第4話 天国と地獄の始まり
重々しい雰囲気で雪宮は話し始めた。
「あれは半年前。休日に一人で出かけていて、迷って細い路地裏に入ってしまったんです。そうしたら、ガラの悪い男性三人に絡まれてしまって……」
「ねぇ、キミ。めっちゃ可愛いね。俺たちと遊ぼうよ」
「いえ、これから用事があるので」
「えぇー? そう水臭いこと言わずにさぁ!」
男が雪宮に手を伸ばす。
「やめてください!」
雪宮が男の手を振り払う。
すると男の雰囲気が一変した。
「おいおいおいおい……そんな乱暴に断んなくてもよくない?」
「ってか、近くで見るとマジで可愛いな。絶対、芸能人かなんかだろ」
「とんでもねぇ上玉……ますます逃せねぇな。ちょっとついてこい」
今度は力強く雪宮の手を掴む。
「っ! 離してください!」
「暴れんなってww別にキミが怖がるようなことはしないからさ?」
「楽しいことするだけだって! 俺たち四人で、ねぇ?ww」
「っ!!!」
抵抗するも、成人男性三人にか弱い女の子一人で敵うわけがなく。
路地裏の奥へ連れて行かれそうになった――そのとき。
「――その子から離れろ」
現れる、一人の男。
それが、声を聞いて駆け付けた俺、水樹朔だった。
「あ?」
「ガキが首突っ込んでんじゃねぇよ。痛い目見たくなきゃ立ち去んな」
「たす、けて……」
雪宮が怯えた目で俺を見る。
俺は迷わずに雪宮を見て答えた。
「――任せろ」
男に近づく俺。
「おいおい、忠告が聞こえてなかったのか?ww」
「ヒーロー気取りのガキが……仕方ねぇwwちょっと痛い目に遭わせて……ッ⁉⁉⁉」
襲い掛かってくる男。
俺は男の拳を手のひらで受け止めると、そのまま腕を掴んで投げ飛ばした。
「カハッ!!!」
肺から空気が押し出され、悶える男。
「「ッ!!!!!!」」
残りの二人は苛立ったように顔を歪め、雪宮から手を離して迫ってきた。
「テメェ!!!」
「この野郎ォオオオオオ!!!」
同時に俺の顔面目掛けて拳を繰り出してくるも、容易く二撃とも避けてみせ、隙だらけのみぞおちに拳を入れる。
「グハッ!!!」
そしてその勢いのまま、最後の一人の顔面を手で摑み、頭ごと地面に叩きつけた。
「ウグッ!!!!」
二人を無力化した時間――わずか十秒。
あっという間にガラの悪い男三人は地面に倒れ、起き上がれなくなっていた。
依然として怯えた様子の雪宮。
「もう大丈夫だ。安全な街中まで連れていくからついてきてくれ」
その後、雪宮を路地裏から脱出させ……。
「じゃ、気を付けて」
俺が立ち去ろうとしたその時。
「――待ってください!」
雪宮が俺の服の袖を掴んで引き留める。
彼女の手の震えはもう収まっていた。
「助けてくれてありがとうございます。それで、何かお礼を……」
「大丈夫だ。俺は人として当然のことをしただけだから」
「そうは言っても、あなたは私の恩人です」
「気を遣わなくていい」
「でも……」
「あ、そうだ。この街は治安があまりよくないから、これからは安易に路地裏に入るのはやめた方がいい」
「は、はい。わかりました」
「じゃ、それだけだから」
「え? ちょっ……」
雪宮に背を向け、人ごみに紛れて歩いていく俺。
「行ってしまいました……」
「……ということがあって、私はあなたに助けられたんです」
雪宮が話し終える。
「あー、そういえばそんなことあったな」
「そういえばって……あなたにとってはアレがそのレベルなんですね」
「え?」
「……こほん。いえ、なんでもありません。あの時は気が動転して追いかけられなかったのですが、あの後やっぱりお礼をするべきだと思ってあなたのことを探していたんです。しかし、探しても探しても見つからず……」
そりゃ見つかるわけがない。
あの街は広く、俺の家からも遠い。
それに俺はクラスメイトでさえ覚えていないレベルで影が薄い。
だから雪宮は隣の翠明高校に通っているようだが、一生懸命探したところで見つかるわけがないだろう。
「でも、動画を見てこの人だって気が付いたんです。顔とか声、それに雰囲気ですぐにわかりました。その後は制服から学校を特定して、下校時間を把握して駆け足で来て校門前で待ち伏せを……」
「若干怖いな」
言い方を選ばなければストーカーみたいだ。
改めてネットというのは怖いなと思う。
だからやっていないのだが。
「それで、改めてお礼をさせてほしいんです。あのとき助けていただいたお礼を」
「大丈夫だって言っただろ? お礼されるようなことしてないんだから」
「していますよあなたは! それに正直に言えば私、人に借りを作ったまま放置するのがすごく嫌なんです。つまり、情けなくも言ってしまえば、これは私のためでもあります」
「随分と正直者だな……」
「とにかく! あなたにお礼をさせてください! お願いします!!」
雪宮が俺に顔をグッと近づけてくる。
ふわりと女子特有の甘い匂いが香ってきた。
「そう言われてもな……」
「もちろん、助けてもらったことと同等のお礼をするつもりです」
「同等?」
「はい。例えば現金百万円とか」
「百万⁉」
思わず声が大きくなってしまう。
「それくらい、あなたに助けてもらったことは大きいんです。あのままだと私、男の人たちに何されるかわかりませんでしたから」
確かに、あの乱暴さなら犯されるとか身売りされるとか、そういう人生が終わるようなことをされていたかもしれない。
「だからって百万はさすがに……」
「安心してください、振り込みでも現ナマでも可です。もちろん、即金でも大丈夫です」
「女子高校生から現ナマって言葉を聞くとは思わなかったよ」
「もちろんお金以外でも構いません。だから……」
苦笑いを浮かべていると、雪宮が体ごと俺に近づいてくる。
少し手を動かせば、触れてしまうような距離。
雪宮は俺の目をまっすぐ見て、力強く言った。
「お願いします! 私にお礼させてください!」
「そう言われても……金とかいらないし、そもそも貸しを作ったなんて思ってないから」
あれで怪我をしたわけでもないし、多くの時間を取られたわけじゃない。
俺からすれば、お礼をされる筋合いがないのだ。
雪宮から少し距離を取る。
すると雪宮は落ち込んだように俯き、やがて鞄に手を突っ込みながら言った。
「だ、だったら……!」
雪宮がまたしても俺に迫った――そのとき。
ポケットに入れていたスマホのタイマーが鳴る。
慌ててスマホを取り出す。時刻は四時半。
「マズい!」
今日は五時からスーパーの特売がある。
肉が安くなる日なので、絶対に逃さないようにとタイマーを設定していたのだ。
「ごめん、急ぎの用があるから」
「あっ!」
鞄を肩にかけ、走り出す。
「ちょっと待ってください! せめて名前だけでも……!」
雪宮が俺の背中に声をかける。
「――水樹朔。じゃ」
俺はそうとだけ言って、スーパーに向かった。
♦ ♦ ♦
※雪宮氷莉視点
「また行ってしまいました……」
走り去って行く彼の背中を見ながら、少しへこむ。
カバンから取り出すのは、ピンク色の袋に入ったハートのクッキー。
「せめてこれだけでも渡したかったのですが……」
男の子に何をあげたらいいのか調べ、実はクッキーを焼いてきていた。
もしかしたらお礼をするのを断られるかもしれないからと、気持ち程度に用意してきたのに、渡しそびれてしまった。
でも、これで諦めるほど私もやわじゃない。
むしろ二度も断られて、火が付いた。
何としてでも、あの人にお礼がしたい。
「――水樹朔さん」
名前もわかった。学校も知った。
「絶対に逃しませんよ……ふふふ」
久しぶりに燃え上がる心に、思わず口角が上がってしまう私だった。
♦ ♦ ♦
※大沢美琴視点
カラオケで遊んだ後。
五人でファミレスにやってきて、夜ご飯を食べる。
「ってかマジありえねぇよな! あのオタクくんに『白銀の女神』が用とかさ」
「しかも俺たちをこっぴどく振って、ね」
「許せねぇな! マジで許せねぇ!」
男子陣が苛立つ中、私はくるくると髪をいじりながらスマホを見る。
するとメッセージが届いた。
『亜美:美琴大丈夫そ?wめっちゃ書かれてっけどwww』
それと共に送付されたリンク。
「ん? なに書かれてるって……」
リンクをタップすると、そこは私たちがあげた動画のコメント欄で。
「何が大丈夫なわけ? 意味わかんな……は?」
スクロールしてもスクロールしても、同じようなコメントで溢れかえっている。
急に汗が噴き出してきて、体が熱くなった。
「はぁ⁉⁉⁉」
思わず机に手をついて立ち上がる。
「どしたん? 話聞こか? なんっつってwアハハハハハハハハッ!!!!」
「笑ってる場合じゃないって! 私たち――めっちゃ炎上してんだけど⁉⁉⁉⁉⁉」
「…………うぇ?」




