2-5. 地下へ繋がる道
錆びついた金属製の部品を田中刑事に託し、健太は事務所に戻った。ミケは、健太のデスクの上で丸くなり、その小さな体で健太の心を支えてくれているかのようだった。警察の鑑識による分析結果を待つ間にも、健太はできる限りの情報収集を進めなければならない。この部品が、この再開発の闇を暴く重要な鍵となることは間違いない。
「一体、これは何なんだろうな……」健太は、ポケットに入れたままの部品の感触を確かめるように、指先で触れた。微かに残る土とカビのような匂い。それが、あの仮設事務所の奥に隠された「地下の作業室」と繋がっている。
健太は、改めて鈴木醸造の蔵について、インターネットで調べてみた。すると、その歴史の古さから、いくつか興味深い情報が見つかった。
鈴木醸造の蔵は、江戸時代後期に建てられたとされ、当時は、単なる醤油の貯蔵庫としてだけでなく、非常時の避難場所や、貴重品の保管庫としても使われていたという記録が残っている。さらに、地元の郷土史家のブログには、「蔵の地下には、秘密の通路があったという言い伝えがある」という記述も見られた。
「秘密の通路……?」健太は、思わず息を飲んだ。
もし、その秘密の通路が、現代まで残されており、今回の地面師たちが、それを知って狙っているとしたら?そして、あの仮設事務所の地下の部屋と、鈴木醸造の蔵の地下が、何らかの形で繋がっているとしたら……?
健太の頭の中で、映画のようなシナリオが浮かんだ。しかし、これは現実だ。
「ミケ、この蔵の地下には、何か秘密があるのか?」健太は、ミケに語りかけた。
ミケは、「ニャア」と一声鳴くと、健太のデスクの上にあった、古地図のコピーに前足を伸ばした。それは、健太が鈴木醸造の権利関係を調べる際に、法務局で入手した、かなり古い下町の地図だ。
ミケが指し示したのは、まさに鈴木醸造の蔵の場所だった。そして、その蔵の絵の上に、ミケは自分の前足で、小さな「バツ印」を描くように、爪を立てた。
「バツ印……?」健太は、ミケの行動の意味を測りかねた。何か、隠されている、ということだろうか?
ミケは、そのバツ印をつけたまま、健太の顔をじっと見ている。そして、今度は、地図の隅に描かれた、小さな井戸のマークを指し示した。
「井戸……?」
鈴木醸造の敷地内に、古い井戸があることは知っていた。醤油造りには欠かせない、昔ながらの仕込み水として使われている。
ミケは、井戸のマークと、蔵のバツ印を交互に指し示している。
健太は、ハッとした。
「もしかして、蔵の地下にある秘密の通路が、その井戸と関係しているのか?」
井戸の底から、地下通路に繋がっている、というような話は、昔話や冒険物語によく出てくる。しかし、もしそれが本当だとしたら、あの地面師たちは、その通路を使って、鈴木醸造の土地の「地下」に何かを隠そうとしている、あるいは、そこから何かを持ち出そうとしているのかもしれない。
そして、仮設事務所の地下の部屋から土とカビの匂いがしたこと、そしてミケが見つけた錆びた金属製の部品。それらは、地下での作業、あるいは、地下に隠された「何か」と関係しているのではないか。
健太は、鈴木正義に連絡を取り、蔵の地下や、井戸について、何か言い伝えや、変わったことがないか、詳しく聞いてみることにした。
正義は、健太からの電話に、少し戸惑った様子だったが、丁寧に答えてくれた。
「蔵の地下ですか……。確かに、祖父の代までは、非常食などを保管する地下室がありました。しかし、今はもう使われていませんし、入り口も固く閉ざされています。井戸についても、特に変わったことはありませんが……」
「入り口が固く閉ざされている、というのは、どういうことですか?」健太は尋ねた。
「ええ。昔、地下室から湿気が上がってくるのを嫌って、祖父が入り口をコンクリートで固めてしまったんです。もう何十年も、誰も中に入っていません」正義は、申し訳なさそうに言った。
コンクリートで固められている……。となると、地面師たちが地下室に侵入するためには、そのコンクリートを破らなければならない。それは、かなり大がかりな作業になるだろう。
しかし、もし、彼らが地下通路の存在を知っていて、すでに井戸の方から侵入しているとしたら……?
健太は、すぐに正義に、井戸の周りや、蔵の壁などに、不審な点がないか、改めて確認するよう依頼した。
その日の午後、健太は、再び山下工務店を訪れた。山下氏なら、古い蔵の構造や、井戸の造りについて、何か詳しいことを知っているかもしれない。
山下氏は、健太の話を聞くと、腕を組み、唸った。
「蔵の地下室をコンクリートで固めた、か……。それは厄介だな。だが、地下に秘密の通路があったという言い伝えは、私も聞いたことがある。この辺りの古い蔵には、そういうものが珍しくないんだ」
「その通路は、どこに繋がっていると言われているんですか?」健太は身を乗り出した。
「さあな。言い伝えは曖昧でな。ただ、非常時に逃げ道として使われたとか、隠し財産を隠すために使われたとか、色々な話がある。だが、井戸に繋がっているという話は、聞いたことがないな」山下氏は、首を横に振った。
しかし、ミケが井戸を指し示したことを、健太は忘れていなかった。ミケのヒントには、必ず意味がある。
「山下さん、もし、その秘密の通路が、井戸の底に繋がっているとしたら、どうやって侵入すると思いますか?」健太は尋ねた。
山下氏は、しばらく考えていたが、やがて、顎に手を当てて言った。
「井戸の底からだとすれば、まず井戸の水を抜き、底を掘り進めることになるだろうな。だが、井戸はかなり深い。それに、もし通路が崩れたりすれば、命に関わる。素人が簡単にできることじゃない」
「では、プロの道具を使えば……?」
「うむ。専門の掘削機材や、防水設備などがあれば、不可能ではないだろう。だが、そんな大がかりな作業をすれば、必ず音が出る。周囲に気づかれないようにやるのは、かなり難しいはずだ」
山下氏の言葉に、健太は疑問を抱いた。もし、地面師たちが地下通路から侵入しようとしているなら、必ず大きな音が出るはずだ。しかし、これまでのところ、鈴木正義も、近所の住民も、特に変わった音を聞いたとは言っていない。
その時、ミケが、健太の足元で、突然、大きく身震いした。そして、山下工務店の壁に貼られた、一枚の古いカレンダーに目を向けた。そのカレンダーには、「梅雨明け」という文字が大きく書かれている。
「梅雨明け……?」健太は、ミケの意図を測りかねた。なぜ、今、梅雨明け?
ミケは、カレンダーと、山下氏の顔を交互に見て、何かを伝えようとしている。その視線は、山下氏の作業着に、微かに付着している泥の痕跡に向けられている。
「山下さん、最近、どこかで土を掘る作業でもされましたか?」健太は尋ねた。
山下氏は、頷いた。「ああ、最近、古い家の基礎工事を請け負っていてな。雨が続いて、現場が泥だらけだったんだ」
健太は、ハッとした。雨。泥。梅雨明け。
もし、地面師たちが、雨の音に紛れて、地下の掘削作業を行っていたとしたら?
梅雨の時期なら、雨音が大きいため、周囲に作業の音が聞こえにくい。そして、雨が降れば、地面は泥だらけになる。掘削作業で出た土を、その泥に混ぜてしまえば、不審がられることもない。
そして、梅雨が明ければ、雨音に紛れて作業を行うことが難しくなる。だから、彼らは梅雨が明ける前に、一気に地下への通路を確保しようとしていたのかもしれない。
「ミケ、お前は、それを教えてくれたのか!」健太は、ミケの頭を優しく撫でた。
ミケは、健太の言葉に「ニャア」と満足そうに鳴いた。その瞳は、健太の推理が当たっていることを告げているかのようだった。
健太は、すぐに田中刑事に連絡を入れた。
「田中刑事!NPO法人『ふるさと再生プロジェクト』は、梅雨の間に、鈴木醸造の蔵の地下に繋がる通路を掘っていた可能性があります!井戸から侵入しているかもしれません!」
田中刑事は、健太の言葉に驚きを隠せない様子だった。
「なに!?梅雨の間に掘削作業を……?それは盲点だった。雨の音に紛れて作業を進めていたとすれば、周囲に気づかれずに行うことも可能だ」
「そして、仮設事務所の地下の部屋からは、土とカビの匂いがしました。ミケが見つけた錆びた金属部品も、地下での作業で使われたものかもしれません」健太は続けた。
田中刑事は、深く息を吐いた。「なるほど……。君の推測が正しければ、彼らは、単に土地を奪うだけでなく、その地下に何かを隠そうとしている、あるいは、そこから何かを持ち出そうとしている可能性が高い」
「そうです。そして、あのNPO法人が、『再開発準備室』という仮設事務所を置いているのは、その地下での作業を隠蔽するためかもしれません」
田中刑事は、電話口で唸っていた。
「分かった。すぐに裏付け捜査を開始する。地下への侵入ルートと、その目的を突き止める。君の情報は、非常に重要だ。これで、我々の捜査も大きく進展するだろう」
健太は、田中刑事の言葉に安堵した。これで、警察の捜査は、地上だけでなく、地下へと広がる。
「くれぐれも、単独行動は慎むように。相手は、地下にまで手を伸ばすほどの組織だ。何をするか分からない」田中刑事は、健太に改めて忠告した。
「はい、承知いたしました」健太は、電話を切った。
山下氏は、健太と田中刑事のやり取りを、隣で聞いていた。
「佐々木先生、地下にそんな秘密があったとは……。この街の歴史は深いからな」
「山下さん、ありがとうございます。あなたのおかげで、この重要な手がかりにたどり着くことができました」健太は、山下氏に深々と頭を下げた。
「いやいや、君の賢い猫のおかげだよ。それに、この街のためだ。何か困ったことがあれば、いつでも頼ってくれ」山下氏は、温かい笑顔で言った。
健太は、山下氏の言葉に、心強い味方がいることを改めて感じた。
事務所に戻ると、ミケは、健太のデスクの上で丸くなり、満足そうに寝息を立てていた。その小さな寝顔を見ていると、健太の心にも、静かな安堵感が広がった。
この地面師詐欺の闇は、想像以上に深く、そして広範囲に及んでいる。しかし、ミケが導いてくれる「微かな違和感」を頼りに、健太は一歩ずつ、その闇の核心へと近づいていた。
警察が、NPO法人「ふるさと再生プロジェクト」の地下に隠された秘密を暴く日は、そう遠くないだろう。そして、その先には、この下町の未来を左右する、大きな真実が待っているはずだ。
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