令嬢とアンドロイド
「室温は適温ですか?レイ」
窓越しに降る雪を見ながら、アンドロイドの彼は、こちらを振り向きながら聞いた。
姿形も、立ち振る舞いも、どう見たって我々人間と変わらない。
中肉中背の、すらっとした成人男性の姿をした家庭用型アンドロイド。
それでも、見間違えることがないのは、彼らの右のこめかみには、稼働中の証拠である、青い四角形のLEDライトが、常に光っているからだ。
服装も、指定されたアンドロイド専用の服を着ていることもあり、遠目からでもアンドロイドと人間の区別はしやすい。
「ありがとう、ちょうどいいわ」
「そうですか。ですが、乾燥しますので加湿器をつけますね」
彼は部屋の隅に置いてある加湿器に向いて、遠隔アクセスをする。
ピッと音が鳴り、加湿器は起動して静かに水蒸気を吹き始めた。
「……」
予めプログラムされている家の清掃とペットの世話、庭の手入れや花瓶の水換えといった日頃の労働は、特にこちらの命令がなくとも、率先的にやる。
料理だって、献立を指定していなくてもこちらの好みを把握して、それなりのものを作ってくれる。
アンドロイドの彼は、手持ち無沙汰な様子で部屋をこつこつと歩き回った。しかし、特にするタスクも見つからないのか、本棚の前で立ち止まり、本を手に取った。
「レイはよく読書をしますね。私も読んでみてもいいですか?」
ロッキングチェアに座り、暖炉の前で暖を取りつつ、本を読んでいた私は顔を上げる。
「いいわよ全然。けど、アンドロイドのあなたに楽しめるかしら」
「内容は問いません。せっかくですので、私が持っている知識と照らし合わせて、確認してみようと思います」
そのまま手に取った本を立ったまま、読み始める。何の本だろう。
「それ、なんて本?」
「ギリシャ神話集です。子供でも分かりやすい言葉で書いてあります」
聞かれたアンドロイドは、私の方を振り返って淡々と答えた。
「へぇー。でもギリシャ神話とかそういうのって、結構ぶっ飛んでる話ばかりじゃない?綺麗な女がいたから、誘拐しちゃった話とか」
これは、ギリシャ神話の最高神ゼウスが、エウロペという美しい女性に一目惚れをし、白い牛に変身して、誘拐してしまう話だ。
「確かに神様なのに、感情がむき出しな行動を取るのは、面白おかしくあります。ですが、ギリシャ神話だけではなく、日本神話にも似たような人間臭い神様が、たくさん出てきますね」
ページをぱらぱらとめくりながら、彼は言う。
それだけで、高性能なあのアンドロイドは、ページに記載された全てを網羅してしまうのだから恐ろしい。
「あなたたちアンドロイドは、神話に出てくる神様――あるいは人間のような行動原理が理解できないでしょ?」
私は少し意地悪な質問を、投げてみる。
本能や願望、複雑な信条や価値観を持つのは、生き物特有の現象だ。特に、人間は他の動物と違って、高度な知能を持つが故に、彼のような機械人間からすると複雑で妙な生き物としか思えないだろう。
「分かりません。我々はアンドロイドですので」
質問を投げる前から、既に予想していた回答が出される。
「ですが、興味はあります。なぜ、そのような行動や言動に出るのか。我々も、感情について知りたいと、思う時があります」
私は少し目を見開いて、彼を見る。
アンドロイドでも、知りたいといった欲求めいたものを持つのか。
それは果たして、人間に尽くすための有益なデータ収集としてなのか。
「それは、なんで?」
「何故でしょう。知りたいと思ったからで、自分でもよく分かりません」
機械らしくない回答に、思わず少しドキリとした。
人間そっくりに作られ、持ち主の趣味趣向を記録し、なるべく好ましい振る舞いをするようにプログラムされている彼ら。
口調だって堅苦しいのが嫌だと言えば、フレンドリーな言葉に変えてくれたりといった命令もできる。
しかし、本当にそうなのかと思える時が、たまにある。私の好みを記録して、そのように振舞っているだけなのか。
……単に私が気にしすぎなだけだろうか。
「どうかしましたか?」
彼の目をじっと見つめているものだから、何か要件があるのかと勘違いしたアンドロイドは、尋ねてくる。
「いいえ、別に……。それより飲み物が欲しいわ。あたたかいココアを入れてきてちょうだい」
「かしこまりました」
持っていた本を丁寧に棚に戻し、キッチンへと向かっていく後ろ姿を見送る。
「まさか……ね。」
背をロッキングチェアに預けると、ぎしりと音を鳴らして、傾いた。
ぱちりと、暖炉の中の薪が鳴った。
カナダの真冬はとても寒い。
早く日本に帰りたいなあと思いつつ、早朝から降っている外の雪を眺めた。
数年前に書いたモノ。
続くかは未定