第8話 経験がないので…
雪宮と並んで歩く。
それだけで妙に心が落ち着かなかった。
すれ違う人が皆、雪宮に振り返る。
雪宮にはそれだけの圧倒的なオーラがあった。
「雪宮、さっきは助けてくれてありがとう」
「え?」
俺の言葉に雪宮が首を傾げる。
「大沢たちにちゃんと処分が下るように計らってくれただろ? あのままだったらお咎めなしになりそうだったから助かった。雪宮のおかげだ」
「っ!!!」
雪宮が慌ててそっぽを向く。
「べ、別にお礼を言われるほどのことではありません。道端に重い荷物を持ったご老人がいたら代わりに荷物を持つでしょう? それくらい、しないと人間的に難あり判定されてしまうほどの、人間の尊厳を守るための善行であって、もはやそうなると善い行いとも言えないわけですし、水樹さんにわざわざお礼を言われることでは……」
「う、うん」
言葉数の圧に負けてほとんど理解できなかったけど、素直に褒められることが照れくさいということだけはわかった。
完全無欠の女王様のように見えて、その点はしっかり人間らしい。
「……こほん。ですので、水樹さんは気にしないでください」
そんなことより、と雪宮が続ける。
「私が水樹さんを待っていたのは、あの日の清算についてです。やっぱり私は、あの日の恩を完結させないわけにはいきません。何かしら返させてください」
「それで言ったら、さっきの件は十分すぎるほどに俺にとって恩返しになってると思うんだけど」
「なってませんよ! さっきも言いましたが、あれは当然のことをしたまで。私はただ目についた間違いを正しただけに過ぎないんです! だから……まだあの時のお礼は未消化です」
「その雪宮の理論で行くと、俺の行いも同じで……」
「同じじゃありません!!」
雪宮が顔をグッと近づけてくる。
真剣な眼差し。
目と鼻の先に雪宮の綺麗な顔があった。
数秒、目が合う。
やがて雪宮は目力を緩めると、ハッと我に返った。
「っ!!! す、すみません。つい熱が入ってしまって……」
雪宮が前髪を触りながら、元の位置に戻る。
そして言い訳のように、テンパった様子で口を開いた。
「ふ、普段異性と接する機会がないので、距離感が分からないんです。すみません、不慣れで……」
「意外だな。雪宮くらい綺麗な人なら、引く手あまただと思ってた」
「きれ……! ん、んんっ! ……あ、ありがとうございます」
「どういたしまして?」
なんで感謝されたのかよくわからないが、一応返しておく。
「とにかく、あなたにお礼をするまで私はあなたから離れられません」
「急に成仏できない幽霊みたいなこと言い始めたな……」
「っ! ……ふふっ、成仏できない、幽霊……」
しかも俺の発言がツボったらしい。
そういえば、雪宮が笑っているところは初めて見た気がする。
意外に年相応なところもあるんだな。
「雪宮の気持ちは嬉しいけど、本当にしてほしいこととかないんだよ。お礼をもらうことに納得もしてないし、雪宮の要望には応えられそうにないんだけど……」
「……なるほど、そうですか。まぁ、そう言うんじゃないかと思ってましたけど」
雪宮が鞄をガサガサと漁り始める。
「だから、この件は長い目で向き合っていこうと私は決めました」
「長い目?」
「はい、長い目です」
そう言って、雪宮はピンク色の包みを取り出し、俺に差し出してきた。
「お気持ちばかりに、クッキーを焼いてきたんです。ひとまずこれを受け取ってください」
「クッキー?」
雪宮から受け取り、中を見てみる。
中にはハート型のクッキーがいくつも入っていた。
「要するに、お礼の“頭金”みたいなものです」
「聞いたことない例えなんだけど」
「これから先、私にしてほしいお礼を考えてください。私はいつでも待っていますから」
ほんとは大丈夫だとこの提案を断りたい。
しかし、雪宮が長い目で見るようにしたのは妥協の末。
そして雪宮は相当な頑固だからこれ以上は折れないだろう。
「……わかった」
だから俺は、この提案を受け入れるしかないのだ。
断ったところで、雪宮は背後霊みたく付きまとってくることはわかり切っているし。
「ありがとうございます」
「クッキー、食べてみてもいいか?」
「ぜひ」
包みからクッキーを取り出す。
形はとても綺麗で、月並みだが美味しそうだった。
「いただきます」
クッキーを一つ、口に放り込む。
――その刹那。
俺の味覚が強烈に刺激された。
……なんだこれ。信じられないくらいマズいんだけど。
「ど、どうですか? 実は私、普段は料理とかしないんですけど、今回は水樹さんのために頑張ってみて……舌に合わなければ遠慮なく言ってください。その……多少は落ち込みますけど、向上心を持って改良を……」
モジモジしながら捲し立てる雪宮を横目に、必死にクッキーを咀嚼する。
どうすればクッキーをここまでマズくできるかわからない。
が、一つ分かることは――頑張って作ってきてくれた雪宮を傷つけられないということだ。
「お、美味しいよ」
「ほんとですか⁉ ……ふふっ、よかったです」
普段ガードの固そうな、鉄壁感のある雪宮が頬を緩ませる。
そんな姿を見て、ますますマズいなんて言えず。
俺はただひたすら美味しそうに、雪宮が焼いてくれたクッキーを食べるのだった。
♦ ♦ ♦
※大沢美琴視点
あれから数日が経った。
動画をあげた私と、動画を撮っていた寛人は一か月の停学。
他の三人は二週間の停学処分が言い渡された。
学校には行けず、家に籠る日々。
パパには、
『……はぁ、本当に情けない。大人しくしていろとあれほど言っていたのに……これ以上俺を失望させないでくれ。いいな』
「くっ……ムカつく……!」
私は悪くない、絶対に悪くない!
ちょっと動画を上げただけなのに、騒ぎになって……。
どうせ私が色んなもの持ってる上の人間だから僻んでんでしょ?
悪口書き込んだ奴だって、全員……!
……キモ。マジキモすぎ。
そして、特にキモいのは……。
「雪宮氷莉、そして……水樹」
あの二人のせいだ。
私がこんな理不尽な目に遭わされているのは。
私はこれまでの人生で屈辱を味あわされたことはほとんどない。
誰かに舐められたことだってなかった。
いつだって私は誰かの上で、誰も反抗なんてしてこなかった。
いや、しちゃいけないんだ。
なのに……!
「絶対に後悔させてやる……私を敵に回したことを……フフッww」
私には強くて怖~い友達がたっくさんいんだよねww
だから、社会で盾突いちゃいけない奴がいるってことを私があのしょうもない二人に教えてあげないと。
その身をもって、ね?www
「フフフフ……アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!!!」