3-1. 地下迷宮への序章
鈴木醸造の蔵の壁の中から見つかった古地図は、健太の心を掴んで離さなかった。錆びた金属片が示した地下の異変、そしてミケの導きが明らかにした、この下町に眠る知られざる歴史。これらが全て、この一枚の地図へと収斂していく。健太は、橘弁護士に地図と資料を送り届けた後も、夜遅くまで事務所のデスクで、その古地図を広げていた。ミケは、健太の隣で、地図をじっと見つめている。その瞳には、健太と同じくらいの好奇心が宿っているかのようだった。
地図は、煤けた羊皮紙に、墨で手書きされたもののようだった。ところどころに破れやシミがあり、長い年月を経てきたことを物語っている。描かれているのは、江戸時代から明治初期にかけての下町の主要な建物や道路だが、その中に、奇妙な記号や謎の文字が点在しているのだ。
特に健太の目を引いたのは、鈴木醸造の蔵の地下から伸びる、複数の点線だった。それらは、まるで血管のように地下を巡り、いくつかの地下施設へと繋がっているように描かれている。その中には、先日警察が発見した旧日本軍の弾薬庫を示す記号も明確に記されていた。
「ミケ、これは一体何を示しているんだろうな……」健太は呟いた。
ミケは、「ニャア」と一声鳴くと、地図の中の、ある記号を前足でチョン、と触った。それは、弾薬庫の記号とは別の、まるで古い鳥居のような形をした記号だった。その記号の周りには、小さな文字がびっしりと書き込まれているが、古すぎて判読できない。
「鳥居……?」健太は首を傾げた。鳥居といえば、神社の入り口にあるものだ。なぜ、地下の地図に鳥居が描かれているのだろうか?
ミケは、鳥居の記号と、健太の顔を交互に見て、何かを訴えかけている。その瞳は、まるで「ここだ」とでも言っているかのように輝いている。
健太は、鳥居の記号が示している場所を、現在の地図と照合してみた。すると、その場所は、現在の下町の再開発地域から少し外れた、小さな廃神社の跡地であることが分かった。その神社は、明治時代に廃れて、現在は石碑だけが残されている場所だ。
「廃神社……?もしかして、あの神社の地下に、何か秘密があるのか?」健太は、思わず息を飲んだ。
ミケは、健太の推理が当たっていることを告げるかのように、満足そうに「ニャア」と一声鳴いた。
健太は、廃神社の歴史について、インターネットで調べてみた。すると、その神社は、かつて「闇夜の神社」と呼ばれ、夜になると、不思議な光が社殿から漏れ出すという言い伝えがあったことが分かった。そして、その光は、人々を地下へと誘う光だ、という伝説も残されていた。
「闇夜の神社……地下への光……」健太の背筋に、冷たいものが走った。
もし、この神社が、この地下迷宮の、あるいは、この下町に隠された「真の秘密」への入り口だとしたら?そして、NPO法人が狙っていたのは、弾薬庫だけでなく、この廃神社も含まれていたとしたら?(代表理事の逮捕時期を考慮すると、NPO法人がこれを直接的に狙っていたかは不明だが、地下施設との関連性は示唆される。)
健太は、夜が明けるのを待ちきれず、翌朝一番で、橘弁護士の事務所を訪れた。橘弁護士は、古地図を見て、驚きを隠せない様子だった。
「これは……まさか、こんなものが残されていたとは!佐々木先生、本当に素晴らしい発見です!この地図があれば、この下町の地下に隠された、知られざる歴史が明らかになるかもしれません」橘弁護士は、興奮した声で言った。
健太は、自分が読み解いた「鳥居の記号」と「廃神社の言い伝え」について、橘弁護士に説明した。
橘弁護士は、健太の話を聞き終えると、腕を組み、深く考え込んでいた。
「なるほど……。もし、この廃神社の地下に、何らかの施設が隠されているとすれば、そして、それがこの事件と関係しているとすれば……。この下町は、我々が想像していた以上に、深い闇を抱えているのかもしれません」
「警察には、この情報を提供すべきでしょうか?」健太は尋ねた。
「もちろんです。しかし、この地図は、あまりにも情報量が多い。そして、この『闇夜の神社』の言い伝え……。場合によっては、警察もすぐに信じないかもしれません。まずは、この地図の鑑定が必要です。そして、この奇妙な記号や文字を解読しなければならない」
橘弁護士は、冷静に判断した。この古地図の真贋と、そこに描かれた内容の信憑性を確かめる必要があるのだ。
「この地図の鑑定、そして文字の解読……どなたに依頼すればよろしいでしょうか?」健太は尋ねた。
橘弁護士は、少し考えてから、口を開いた。
「知人の伝手で、歴史学者に心当たりがあります。彼は、古文書や古地図の解読を専門としていて、この地域の歴史にも詳しい。彼に、この地図を見てもらえれば、何か分かるかもしれません」
健太は、安堵した。専門家の力を借りられれば、この地図の謎を解き明かすことができる。
その日の午後、健太と橘弁護士は、歴史学者である小林教授の研究室を訪ねた。小林教授は、白髪の混じった紳士で、知的な雰囲気を漂わせている。研究室には、山積みの古文書や、歴史に関する書籍が所狭しと並べられている。
小林教授は、健太が持参した古地図を見ると、その目に驚きの色を浮かべた。
「これは……!まさか、このような貴重な地図が、今も残されていたとは!これは、江戸時代後期から明治初期にかけて、この地域を詳細に描いた、非常に珍しい地図ですぞ!」
小林教授は、健太の古地図を、虫眼鏡で細部まで確認していった。そして、地図に描かれた奇妙な記号や文字を、熱心に解読し始めた。
「この記号は……やはり、古い宗教施設を示すものですな。そして、この文字は……」
小林教授は、古文書と地図を見比べながら、唸るように言った。そして、やがて、驚きの声を上げた。
「これは……!この地図は、この下町に存在した、『隠された宗教施設』を示していますぞ!」
健太と橘弁護士は、思わず身を乗り出した。
「隠された宗教施設、ですか?」健太は尋ねた。
「ええ。この地域には、かつて、政府に禁じられた、ある秘密結社が存在したという記録が残っています。彼らは、地下に隠された施設で、秘密の儀式を行っていたと言われています」小林教授は、真剣な表情で語った。
「秘密結社……!?」健太は、驚きを隠せない。
「ああ。その秘密結社は、この地域の『地下水脈』を利用して、特殊な儀式を行っていたという言い伝えがある。そして、その儀式は、この地域の『豊穣』をもたらす、と信じられていたようです。そのために、地下に、複雑な施設を作り上げたのでしょう」
小林教授の言葉に、健太は全身に鳥肌が立った。もし、この古地図が、その秘密結社の地下施設を示しているとしたら?そして、NPO法人が、この秘密結社の地下施設に何らかの関心を持っていたとしたら?
「この地図に描かれている鳥居の記号は、その秘密結社の入り口を示している可能性が高い。そして、その『闇夜の神社』の言い伝えも、この秘密結社が、夜間に秘密の儀式を行っていたことを示唆しているのでしょう」小林教授は、地図を指し示しながら説明した。
「では、NPO法人『ふるさと再生プロジェクト』は、この秘密結社の地下施設について、何らかの情報を得ていたのでしょうか?」健太は尋ねた。
小林教授は、頷いた。「その可能性は十分にあります。彼らが再開発を隠れ蓑にして、この地下施設にアクセスしようとしていた、あるいは、そこから何か価値のあるものを探し出そうとしていたのかもしれません」
健太は、改めてミケに目をやった。ミケは、健太の推理が当たっていることを告げるかのように、静かに健太の顔を見つめていた。ミケが示した「ひび割れ」は、単なる地下通路の入り口ではなかった。それは、この下町に隠された、もう一つの歴史への入り口だったのだ。
「この秘密結社は、具体的にどのような活動をしていたのですか?」橘弁護士が尋ねた。
小林教授は、少し困ったような顔をした。「それが、記録がほとんど残されていないのです。政府に禁じられた存在だったため、徹底的に抹消されたのでしょう。ただ、彼らが、この地域の地下水脈に、何らかの特別な意味を見出していたことだけは、確かなようです」
地下水脈……。健太は、鈴木醸造の醤油造りに使われる井戸の水を思い出した。そして、あのNPO法人が、不正融資を企てていた際、水利権に関する書類に不審な点があったことを。
「もしかしたら、彼らが狙っていたのは、この秘密結社の遺産だけでなく、この地域の水利権そのものだったのかもしれません」健太は呟いた。
橘弁護士と小林教授は、健太の言葉にハッとした表情を見せた。
「なるほど……。地下水脈、水利権……。それは、可能性として十分に考えられますね」橘弁護士は、腕を組み、深く考え込んだ。
小林教授は、地図を健太に返しながら言った。「佐々木先生、この地図は、非常に貴重なものです。これを元に、この下町の地下の秘密を、さらに詳しく調べていく必要があるでしょう。私も、できる限り協力させていただきます」
健太は、小林教授の言葉に感謝した。
小林教授の研究室を後にした健太と橘弁護士は、警察署に向かうことにした。この新たな情報を、田中刑事に伝える必要がある。
「佐々木先生、本当に素晴らしい発見です。この地図が、事件の核心を解明する鍵になるかもしれません」橘弁護士は、健太に言った。
健太は、ミケに目をやった。ミケは、健太の肩の上で、満足そうに喉を鳴らしている。この古地図の発見は、ミケの導きがなければあり得なかったことだ。
警察署で、田中刑事に古地図と、小林教授の鑑定結果について説明すると、田中刑事もまた、驚きを隠せない様子だった。
「まさか、この下町の地下に、そんな秘密が隠されていたとは……。そして、あのNPO法人が、そんな歴史的な秘密に関連していたとは……。これは、我々が想像していたよりも、はるかに大きな事件だ」
田中刑事は、すぐに鑑識に連絡し、古地図のさらなる分析と、廃神社の跡地の調査を指示した。
「佐々木先生、君の発見は、この事件の全貌を解明する上で、決定的なものになるだろう。引き続き、君の協力が必要だ」田中刑事は、健太に頭を下げた。
夜空の下、健太は事務所に戻った。ミケは、健太のデスクの上で丸くなり、静かに寝息を立てている。
古地図が語る秘密。それは、この下町の歴史を揺るがす、壮大な物語の序章に過ぎないのかもしれない。そして、その物語の核心には、ミケの小さな肉球が導いてくれた「微かな違和感」があったのだ。
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