挫折(1)
好事魔多し!
油断していたわけではなかったが、余りにも順調だったため、少し浮かれていたのかもしれない。
水を差すような予期せぬ電話がかかってきたのだ。
常務の声は怒りに震えていた。
「なにやってんだ。バイヤーには気づかれるなと言っただろ!」
「えっ、何があったのですか?」
戸惑いの声を返したが、戻ってきたのは怒声だった。
「何があった、どころじゃないぞ、バカヤロー!」
大手スーパーマーケットのバイヤーが「そんな話は聞いてない」と物凄い剣幕で本社に電話をかけてきたというのだ。
通販のお客様が、通販専売品と知らず、いつも買いに行っているスーパーマーケットの店員に問い合わせたのが発端だった。「この商品は置いていないのですか?」と。
その情報がバイヤーに伝わり、通販専売品ということがバレたのだという。
「『勝手なことをするなら取引を止めてもいいんだぞ』とまで言っている。大変なことになった。一大事だ。相手は大手のスーパーだぞ。どうするんだ!」
怒りに満ちた声に狼狽えたが、必死になって心を落ち着かせた。
「バイヤーに説明に行ってきます。スーパーマーケットの店頭とは競合しない商品であることと、テスト・マーケティングで消費者調査の一環であることを伝えます」
「そんな説明に耳をかしてくれるのか? 物凄い剣幕だったらしいぞ。だから、やりたくなかったんだ。ネット通販は今すぐ止めろ!」
常務の声が耳に突き刺さったが、「とにかく説明に行ってきます」と収めて電話を切った。
すぐさま背広の上着を鷲掴みにして、会社を飛び出した。
背中は冷や汗でびっしょりになっていたが、そんなことを気にするわけにはいかなかった。
地下鉄の駅に向かう階段を2段飛ばしに駆け下りた。
目的の駅で下車してからも足を緩めなかった。
とにかく1秒でも早く着きたかった。
*
スーパーの本部に着いてすぐに面会を申し込んだが、アポイントがないという理由で断られた。
しかし、諦めて帰るわけにはいかない。
通販の将来がかかっているのだ。
なんとしてでもバイヤーの誤解を解かなければならない。
その一心で、粘って粘って粘り倒した。
すると、根負けしたのか、やっとのことでOKの返事を引き出した。
指定されたブースの椅子に座って深呼吸をした。
〈落ち着け、落ち着け〉と心を静めた。
そして待った。
待ち続けた。
しかし、焦らすかのように、彼は現れなかった。
1時間を超えても現れなかった。
その後もじりじりとした時間が過ぎていき、このまま現れないのではないかと不安に襲われた時、やっとバイヤーが姿を現した。
顔を見て固まった。
鬼のような形相だった。
不安は恐怖へと変わった。
常務の言う通り、バイヤーは説明にまったく耳を貸さなかった。
一方的にわたしを、そして会社を非難した。
「うちに喧嘩を売るつもりなら、俺にも考えがある」
「いえ、喧嘩だなんて、そんなこと考えたこともありません。あくまでも限定商品によるテスト・マーケティングなのです。ご理解ください」
わたしは必死になって懇願したが、まともに取り合ってはくれなかった。
「メーカーはいつもそう言うんだ。最初は限定商品でやって、そのうち一般流通品にも広げる、それがメーカーのやり方なんだ。俺は誤魔化されない。うちの客を横取りするつもりなんだろう。そうはさせない」
バイヤーの顔が歪んだ。
即座にわたしは「決してそんなことはありません。横取りするなんて考えたこともありません」と否定したが、バイヤーの顔は元に戻らなかった。
蛇に睨まれた蛙のようになったわたしは耐えられなくなって目を伏せた。
その時だった、
「取引を止めようか」
冷徹な言葉がとどめを刺そうとしていた。
「ちょっと待ってください」
声がひっくり返った。
「もういい」
一言で切り捨てられた。