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挫折(2)

 

『ネット通販のテスト・マーケティングを中止し、プロジェクトは即刻解散すること』


 突然の指示だった。

 常務から電話で告げられた時、目の前が真っ暗になった。

 勝手に決められたことに怒りを覚えたが、異を唱えることさえ許されなかった。

 しかし、それだけでは済まなかった。

 目の前が更に真っ暗になる出来事が翌日に起きた。


 大阪本社に呼ばれたわたしは、これ以上酷いことが起こらないようにと祈りながら応接室で待ったが、仏頂面を絵に描いたような表情で常務が入ってきた時、その祈りが叶えられないことを悟った。

 それでも、どんなことを言われてもオロオロしたくはなかったので、〈平常心、平常心〉と言い聞かせながら彼が言い出すのを待った。


 んん、という喉に絡むような声を出した彼は、なんの前置きもなく「専任課長を命ずる」とだけ言って口を閉じた。

 沈黙という名の攻撃を仕掛けるように。

 わたしの心臓は悪魔の手に鷲掴みされたようになった。

 肺も動きを止めていた。

 目は常務を見ていたが、網膜は受像を拒否していた。

 生体反応が停止したようになっていた。


 なんの反応もしないわたしに焦れたのか、常務がまた〈んん〉と絡むような声を発したあと、低い声が口から漏れた。


「これは私が下した人事ではない。社長命令だ。君は目立ち過ぎたんだよ。社長が遣り手を嫌うのは知っているだろう。なのにネット通販なんて無謀なことをするから、こんなことになるんだ。私の忠告を守ってつつがなくやっていれば役員になれたかもしれないのに。馬鹿なことをしたもんだよ君も」


 憐れむような目でわたしを見た。


 わたしは目を逸らした。


        *


 沈み込んで支社に戻ったが、辛い仕事から逃れることはできなかった。

 乾にプロジェクトの解散を伝えなければならないのだ。

 あれほど頑張ってくれていた彼女になんと言えばいいのかわからなかったが、ありのままを伝えるしかなかった。

 彼女は無言で聞いていたが、「わかりました」とだけ言って席に戻った。


 その翌日、思い詰めたような表情でわたしの許にやってきて、封筒を差し出した。

 すぐにピンときた。

 退職願だった。

 一瞬、息が詰まったようになり、言おうとした言葉が喉の奥で絡まった。

 それが伝わったのか、彼女も口に手を当てて必死に我慢しているようだった。

 しかし、こらえ切れなくなったのか、「組織って、組織って、非情ですね。こんなに会社のためを思っている支社長を」と言った途端、嗚咽が覆った。


 目の前が白くなった。

 何も見えなくなった。

 当然だ。

 苦労を共にしてきた乾が辞めるのだ。

 目の前が白くならないはずはなかった。


        *


 わたしも辞めようか……、


 乾が会社を去ってから何度もそう思った。

 思い返せば、契約社員の待遇改善や正社員登用、日報のイントラネットシステム、そして、おでんカレーなど、東京支社発のアイディアは次々と全社で採用され、会社業績に大きな貢献を果たした。


 それなのにこの仕打ちはなんだ! 

 余りにも酷すぎる! 

 もう限界だ! 

 こんな会社見切りをつけてやる! 


 啖呵(たんか)を切って辞めることを何度も考えた。

 しかし、60歳を目前にしたわたしが転職したとしても、ろくな仕事がないということはよくわかっていた。

 ましてや、履歴書を見れば支社長から専任課長に降格されたことが誰にでもわかる。

 下げ潮の人間をわざわざ採用する会社はないだろう。


 といって、このまま会社に居てもまともな仕事を与えられるわけがない。

 本社から送り込まれる後任の支社長はわたしの影響力を警戒して、社員と接触する機会を極力無くすようにするに違いない。

 どう考えても、まともな仕事は与えられそうになかった。


 でも、そうなったらわたしはなんと呼ばれるのだろうか? 

 窓際族? 

 壁際族? 

 隔離族? 

 不要族? 

 目障り族? 

 …………辞めるのも地獄だし、残るのも地獄に違いなかった。

 悶々としたまま日夜が過ぎていった。


        *


 そんなある日、本社の人事部長から電話がかかってきた。

 抑揚のない声でわたしの名前を呼んだと思ったら、信じられないことを言い出した。


「まもなく60歳で定年を迎えられることになりますが、退職されますか?」


 聞いた瞬間、意味がわからなかった。


〈退職されますか〉ってどういうこと? 

 それに、そんな言い方ってあるの? 


 わたしは固まったまま受話器を握り続けた。


 なんにも言わないわたしに業を煮やしたのか、また抑揚のない声が耳に届いた。


「もしかして、定年延長を選ばれますか?」


 まさかそんなことは考えていないでしょうね、というような響きだった。

 辞めさせる方向へ追い込んでいくような言い方だった。

 ここまで酷いことを言われると思っていなかったわたしは、唖然として口が開きっぱなしになった。


「どうなんですか?」


 感情のない声が耳に飛び込んできた。

〈黙っていないでなんとか言え〉というような圧迫感を感じた。


「どうといわれても……」


 それだけ言うのが精一杯だった。


「そうですか」


 それだけ言って彼は沈黙した。

 無言の圧力を続けるかのようだった。

 わたしが音を上げるのを待っているとしか思えなかった。


「あの~」


 返事はなかった。


「もしもし」


 またしても返事はなかった。


「少し考えさせてください」


 返事を待たずに受話器を置いた。



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