出会い
余りに突然の出来事に俺は唖然とし、脳が思考停止に陥入りそうになる。一体何が起きたのか。父に穿たれた矢は背中から綺麗に腹まで貫通しており、赤い血が地面に滴る。俺は咄嗟に父に駆け寄り、無事を確認しようとする。もう二度と家族を目の前で失いたくなんかない。
「父さん?!」
「……大丈夫だ。 こんなの……かすり傷だ」
いつも通りの笑顔でそう言ってみせた父はどこからどう見ても大丈夫ではない。それは明らかに致命傷であった。
俺は素早く頭を動かし、矢の飛んできた方向を見やる。"人間"だ。しかも一人や二人ではなく、数十人という規模で森に人間が隠れ潜んでいた。
先頭には長身の若い男性が立っていた。金色の髪に翡翠色の瞳の10代前半ぐらいの青年だ。他の人間に比べると、豪華な鎧を身につけており、大層身分が高い人物なんだろうと考えられる。
金髪の青年は手に矢を構えており、この人物が父を撃ったのだと思われる。一見好感が持てる人懐っこい顔をしており、話せば分かる人物なのではないかという考えが俺の頭の中をよぎる。しかし、そんな考えは直ぐに破綻する。その人物が手を挙げると、周りの人間が一斉に矢を撃ち始めたからだ。
俺は父を連れて空に飛んで逃げようとするが、何故か俺の体は動かない。恐る恐る自分の両手を見てみると、小さくてか弱いその手は恐怖で震えていた。無意識に体が怯えているのだ。
そのせいで、上手く体を動かすことが出来ない。翼も同様だ。その途端隣にいた父に首根っこを掴まれ、俺は大空に持ち上げられる。
見かねた父が俺の首根っこを咥えながら、空中を飛行したのだ。そのおかげで乱射された矢には当たらずに済んだが、父の出血は思ったよりも酷く、血の雨のようになってしまっている。
ただでさえ生まれた時の三倍ほどの大きさにまでなった俺を持ち上げるのは至難の技のはずだが、父は弱音一つはかず空中をものすごい勢いで飛行する。
「父さん?! 下ろしてよ! 僕は一人で飛べるよ?!」
ゲガをしている父にこれ以上負担をかけさせるわけにはいかないと、俺は抗議するが、父は俺の声には耳を貸さない。
「いいか?このまま……真っ直ぐ巣に帰り、フィオレンを連れてこの森から……脱出しろ!! ルルシカのことは心配するな母さんが上手くやっているはずだ」
父のいつになく、必死な目を見て、俺は父が死を悟っているのだと感じた。普通漫画やアニメの世界ならこういう時、子供は親を置いてはいけないと泣き叫び、親の手足を物理的にも、精神的にも引っ張るものだ。しかし俺はそんな事はしない。
俺は理解力がない大人ではない。覚悟を決めている者の手足を引っ張るなど、覚悟を決めた者に対して余りにも失礼な行為だ。だがらこそ俺は喚く事はせず、ただ父に頷きかける。
父が一瞬、笑ったような気がした。父は俺を空中に放ると、口から思い切り強風のような息を吐き出し、俺を巣の方向に弾き飛ばした。
"魔法"。突然現れた無理解の現象を名付けるなら、まさしくそれだ。ファンタジーの世界で魔法とは定番なので、この世界にもあるだろうとは思っていた。しかし、一度も見たことがないので、もしかしたらこの世界には存在しないのかと、最近思っていたところだ。
父はいきなり何もない空間に強風を出現させた。言うなれば、風魔法だ。父が魔法を使えたなんて、俺は全然知らなかった。いや、それ以外にも父について知らない事はまだまだ沢山あった。
これが最後の別れになるのなら、もっと沢山父の話を聞いてみたかった。こんな形で、人生最初の魔法など見たくはなかった。
俺は転生者だからという理由で、家族から距離を置いてきたような気がする。どうしても、この世界をゲーム感覚で捉えてしまい、家族を家族と思っていなかったような気がするのだ。
しかし、命懸けで我が子を逃がそうとしている父の姿を見て、その考えは大きな間違いだったと気づく。俺は目尻が熱くなっていることを感じた。
「振り返るな!!」
俺は父の言葉にハッとする。周りを見てみると、もうほとんど俺を空中に弾き飛ばした風は無くなったている。時間が経つとなくなる仕組みだったようだ。もう父からは数キロも離されてしまい、豆粒のようにしか見えなくなってしまった。
俺は咄嗟に空中で体を反転させ、巣の方向へ全速力で飛行する。体の震えはもう収まった。あとは、フィオレンを連れて森から脱出するのだ。
母と姉のことは心配だが、父がああ言った以上今は自分たちの身を最優先に考えるべきだろう。もうあと、少しで巣につくはずだ。
見えてきた。俺は素早く翼を折り畳み、巣に舞い降りる。俺はその瞬間目を疑った。
「いない?」
フィオレンは巣にいなかった。フィオレンの定位置に蹄を触れてみると、まだ暖かい。ついさっきまではここにいたのではないか。一体何故?父と母は口を揃えて、巣から出てはいけないと、幼い三匹に言い聞かせていた。
今思えば、あれはこれを恐れてのセリフだったのかもしれない。そこで俺は昨日の兄のある言葉を思い出した。両親が餌を取りに行っている間、三匹は巣に待機していた。その時、兄が内緒で巣を出たら面白そうなどと、言い出したのだ。
姉と俺が必死に止めたお陰で、その状況は回避されたが、もし今日それを実行していたとしたら?その発想にたどり着いた俺は背筋がゾッとするのを感じ取った。フィオレンなら、あり得る。それと同時に何故今日なんだと感じる。
タイミングが悪すぎる。全てに置いて、今日は何もかもが上手くいかない。人生は大体そんなものだが、余りにも立て続けに悪いことが起こりすぎている。現実でも俺はリアルラックが絶望的に低い方だったが、それは転生後にも影響を及ぼすらしい。
俺はとりあえず、森を一匹で脱出する事にした。父には申し訳ないが、兄を探している暇はない。もう人間の声が直ぐ側まで聞こえていた。俺を探しているのだ。
俺は巣から、飛び立つと森の反対側人間のいない方に飛行する。途中、矢が何本も翼に突き刺さったが、歯を噛み締め、血反吐を吐きながらも空中を飛行していく。空高くまで飛べば、矢は届かないのだが、低気圧のせいなのか息ができないので、それは叶わない。
何百キロ空中を飛び続けただろうか。もう体が限界だ。怖くて、確認してはいないが、翼は感覚がほとんど無い。風に乗ることでなんとか空中に止まっているが、少しでも力を抜いたら、真っ逆さまに落ちてしまうだろう。
人間の声は少し前から、何も聞こえなくなった。諦めたのだろうか。それとも、聴力までおかしくなっているのか?ふらふらと空中を飛び続けた俺は前方から来る、プテラノドンのような群れに気づかなかった。
逆向きから、風の向きをずらされた事により、俺は大きく体制を崩す。その瞬間俺は空中から真っ逆さまに落ちていく。翼を動かそうとするが、矢と疲労でボロボロになった翼は機能しない。
ここで終わりか。俺の人生。最後の最後まで、パッとしない人生ではあったが、家族に恵まれた事だけはラッキーだった。そう思いながら、ゆっくりと目を下にずらす。そこには大穴が存在していた。半径20メートルはありそうな大穴に向かって俺は真っ逆さまに落ちていく。
それから、どれくらい落ち続けただろう。五〜六キロは落ち続けたような気がする。そして、俺は大穴の中に存在していた小さな湖に落ちる。このまま力を抜いた方が楽なのかもしれない。俺はその時、父の最後の目を思い出した。
あれは、俺の生を望む目だった。その目を思い出した途端、俺の体に力がこもる。一所懸命に両腕を動かし、泳ぎの姿勢を取る。なんとか、河岸までたどり着き、地面にへばりつくように俺はうつ伏せになる。もう体はほとんど動かない。
薄れゆく意識の中、俺は自分に近づいてくる人影を発見する。透き通った銀色の髪に、紅の瞳を持つ少女だった。年齢は十代半ばくらい。人間だ。しぶとくここまで追いかけてきたというのか。俺は死を覚悟した。
俺の意識はそこで途絶えた。