意外に悪くない
俺がドラゴンに転生してから、もう既に一ヶ月が経過した。最初は分からなかったドラゴンの言葉も段々と理解できるようになってきた。普通に考えたら、一ヶ月で言葉が理解できるのは異常だ。
ドラゴンの成長速度は人間の成長速度をはるかに上回るらしい。しかし、ドラゴンの生活というのは退屈そのものだ。テレビもない、ゲームない、こんなところで一生を過ごすのは俺みたいな引きこもりにとっては、かなりの精神的拷問だ。
外に遊びに行こうにも、俺は切り立った山脈の天辺の巣に生まれたので、両親の背に捕まるか、自分で飛ぶかしか降りる手段が無い。もちろん、その両者とも今は出来そうもない。
前者は親が過保護な為、落ちたらどうすると言われて終わりだった。後者の方は言うまでもなく、俺はまだ飛行技術を身につけていない。
だいだい、飛ぶってどう言う事だ?背中の筋肉を動かすのか?人間には無い部位なのでいまいち想像が出来ない。
「いて」
さまざまな事に思考を巡らせていると、いきなり俺の頭に小さなどんぐりがぶつかってきて、俺は痛みに顔を歪める。ふと、飛んできた方向を見ると、小さな赤竜が四足歩行で俺の元に駆け寄ってくる。俺の姉である、"ルルシカ"だ。
「ごめんー。シルフォン。フィオレンが変な方向に飛ばしちゃって」
「俺のせいかよ」
口を尖らせて、ルルシカの発言に文句を言ったのは小さな緑竜だ。彼の名前は'"フィオレン"。ルルシカと俺シルフォンの兄である。
「ううん。 全然痛くなかったから平気だよ」
兄と姉が喧嘩になりそうな雰囲気だったので、俺は咄嗟に嘘をつき、話題を変えようとする。
「僕も、一緒に遊んでいい?」
どんぐりを飛ばして、キャッチする遊び。字面にするとあんまり面白くなさそうな遊びだが、これが意外にいい暇つぶしとなるのだ。現代に例えると、キャッチボールに近い。
「もちろん、いいわよ。 これでニ体一ね。 フィオレン」
俺の質問に二つ返事でOKした姉のルルシカは、早速チームメンバーを設定する。その言葉に兄のフィオレンは淡い緑色の目をまん丸くし、妹の言葉に反論する。
「おい、それ俺が不利じゃないか」
フィオレンの言う事はもっともだが、ルルシカの言い分も理解できる。俺たち三匹は同じ日に生まれた兄弟だが、フィオレンは兄弟の中でも髄を抜いて、体が大きく、力も強い。個体差というやつだろう。
少なくとも、ニ体一にしなければ勝負にならないと言うほどの個体差は存在してはいないが……。またもや喧嘩になりそうな兄姉の真ん中に入る感じで、俺は二人を仲裁する。
「いいじゃん。 フィオレンは強いんだから。 ちょうどいいハンデてやつでしょ?」
少なくともこの一ヶ月の付き合いで、兄の扱い方を完璧に理解していた俺は、フィオレンが何と言えば、調子に乗るのかも分かっていた。
そんな俺が茶化しを入れると、兄は満更でもなさそうな顔をする。強いと言われた事が余程嬉しかったのだろう。いくら、ドラゴンと言えど、中身は生まれたての子供である。
「ふーん。 じゃぁー、しょうがないな」
その後、俺に煽てられ、ニ体一でぼろ負けしたフィオレンが半泣きになっていじけてしまったのは、また別の話である。
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あの後、夕方ぐらいまで遊び尽くした俺たちは草が敷き詰められた巣の上で、仮眠をとっていた。しばらくすると、三兄弟の両親が食料である、虫を嘴に咥えながら空から帰宅してくる。
二匹の竜は巣に着地すると大量の虫を巣の上に吐き出し、子供たちに分け与え始める。
重度の虫恐怖症であった俺がこの生活に慣れるのに、一番気力を使った時間と言っても過言ではない。しかし、頑張れば意外とどうにかなるものだ。
最初の三日間ぐらいは吐き気を催したが、一週間経つと気にせず食べれるようになっていた。慣れとは恐ろしいものである。
しかも、意外に幼虫はクリームのような味わいがして美味しいのだ。味覚までドラゴンになっているのだろうか?
今日もいつも通り両親が運んで来た虫を食べる時間だ。ドラゴンと言うと、肉食のイメージがあったが、この世界のドラゴンは基本的に草食であるらしい。
俺は出来るだけグロい見た目ではない虫を選び、自分の寝床に持って行き、口に運ぶ。
俺が選んだのは、カブトムシの幼虫によく似た、白くもこもこした虫だ。それを口に運び、まだ、生えきっていない小さな牙で虫を咀嚼する。
これを美味しいと思ってしまう自分が自分で憎らしい。俺がちびちびと嘴で虫を口にしていると、俺の父親である赤竜が急に話しをしだした。
「よーく食べておくんだぞ。明日お前たちを飛行訓練所に連れて行くから」
突然の父の言葉に唖然とする俺とは違い兄姉は飛び上がるほど喜んだ。いや、実際には本当に飛び上がっていた。その拍子に二匹揃って思い切り頭を天井にぶつけて悶絶している。
そういえば、俺も卵にいる時、同じ事をやらかしたな。さすが三子と言うだけある。
多少話がずれてしまったので、俺はもう一度父の言葉を脳内再生してみる。飛行訓練所とはその名の通り飛行生物が飛ぶ訓練をする場所である。俺もこの一ヶ月で両親からその場所のことは何度も聞かされていた。
が、こんなにも早く、訓練をする事になるとは思ってもいなかった。乗り気ではない俺の姿に気づいたのか、母である青竜が俺の頭をどっしりとした手で撫でてくれる。
ひずめが当たってちょっと痛い。鱗があるから、大丈夫だが、生身の人間の体なら、軽く出血しているだろう。
「怖がらなくても大丈夫。 落ちてもお父さんとお母さんが助けてあげる」
「そうだぞ。 シルフォン。 お父さんとお母さんはとっても頼りになるもん」
違った。母は俺が怯えていると思ったみたいだ。兄もそれに便乗し、俺を怖がらせないようにとフォローしてくれる。まぁ、俺は高所恐怖症でもあるので、ある意味的を射た発言ではある。
「さぁ、もう寝なさい。 明日も早いんだ」
父が騒ぐ子供達を何とかして寝つかせようとする。それにしても、この世界のドラゴンと言うのは、皆んなこんなに大人しい生き物なのだろうか。
俺の予想だと、ドラゴンと言うのは、凶暴な肉食獣であるイメージが強かった。
しかし、もう、早一ヶ月この家族と生活を共にしているが、今のところ子煩悩、草食といい、予想を裏切られてばかりだ。
俺は騒ぐ兄姉を宥めることに難を要している、両親を横目に体を丸め、目を瞑った。
そして、自分の人間の両親のことを久しぶりに思い出した。両親の事を嫌った事はない。両親は俺のことも弟のことも愛してくれていた。
だが、俺の両親はいい意味でも、悪い意味でも、仕事熱心であった。家にいない日がほとんど。俺と弟の誕生日ですら、メールで済ませようと言うのだから、ネグレクトと言われても仕方なしと言えよう。
俺が幼い時には、仕事がまだ多忙では無かった為、一緒にいてくれる事が多かった。しかし、弟が生まれた時には、俺が小学生であったためか、弟の世話は俺がする事が多かった気がする。
俺は構わないが、流石に物心ついた頃からそのような家庭環境に置かれた弟の事は何度も、不憫に思ったものだ。だからこそ、このアットホームな家庭は俺にとって新鮮であった。
周りが静かになったことに気づき、俺はうっすらと、淡い水色の目を開いた。
騒ぎ立てる兄姉を寝かしつけることに成功した、父と母は小さな寝息を立て、三兄弟を守るように両サイドに寝ていた。最初はどうなるものかと思ったドラゴン生活だったが、
うん。意外に悪くなさそうだ。そこまで考えたところで、俺は深い眠りについたのであった。