東京支社長(1)
広域量販課の課長を3年務めたあと、仙台支店の支店長に昇進した。
わたしは先頭に立って東北地方にあるスーパーマーケットの本部を訪問し、仕入部長や幹部、時には社長と商談を行った。
時として厳しい要求を出されることもあったが、お客様目線の提案を続けていると次第に評価されるようになり、新製品の採用やラインナップの拡充を実現することができた。
それに勢いを得て、営業活動を更に活発化した。
それが売り上げ増につながり、プラスの循環サイクルがグルグルと回り始めた。
それでもわたしは力を緩めず、高い目標を定めて挑戦をし続けた。
その結果、5年間で仙台支店の売り上げを倍増させることができた。
それが評価されたのか、次の辞令が下りた。
『東京支社長を命ず』
それは、50歳を迎える年の春のことだった。
*
5年振りに戻ってきた東京支社は活気がないように思えた。
それだけでなく、社内が雑然としていた。
社員の机の上には書類が山積みされ、通路には段ボールなどが無造作に置かれていた。
整理整頓ができていなかった。
「なんでこんなに汚いんだ」
総務課に所属している旧知の社員に聞いた。
「その~、前の支社長が……」
言いかけて言葉を濁した。
顔が少し歪んでいるようにも見えた。
よほど酷いことがあったのだろう、わたしは急かさず、彼が口を開くのを待った。
しばらくして彼が〈ふ~〉と息を吐いたあと、言いにくそうに話し始めたが、それは予想を超えた酷いものだった。
前の支社長は大阪本社の営業部長からの異動で、社内での格付けは変わらなかったが、実質左遷だった。
ショックを受けた彼はその人事を恨んだ。
だから、あることを決意した。
それは、独立した自分の城を築くことだった。
東京支社を我が物にしようと考えたのだ。
先ず彼がやったことは、大阪から子飼いの社員を呼び寄せて自分の周りを固めることだった。
昼食を食べるのも一緒、飲み会も一緒、会議のメンバーも彼らだけのことが多かった。
昇給査定やボーナス査定も彼らを優遇した。
優遇された彼らは一層支社長に忠誠を尽くすようになった。
取り巻きと他の社員の間に溝が広がっていったのは当然のことだった。
支社長派と反支社長派、支社は完全に二分された状態になった。
そうこうするうちに、無気力が支社を覆い始めた。
挨拶をする社員が減り、私語が増えた。
仕事と関係のないネット画面を見る社員が多くなった。
本社から届いた販促物が使われることもなく、そのまま放置されるようになった。
重要な書類もそうでない書類も整理されず、雑然と机の上に積み重ねられるようになった。
当然のごとく支社から活気が消えていった。
「本社はその事に気づかなかったのか?」
「わかりません。気づいていたのかもしれませんが……」
旧知の社員はまた口を濁した。
言いにくそうだった。
今度もわたしは待った。
強制して口を割らせるようなことはしたくなかった。
黙っていると、心を決めたように表情を引き締め、念を押すような低い声を出した。
「ここだけの話にしてくださいね」
強く見つめられたので、〈信用してくれ〉と伝えるために大きく頷いた。
それを見て覚悟を決めたのか、その時の状況を話し始めた。
東京支社を管轄する本社の役員は月に一度だけ支社に来ていた。
来てはいたが、それはお座なりとしか言えなかった。
その役員は支社には興味がなかったからだ。
大事なのは本社だけだった。
本社のトップの顔色を窺うことが最も大事だったのだ。
本社のトップはワンマンとして君臨していた。
自分と意を異にする役員や社員は遠ざけられ、特に、能力が高く人望が厚い役員には冷たく当たった。
その結果、優秀な役員は追い出されるように他社へ移っていった。
だから、東京支社を管轄する役員は本社を不在にするわけにはいかなかった。
自分がいない間に何があるかわからないからだ。
そんな状況を熟知している支社長は本社の役員が来た時に丁重にもてなした。
高級レストランでの食事と高級クラブでの豪遊という社内接待を繰り返した。
そして、歯の浮くようなお世辞で役員を舞い上がらせた。
すると、「支社のことは全部君に任せるから」と丸投げするようになり、東京支社へのチェックは皆無になった。
本社の役員を手懐けた支社長に怖いものはなくなった。
横暴な言動が目立ち始めた。
成績の上がらない営業担当者には容赦ない罵声を浴びせ、人格を否定するような追及が行われた。
「目標を達成するまで帰ってくるな!」
「やる気がないなら辞めてしまえ!」
「給料泥棒!」
「その陰気な顔をなんとかしろ!」
「親の顔が見てみたいよ!」
多くの社員にパワハラが繰り返され、取り巻き社員も支社長に加勢した。
大人のいじめが支社内に横行した。
パワハラだけではなかった。
総務課の女性社員が上司に妊娠を告げた時、それは起こった。
その上司は支社長と長い付き合いのある取り巻きの重鎮だった。
「妊娠? じゃあ、辞めるんだね。すぐに君の後釜を探さないとね」
「えっ、辞めるって……、私は出産後も働き続けるつもりです」
「うそっ、辞めないの? 勘弁してよ」
「勘弁してって……、どういうことですか」
「出産休暇、育児休暇、時短勤務、それって、他の社員にどれだけ迷惑がかかると思ってんの。ただでさえ人が足りないのに、総務課の仕事が回らないだろ」
「わかっています。でも……」
「わかってるなら辞めてよ」
「でも、働き続けたいんです」
「なに言ってんの。子供を産んだら、母親として一日中子供の面倒を見るのが一番なんだよ。会社を辞めて子育てに専念しなさい」
そこまで言われたら引き下がるしかなかった。
支社長に訴えようと思ったが、「更に酷いことを言われるよ」と同僚の女性社員から止められた。
諦めるしかなかった。
失意のうちに会社を去っていった。
それは総務課にとどまることはなかった。
他の課でも同じように行われた。
まるで支社長が指示したかのように同じ対応が繰り返された。
妊娠した女性に対する大人のいじめが横行した。
パワハラで精神を病んで休職する男性社員が増えると共に、妊婦へのハラスメントで退職する女性社員が増え、支社の業務は回らなくなった。
それでも支社長は、「無能な奴や使い物にならん奴はどんどん辞めさせろ」と檄を飛ばし続けた。
そして、不足する人員を最低限の派遣社員補充で乗り切ろうとした。
しかし、当然のように社内の士気は下がり、それと共に支社の売り上げが落ち、その下落幅は年々拡大していった。
支社長は担当役員を巻き込んで適当な言い訳をして逃れていたが、下落幅が二桁になった時、さすがにおかしいと本社も気づいた。
すぐに徹底的な調査が始まった。
その結果、事実が明るみに出て、東京支社の膿を一掃する人事異動が発令された。
支社長はもとより、支社を管轄する本社の役員も閑職に追いやられ、日を経ずして彼らは会社を辞めていった。
わたしが急に東京支社に呼び戻されたのは、こういう訳があったのだ。
「ありがとう、話してくれて」
言いにくいことを伝えてくれた社員に頭を下げた。