幸福の終わりと波乱の始まり
気づくとあたり一面真っ白な世界に俺は、立っていた。俺は母親そっくりの薄青色の目を凝らし、ここがどこかを必死に探ろうとする。何もないし、何も聞こえない。ただ、そこには無が存在していた。
その状況に俺は嫌悪感を感じる。その空間に囚われて、数分が経過した。いきなり、あたり一面が純黒に染まり、一つの光の影が暗闇に現れる。フォルムは人間に近いかもしれない。その人物が何かを話し出す。
「シル……前……世…………生ま……」
「……何を言っているのか、よく聞き取れない! もっと大きな声で……」
いきなり現れた謎の人物の声を聞き取ろうとしてもノイズがかかったように聞き取る事ができない。もどかしい気持ちを抑えながらも、俺は声を荒げ相手に声量を上げる事を要求する。自分が何故、ここにいるのかは分からない。ただ、本能がこの人物の声を聞けと強く喚いているようだった。
その瞬間、俺の体に何が強くぶつかってきた。余りの衝撃に俺は目を開け、衝撃波の方向を睨みつける。その方向に居たのは、フィオレンだ。
薄緑色の目が悪戯ぽっく輝いている。恐らく、寝ている俺と遊ぼうと体当たりをくらわしたのだろう。つまり、あれは夢だったという事だ。
その事実に気づいた俺を真っ先に襲ったのは、怒りだ。こいつが俺を起こさなければ、あの夢の続きを見ることができた。あの人物の声を聞くことができたはずだ。
それをたかが悪戯で邪魔されたということが、俺には許せなかった。俺は青色の鱗を怒りで逆立せ、フィオレンに飛びかかる。
飛びかかられたフィオレンは目をまん丸くして驚いた。俺たち三匹は生まれてから一度も喧嘩をしたことがない。多少の言い争いはちらほらあったが、それは全て兄姉によるものだ。
だからこそ、三匹の中で1番おとなしい俺が飛びかかってくることは全くの予想外だったのだろう。
俺は兄の鱗に生えたばかりの爪を立てる。まだ、小さく未成熟な爪だが、刺されると意外に痛い事を俺は知っている。フィオレンは三匹の中で1番体も大きいが、同じ日に生まれた以上、本気を出せばそこまで大きな戦力差ではない。
それほど俺は怒りで我を失っていた。だからこそ、父の怒りの声が耳に届いた時にはやってしまったと思った。
「何をやっているんだ!! シルフォン!! お兄ちゃんを早く離してやれ!!」
俺はその声が届いた瞬間慌てて、手を離す。恐る恐るフィオレンを見ると、鱗から多少出血していた。間違いなく俺のせいだ。
それに気づいた途端、俺はほおが熱くなった。フィオレンだって悪気は無かったはずだ。それを夢を妨害されたからという理由で、怒るなんて、まるで子供のようだ。それに気づいた、俺は慌ててフィオレンに謝る。
「ごめん。 フィオレン」
「いいよ。 別に。 もう、シルフォンなんかと遊ばないから」
兄は傍目から見てもしっかりと分かるほど、不貞腐れていた。しかし、これには完全に自分に非があるので、俺は何も言うことが出来ずにいた。そんな俺を厳しい目で見据えていた父は顎をしゃくり、巣の外に歩き出し、翼を広げる。
「話がある。 シルフォン。 父さんと一緒に付いてこい」
父はそれだけを告げると、あっという間に巣の外に飛んで行ってしまう。飛行訓練をしてから、もう三週間が経過しており、三匹は既に申し分がないほどに空を自由に飛行できるようになっていた。
風邪に乗るというのは意外にも簡単だった。ドラゴンの体になったせいなのか、高所恐怖症も薄れており、湖に落ちた時に、痛みで悶絶するだけで済んだ。
俺はしかたなく、生まれた時の2倍ほどになった翼を思い切り広げ、風が吹いてきたタイミングで巣から降り立ち風に乗ることで空を飛ぶ。
父は俺を待っていたのか、空中で止まっており、俺が着いてきたのを見ると先に行ってしまう。どこへ行くつもりなのだろう。
今分かっていることといえば、お説教確定という事だ。あんな事をしたのだから、お説教されるのは仕方のない事だが……。そして、俺は心からここに母と姉がいなくてよかったと思う。
あんな醜態を家族全員に見られるという、最悪の事態は避けられた。二匹は朝早くに食料の調達に出掛けており、巣の中には俺と兄だけだった。その間父は、巣の入り口に立ち、何かから俺たちを守っているようだった。
この世界に生まれてから、敵と呼べる生き物に出くわしたことはないが、一体父は何から自分たちを守っていたのだろうか。
そう考えている間にも父はどんどん先に言ってしまう。一体どこまで行くつもりなのかと俺が考えていると、父は虹色の大森林の真ん中にある、一木の金色の木に降り立つ。
俺もそこに降り立ち父の言葉を待つが、父は何も言おうとしない。もしかして、これは俺の言葉を待っている?謝罪をしなければいけない感じだろうか。
「父さん、あんな事をして、本当にごめんなさい。 僕、どうかしてたよ」
俺が謝ると、父はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「俺に謝る必要はない。 むしろ父さんはホッとしているぐらいだ。
「ホッと?」
「お前は、兄弟の中でも1番聞き分けがいい子だった。 父さんはお前の子どもらしいところを初めて見たような気がする」
なるほど。そういう事か。確かに俺は生まれてから、両親に迷惑をかけないようにと努力してきた。ほか二匹とは違い、我ががまを言ったことすらない。父は言葉に出さずとも、そんな子供らしくない俺を内心心配していたのかもしれない。
「お前は、兄弟の中で、1番しっかりしていて、理解力があると、父さんは判断しているつもりだ。 まだ、幼いお前に頼むのは酷な事だとは思うが、頼みがある」
「頼み?」
「今日の夜だ。 何気なくフィオレンとルルシカを誘い、巣から出ろ。 そしてもう二度と戻ってくるな」
「え?」
余りに突然の話に俺は度肝を抜かれる。そんな俺の反応に気づいたのか、父は理由を説明してくれる。
「お前は、知らないだろうが、この巣のさらに遠くに、人間という生き物が生息している」
「人間……」
「奴らは、我々亜人から土地と命を奪い去り、活動区域を広げている。 それはここも例外ではない」
「ここも安全ではないって事?」
「そうだ。 人間は二足歩行に、丸い耳を持つヒョロとした、一見珍姿なルサのような生き物だ」
ルサ。俺も飛行訓練所に行く時に森で見たことがある。元の世界で言う、猿のような生き物だ。
「単体の力は弱いが、群れると増大な力を発揮する種族だ。 奴らに会ったら、真っ先に逃げろ。 俺たちでは決して敵わない」
「でも、僕たちドラゴンは強いはずじゃないの?」
「?? お前にはまだ、話していなかったな。 ドラゴンはモンスターの中でも、最も最弱の種族だ。 人間一人、二人ならなんとかなるが、集団で来られたら、ひとたまりもない」
嘘だろ?ファンタジー世界ではドラゴンが強いというのはほぼお約束物なので、俺は自分の種族が強いと疑わなかった。
しかし、前々から、そう思う節はあった。そもそもドラゴンが草食という時点で色々とおかしいのだ。父の言葉を俺は口の中で咀嚼する。
つまり、ドラゴンはこの世界で最も弱いモンスターであるということだ。亜人という単語はあまり聞き覚えがないが、先の会話の感じだと、人間以外の種族と捉えるべきだろう。となると俺はかなりの貧乏くじを引いてしまったのではないか?
この世界に亜属が何種類いるかは知らないが、一桁や、二桁なんてことは、生物学上ほぼありえないはずだ。少なく見積もっても、三桁、四桁はいくだろう。
その中の最弱を引く俺は相当運が悪い。ルックスはカッコいいし、家族にも恵まれた身だが、欲を言えば平均値よりも上が良かったというところだ。
「いいか。 もう母さんには話をつけてある。 直ぐにフィオレンとルルシカを連れて、遠くに……」
父の言葉がいきなり途切れたので、俺はそっと父をみやげる。その刹那、俺は驚愕に目を丸くした。
父の体に一本の矢が深々と刺さっていたからだった。