ隣にある、古びた石灯籠に飛び乗った。そして、その石灯籠の台座の部分を、前足でチョン、と叩いた。
「石灯籠……?」健太は首を傾げた。なぜ、今、石灯籠?
ミケは、健太の問いには答えず、石灯籠の台座を指し示したまま、健太の顔をじっと見つめている。その瞳は、まるで「ここを見ろ」とでも言いたげに輝いている。
健太は、ミケに促されるままに、石灯籠の台座の部分を詳しく調べてみた。長年の風雨に晒され、苔が生い茂っているが、その中に、ごくわずかな「凹み」があることに気づいた。それは、まるで、何かをはめ込むための穴のようにも見える。
「この凹みは……?」健太は呟いた。
ミケは、凹みと、健太の顔を交互に見て、何かを訴えかけている。その視線は、健太のショルダーバッグに、まるで「中の何か」を出すように促しているかのようだった。
健太は、ミケの意図を測りかねた。しかし、ミケがこれほどまでに執着するからには、何か意味があるはずだ。
健太は、ショルダーバッグの中を探ってみた。すると、先日、蔵の地下から持ち帰った古文書の中に、小さな金属製の鍵のようなものが紛れ込んでいることに気づいた。それは、古びてはいるが、独特の装飾が施されている。
健太は、その鍵を手に取り、石灯籠の台座の凹みに合わせてみた。すると、その鍵は、まるで測ったかのように、凹みにピッタリとはまった。
カチッ、という小さな音が響いた。
健太と橘弁護士は、思わず息を飲んだ。
すると、石灯籠が、ゆっくりと横にスライドし始めた。そして、その下から、ひんやりとした、暗い地下への階段が姿を現した。
「開いた……!」健太は、驚きと興奮で声を上げた。
橘弁護士もまた、その光景に目を見開いていた。「まさか、こんな仕掛けがあったとは……!」
ミケは、健太の肩の上で、満足そうに「ニャア」と一声鳴いた。その瞳は、健太に「さあ、行こう」と語りかけているかのようだった。
健太は、スマートフォンで懐中電灯を点灯させ、階段の奥を照らした。階段は、石造りで、苔が生い茂っている。先が見えないほど、深く続いているようだ。
「ここが、七星社の秘密施設への入り口……」健太は、呟いた。
橘弁護士は、健太の隣に立ち、慎重な面持ちで階段の奥を覗き込んだ。 「佐々木先生、危険が伴うかもしれません。もし、罠が仕掛けられていたり、毒ガスのようなものがあったりしたら……」
「大丈夫です。ミケがいますから」健太は、ミケを指差した。ミケは、健太の言葉に答えるかのように、「ニャア」と一声鳴き、自信満々な表情で階段の奥を見つめている。
健太は、ミケを連れて、ゆっくりと階段を下り始めた。一歩一歩、足音を立てながら、未知の地下空間へと足を踏み入れていく。湿った空気が、健太の肌を撫でる。土と、カビ、そして、どこか甘いような、独特の匂いが漂ってくる。
階段を降りると、そこは、まるで時が止まったかのような空間だった。石造りの通路が、闇の奥へと続いている。通路の壁には、ところどころに、古地図にも描かれていた奇妙な記号が刻まれている。
健太は、スマートフォンのライトで周囲を照らしながら、慎重に進んでいった。通路の途中には、いくつかの枝分かれがあり、まるで迷宮のようだ。
ミケは、健太の足元を離れず、先導するように歩いている。時折、立ち止まっては、周囲の匂いを嗅ぎ、健太に「こっちだ」とでも言うかのように、特定の方向を指し示す。
ミケの導きに従い、健太は通路を進んでいった。しばらく歩くと、通路の壁が、突然、違う材質に変わった。それは、まるで金属のような、冷たい感触の壁だ。
「これは……」健太は、壁に触れてみた。ひんやりとして、どこか人工的な感触がする。
ミケは、その金属の壁に顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。そして、壁の一部を、前足で激しく掻き始めた。
「ミケ、どうしたんだ?」
ミケは、その金属の壁と、健太の顔を交互に見て、何かを伝えようとしている。その瞳は、まるで「ここからだ」とでも言っているかのようだ。
健太は、ミケが掻いている場所を詳しく調べてみた。すると、金属の壁の一部が、他の部分とは異なり、わずかに浮き上がっていることに気づいた。それは、まるで、壁の一部が、秘密の扉になっているかのようだ。
健太は、ミケのヒントを元に、その浮き上がった部分を、指で押してみた。すると、ガチャリ、という重い音が響き、金属の壁がゆっくりと横にスライドし始めた。
その奥には、広大な空間が広がっていた。健太は、息を飲んだ。
そこは、まるで巨大な地下水路のような場所だった。天井は高く、中央には、大量の水が滔々と流れる水路が作られている。水路の周りには、複雑な機械装置のようなものが設置されており、その装置からは、微かに、金属の匂いと、水の匂いが混じり合って漂ってくる。
「これは……!」健太は、その光景に圧倒された。
橘弁護士も、その光景に目を見開いていた。「これが、七星社が地下水脈を利用して儀式を行っていた場所……。まさか、こんな大規模な施設が、この下町の地下に隠されていたとは……」
ミケは、水路の縁に立ち、水面をじっと見つめている。そして、水の中から、何かを感知したかのように、鼻をひくつかせた。
その時、健太の耳に、微かに、人の声が聞こえてきた。
「誰かいるのか!?」健太は、思わず声を上げた。
健太と橘弁護士は、警戒しながら、声のする方へとゆっくりと近づいていった。水路の奥には、さらに通路が続いており、その先から、人の声が聞こえてくる。
健太の胸に、嫌な予感が走った。この地下施設に、一体誰が……?
そして、その声は、健太には聞き覚えのある声だった。それは、山田の共犯者の声だ。代表理事は逮捕されたが、彼の共犯者たちがまだ潜伏している可能性があった。
「まさか……まだ、ここに!?」健太は、思わず身構えた。
橘弁護士も、健太の顔を見て、緊張した面持ちで頷いた。
健太は、ミケに目をやった。ミケは、健太の顔を見上げ、その瞳は、まるで「気をつけろ」とでも言っているかのようだった。
健太は、慎重に、声のする方へと進んでいった。そして、通路の角を曲がると、そこに広がっていた光景に、健太は再び息を飲んだ。
そこには、山田の共犯者である数人の男たちが、水路のほとりで、何かを作業している姿があった。彼らの手元には、工具のようなものが見える。そして、水路の中には、何か大きな金属製の物体が沈められているようだった。
「やはり……彼らがここに!」健太は、怒りに震えた。
男たちは、健太たちの存在に気づくと、顔色を変えた。 「な、なぜここに!?貴様らは一体……」
「これ以上、この下町の歴史を汚させない!」健太は、強い決意を込めて言った。
ミケは、健太の足元から、男たちに向かって、まるで威嚇するかのように、大きく「シャアアア!」と唸った。
地下水路に響くミケの威嚇の声。それは、この下町に隠された秘密の場所で、正義と悪の最後の戦いが始まることを告げていた。
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