プロローグ
雨だった。
涙雨?
いや、過去を洗い流してくれる恵みの雨に違いないと思った。
卒業に寄り添ってくれる雨があってもいいと思った。
いつもの朝食だった。
ご飯とみそ汁と納豆と切り身魚。
しかし、今日は2品が特別だった。
納豆の上にはネバネバのモロヘイヤが乗り、切り身魚は大好物の鮭、それも、分厚い紅鮭の切り身だった。
余りのおいしさに頬が落ちそうになった。
一口一口噛みしめながら、好物をわかってくれている妻のさり気ない優しさに胸が熱くなった。
心の中で感謝しながら食事を終えた。
身支度を整え、玄関で靴を履いていると、妻が車で送ると言い出した。
珍しいことだった。
でも、嬉しかった。
出社最終日に対する気遣いが心に沁みた。
大通りはスムーズに流れていた。
しかし、一方通行の路地に入ると、レインコートを着て自転車に乗っている人やビニール傘を斜めにして足を速めている人たちが目立つようになり、接触を避けるためか妻の運転が慎重になった。
でも、スピードを落としてくれたおかげで、車窓から見える紫陽花をゆっくりと見ることができた。
雨に濡れて、とてもきれいだった。
駅へ向かうこの通りは今まさに満開で、紫、青、水色、ピンク、赤、白、いろんな色の紫陽花がわたしを見送ってくれた。
いつもの始発電車に乗り込んだ。
いつものように弱冷房車に乗り、いつものようにドア近くの吊革を握った。
出発する時刻になると、いつものように混んできた。
次の駅に停車すると、若い女性が乗り込んできた。
リクルートスーツ姿だった。
就職活動中だろうか、しきりにスマホで何かを確認していた。
今日の予定だろうか、それとも、面接を受ける会社の概要を頭に叩き込んでいるのだろうか、真剣な眼差しで瞬きもせずにスマホに見入っていた。
今年は人手不足の影響で売り手市場だという。
早くから内定をもらっている学生も多いらしい。
羨ましい話だ。
わたしが就職活動をした頃は外国発の超ド級の爆弾が炸裂するという信じられないことが起こっていた。
それによって深刻な景気後退に陥り、就活生は見通しのまったく立たない真っ暗闇の中でもがくことを余儀なくされた。
目を瞑ると、当時のことが蘇ってきた。