EXTRA STAGE
◎Now Loading..._
試合開始前と同じ控室にて。黄金の輝きが、薄闇の中で煌々と光る。
「さて、ユーワンさん。弁解があるなら聞くぜ?」
「ま、待って欲しいねカギヤ先生! 弁解って何のことね!?」
「……とぼけんじゃねえよ」
ドン、と壁に追い詰められたアバターを、黄金の剣が抵抗なく貫く。電脳兵装を突き刺して動きを止めたユーワンに、カギヤは顔をずいっと近付けて噛み付くように言う。
「俺が受けたのは『チーター退治の依頼』だ。だがEgo……あいつは、いやあの人はチーターじゃない。最後までチートを使ってなかった。ハァ、クソダセえよなあ俺」
途中から半ば独り言のようになったその言葉は、しかしユーワンにどうしようもなく恐怖を与える。なにせログアウトするための指一本動かせないのだ。剣に貫かれ壁に世界に縫い付けられた彼はいわばカギヤの掌の上に居るようなものであり、彼の気まぐれで握りつぶされるかもしれないのだ。その一挙手一投足に恐怖するのは当然であった。
「そ、その……」
「ん?」
「ワタシその、チャンピオンがEgoと知らなかったね……てっきりチーターかとね……えへへ」
まあ確かに、Egoの強さは並外れていた。チーターなど物ともしないくらいには……それを知識の無い者が見て勘違いすることもあるだろう。
だが。
「……裏とれて無かったってことか? じゃあなんでそう言わなかった? 言うチャンスはあっただろ?」
「え、えっとね……」
「ハァ、噓つきまくるのもアレだし上手く勘違いしてくれってか? ……そういうのを『騙す』って言うんだよ小悪党!」
「ひ、ひぃ……!」
ユーワンは最初、「チャンピオンがチーターである」と断言した。だが本当にチーターなのかどうかは知らなかった……いや、どうでも良かったのだ。何故なら彼の目的はハッカー/チーターであるカギヤにチャンピオンを倒させることで、その為には「チャンピオンがチーターである」というカギヤの認識を正さない方が都合が良かったからだ。
ならば何故、そこまでしてチャンピオンを――Egoを倒したかったのか。
それを問うには、いささかユーワンは怯えすぎているようにも見えた……ので。
「もう良いや。勝手に覗くぜ」
「へ?」
カギヤが手を捻る――少なくともユーワンにはそのように見えた――と、彼の周囲に複数のウィンドウが展開された。連絡用アプリの会話画面、Cの入送金履歴、保有するデータファイルの一覧……逆さに透けて見えるそれは、全てがユーワンに見覚えがあるものだった。
「ひああ?! こ、これなんだね!? ワタシの情報を見てるのかね……!?」
あまりの冒涜に喉を引きつらせたユーワンは、カギヤの目が最初にそれに止まるのが見えた。
即ち、名前の無い闘技場の胴元たる777との会話履歴。今時珍しく文字のみで行われているそれをカギヤは遡り、そして理解する。
「……777ってヤツとのやり取りを見るに……ユーワンさん、アンタ一般観客じゃなくて興行主のひとりだな?」
「……」
ユーワンは押し黙ったが、その目の泳ぐ様が言葉よりも雄弁に図星であるのを伝えていた。
興行主……つまり闘技場にて戦うプレイヤーをスカウトして、その連れて来たプレイヤーが試合に勝てば配当金を貰える、いわば半運営側の存在だ。そしてユーワンはその内のひとりだった。
「アンタの目的はチーター退治なんかじゃねえ……『俺というチーター』を使って儲けることだった。大方、777が用意したEgoサンに手持ちの選手を負かされまくって最後の手段に頼ったってトコだろ……チッ。そんなのチーターとなんも変わんねえぜ、アンタも見事に騙された俺もな」
依頼を受ける際。「噓ついてないよな」と念を押したときのユーワンの言葉を思い出す。
『ヤツは本当に正体不明なのね! 名前の無い闘技場にちなんで、みんな「名無しのチャンピオン」って呼んでるね。行けばすぐ分かることで嘘つくほどワタシ馬鹿じゃないね!』
ああ、確かに「行けばすぐ分かること」で嘘はついてない。正体不明だったのも本当だ。だが「すぐに分からないこと」……そう、最も肝心な本当にチーターかどうかという部分は別だった、というワケだ。
思えば、チャンピオンがチーターかどうかを詰めると言葉を濁していた気がする。「チーター退治の依頼」を利用して釣り出したは良いものの、いつバレるか戦々恐々だったのだろう。そんな気弱なら最初から騙すなよ、と言いたくなるが、彼の場合は己の欲望にも弱かったのだろう……。
「……まあ、騙されたのは俺だし、依頼も達成できてねえし……今回の俺に、偉そうに説教出来る資格はねえな」
溜息交じりにそう言うと、カギヤの手の中から剣が消えた。当然、腹を貫いていた刃も空気に溶けるようにポリゴンの残滓だけを残して消えていく。
自由を取り戻した手のひらを不思議そうに眺め、そして弾かれたように顔を上げたユーワンに、目を合わせながらカギヤは。
「ラッキーだったな小悪党。これに懲りたらズルは止めとけよ」
それだけ残して、彼は控室を後にした。
残されたのは未だ立ち上がれず壁に背を預けたままのユーワンひとり。5秒、10秒。彼は己が助かったことを遅まきながら理解すると、これまでずっとそうしたかったのだと分かる勢いで頭を抱えて蹲った。
「ひぃ、ひぃ……」
丸い毛むくじゃらの体を恐怖に震わせ、それを両手で必死に押さえながら、彼はブツブツとうわ言のように何かを呟く。
「ズル、ズル……そう、Egoなんてズル過ぎるね。世界チャンピオンに勝てるワケないね。チーターですら負けたのだから、先にズルしたのはあっちね……」
彼の論理は破綻していた。ただ気弱な己の性質を守るためだけのぐちゃぐちゃの論理。
しかしそれは皮肉にも、気弱な男に人を害する理由を与える。
「アイツさえ、アイツさえいなければ。きっと前みたいに、沢山稼げるようになるね……」
自己愛は憎悪に転じ。
そうして彼は、祈りにも似た姿勢のまま、とある人物に連絡を入れた。
――カギヤはひとつ間違いを犯した。
ユーワンにとっての最後の手段は、正義のハッカーたるカギヤでは無く……。
◎Now Loading..._
そこは薄暗い控室。だが、そこにはカギヤもユーワンも居ない。
室内に居るのは藍色の中性的なアバター……即ちEgoただ1人。
藍色が踊る。
黒刃と踊る。
闇を背負うような光輪より繰り出される五種類の「死」――その剣を躱し、戦斧槍をいなし、戦槌を止め、小銃を砕き、手榴弾を弾いて、藍色の拳が敵を打つ、撃つ、討つ。
都度20度の一方的な連撃によって、その人影は崩れ落ちた。顔の無いマネキン人形のようなそれは内蔵されたHPが消滅すると同時ポリゴンの欠片となって消え……同じ位置に再び、HPを全回復して再生成される。
再び舞踏が、否、武闘が始まる。
〈Ego[F]ist〉を装備した最強のゲーマーと、〈-Halo of Death-〉を背負った最高難易度設定のトレーニング用AIボットの訓練が。
剣が降る。拳が受け止め反対の手が顎を打つ。
槍が迫る。身を捻って躱しながらも足を払う。
槌が出る。振るわれる前に腕を取って投げる。
銃が鳴る……前に手は蹴り砕かれ、そのまま連撃が降って勝負は終わった。一太刀も浴びなかった勝者は、しかし焦燥の混ざった溜息をひとつ、消えゆくボットを見ながら溢した。
Ego。元プロゲーマー。
その力量は全ゲーマーの中で頂点に位置する。その上トレーニングボットは、例え最高難易度だろうとも、そのAIの癖が分かる程に戦い飽きた相手だ。彼にとって実りのある訓練相手とは言えない。
それでも彼が一心不乱にボットを殴るのは、先の試合が原因であった。
「(強かった。負けるかもしれなかった)」
対戦相手であったカギヤの力量は、Egoにとって刮目する程のものではない。パリィにおいては己をも超える力を持っていたとしても、それ以外はてんでお粗末だった。
だが……彼は言ったのだ。絶体絶命の窮地の中で。
『悪いが、俺もまだ勝つ気だぜEgo』
彼は、追い詰められて尚そういうことを言える敵だった。
だから怖い。今回は勝ったが、次彼に挑まれれば勝負は分からない。Egoは本気でそう考え、焦燥を訓練という名の習慣によって紛らわせていた。
負けたくない。負けるかもしれない。
だって、自分も同じだ。
最初は這いずることさえ――アバターを這いずらせることさえ出来なかった。あの時の自分は誰よりも弱かった。ただ、諦めが人一倍悪いだけの病人だった。
そんな自分が今や「最強のゲーマー」なんて言われているのだ。彼が己に追いつけない道理など何処にも無い。
負けたくない。負けるわけにはいかない。
だって、負ければお金が貰えない。
お金が稼げないのなら、プロゲーマーを辞めた今、自分はゴミと変わらない――。
忘我の境地で黒刃を避けながら、一心不乱に拳を振るっていた時だった。
「……?」
ブゥン、とアバターの転移音が聴こえた。Egoの鋭敏な感覚はそれを捉え、即座に音の方を振り向く。
見れば、ふたつのアバターが空間内に立っていた。
両方とも動物の骨を思わせるサイバーチックな仮面を被り顔を隠している。アバターの体格は大人の男で、ひょろりと長い手足はどちらかと言うと痩せ型か。似た背格好は兄弟を連想させたが、しかしそんな知り合いの覚えは無かった。
「えっと、どちら様ですか? ここは僕の控室のハズ、なんですけど……」
Egoが困惑交じりにそう問う。
控室に入るにはこの部屋のURLが必要だ。それを管理しているのは777で、そう簡単に外部に漏れるとは思えない。他の選手なら知っているかもしれないが、彼らが来るならEgoの下になんらかの連絡があるだろう。
それにこの2人からは、ゲーマーの匂いがしない……電脳の世界で真面目にそんなことを思うEgoの前で、2人は部屋に入ってきて初めて動きを見せた。
『……』
光。文字。
彼等が判別不能なほど小さな声で何かを呟けば、それらが集まった武器のようなものが、彼らの手の中に現れたのだ。
「(アレは、さっきの試合で見た……形状が違う?)」
Egoは怪訝な顔をする。
カギヤが最後に使って来た「黄金の剣」……何かは分からなかったが、2人が持つのはそれに似ている雰囲気を放っている。
だが細部は違う。形状は剣ではなく棍棒のようで、色も血を思わせる赤色だ。
「あの」
Egoが再び対話を試みる……だが彼等はその意志を嘲笑うかのように、揃って獲物に飛び掛かった。即ち、Egoに向けて。
「え」
間の抜けた声が口から飛び出ると同時、体は咄嗟に防御姿勢を取る。ゲームの練習中だったが故の超反応――だが。
「(――駄目だ)」
Egoは己の過ちを悟った。棍棒じみたナニカを振り下ろして来るふたつの影、その動きに淀みや迷いは見受けられ無い。つまり理由は分からないが、防御では駄目なのだ、とEgoは察した。
しかし全てはもう遅い。引き伸ばされた刹那の中、間違いの象徴たる赤が降る――。
「電脳兵装/出力:型式[対電脳犯]――」
それは。
刹那に聴こえたそれは、果たして本当に声だったのか。
Egoには分からない。
ただ、追従する事実のみが来たる。些末な疑問などどうでも良いと思わせてしまう、《《彼》》が。
「――〈|Ex.CARIBUR-44《エクスカリバー・フォーティーフォー》〉、起動!!」
黄金、抜刀――。
刹那に剣士は藍色を庇い。
見れば、彼の握った黄金の剣が、赤の棍棒ふたつを見事に受け止めていた。
「……とっさに守っちまったが! コレ何がどうなってんだ!? なんで電脳犯罪者に襲われてんだアンタ!?」
Egoと電脳犯罪者の間に割り込んだその少年――3人目の侵入者にして1人目の乱入者たるカギヤは、鍔迫り合いを演じつつも背後に向かって早口に言葉を飛ばす。
瞠目するは彼以外の三者ともだ。割り込まれた仮面の2人組も、庇われたのだろうEgo本人も突然の乱入に目を白黒させるばかり。
そんな中、状況を察したのかカギヤが叫ぶ。
「……あー、Egoサン! アンタ困ってるんだよな!? ピンチなんだよな、だったら助けて欲しいよな!?」
「え?」
「助けて欲しいって言え!」
「え、は、はい……」
「よっし言質取ったぜ! 正義のハッカー活動開始ィ!」
勢いで「依頼」を捥ぎ取った正義のハッカーは、剣を握り締め《《敵》》へと吠える。
剣。カギヤの持つ武器。
ゲームで鍛えられ優れた状況判断力を有するEgoが瞠目するばかりであったのは、その剣に魅入られていたからだった。
――嗚呼、それは黄金の光。
火よりも白く陽よりも朱く、非の打ち所なく卑を裁く、正義に輝く暁の色。
目を奪う光の文字列たちは大仰な銘と形を与えられ、剣の姿で常勝を謳う。
〈|Ex.CARIBUR-44《エクスカリバー・フォーティーフォー》〉――どんなゲームにも出てこない、カギヤの持つ電脳兵装がギラリと光り、赤の棍棒をいとも容易く押し返す!
『……!』
押し殺した驚愕の呻きに強いエフェクトがかかっているのを、Egoはともかくカギヤも聴きとった。相手は声を隠すような手合い……赤い棍棒の電脳兵装と合わせても電脳犯罪者に間違いはないと改めて理解する。
「……赤色、か。ロゼが見たら怒りそうだなァ」
そう軽い調子で笑うカギヤに、しかし相手は踏み込まない。
電脳兵装と打ち合えるのは電脳兵装だけだ。それに電脳兵装は見た目で分かり易い。文字列が無数に集まって形成された半透明の光る武器など、他と一線を画して当然だ。
故の警戒。
だが、カギヤだけが悠々と足を前に運ぶ。
「さて、自己紹介と行くか。裏闘技場の雇われ挑戦者とは仮の姿――俺は正義のハッカー、カギヤ! 依頼受諾によりアンタを助けるぜ、Egoサン!」
その朗々と放たれる大袈裟な響きを帯びた言葉は、顔を向けた仮面の電脳犯罪者というよりは、背に庇ったEgoに向けた言葉。堂々と名乗りを上げる間も、彼の歩みは止まらない。
「おっと、忘れてた」
言いながら、彼は顔の前に手をやった。すると浅く被ったフードの下が闇の呑まれ、目と口だけが怪しく光る。怪人へと変身する間も、その足は散歩でもするように止まらず前へ。握った剣の剣先はだらりと斜め下を向き、構えてすらいない。あれではただ持っているだけだ。
それでも、カギヤは止まらない。
一見無防備に一歩、二歩。
三歩目で彼の体は間合いに入る――。
『――』
合図は無かった。
同時に電脳犯罪者2人が棍棒を突き出し。
無造作に振るわれた黄金の刃が、一拍遅れて跳ね上がる。
二色、交錯。
ふたつの赤がカギヤを貫き。
黄金がふたりの片方を刺す。
――相打ち。Egoにはそう見えた。
だが。
「『闇市』製か。ベースはオアシス社製の73年型電脳兵装……三流だな。せめてフユノの方にしとけっての」
体を二か所貫かれて、しかしカギヤは何でもないようにそう言うだけ。赤に穿たれた体はアバターだとは分かっていても不思議な光景だ……仮面も相まって一層不気味な印象を与え、敵対者の背筋を震わせる。
対照的に、黄金に深々と切り裂かれた電脳犯罪者は……がくがくと体を揺らし、その場に膝をついた。
体を揺らす……否、揺れているのはその輪郭だ。ノイズが走り、ブレが走り、不可解な歪みを与えられたアバターは彫刻のように動かなくなる。時折何らかの意思を持った動きが蜃気楼のように手足に現れるが、瞬きの間に消えて元の体勢に戻るだけで、その動きは世界には反映されない。ゲーマーであるEgoはそれが、アバターの動きを制御するPCに高い負荷がかかった状態であることを見抜くことが出来た。
カギヤを貫通していた赤の棍棒、その片方が霞のように消える。消えたのは当然、金の剣に刺され動きを止めているアバターが持っていた方。
その片割れは、仮面越しでも分かる動揺の気配と共にカギヤと相方の両者を見ていた。一秒、二秒……相方が立ち上がれないと分かると途端に動揺は溢れ、仮面の奥の口から漏れる。
『何故、効かない……?!』
「内部防壁の性能が違うんだっての。去年流行ったツールなんか効くかよ、ド素人」
カギヤの声は冷たかった……いや、つまらなそうだった、と彼と向き合っていないEgoだけが悟る。正面に立たれた電脳犯罪者にとって、それは紛れもなく冷酷な死刑宣告だっただろうから。
アバター内部に展開されている電脳防壁で相手の攻撃? を無効化したらしいカギヤが何らかの操作をすると、もう片方の手にも黄金の剣が出現する。鮮烈な光を放つ黄金の色、それに触れればどうなるかは火を見るよりも明らかで。
『クッ……!』
仮面の片割れは棍棒を引き抜くと、そのまま弾かれたように走った……そこまではカギヤの予想の内。だが予想外にも、彼が走ったのはEgoの居る方向だった。
「な!」
カギヤの横に赤の残光を残し、仮面の男がすり抜ける。
咄嗟のことに黄金の剣を外してしまったカギヤは、己の判断ミスを呪った。
「(見誤った! まさかそこまでプロ意識が高い連中だとは! 不味い、間に合わねえ――)」
型落ちで性能の低い電脳兵装、一刀で動けなくなる程度の強度しかない電脳防壁から、カギヤは相手を金目当てに雇われたチンピラもどきだと予想していた。
だが認識を改める。相手はいわば「殺し屋」、自分の身よりも仕事と信用を重んじる奇特な人種。偶に居るのだ……電脳世界における電子戦最大のハードルである「対面攻撃」を容易く乗り越えた、しかし電子戦への適正は低い、そもそもの人格が鉄砲玉みたいな連中が。
カギヤが相手より勝っている「強さ」は、その装備――電脳兵装と内部防壁――によるところが大きい。故に、身体能力が一律な電脳世界で、相手に追いつくためのスキルなどは無い。
敵の背が遠ざかる。赤い棍棒が迫る中、Egoの目が見開かれるのが見える。
「避けろ――!」
知らず口から迸ったのは、祈りにも似た悲鳴だった。
そう。それはただ運命への懇願であり、誰への命令でも無かったのだ。
少なくともカギヤにとってはそうだった。だが――。
――彼が叫んだ先に居る相手は、世界最強の電脳ゲーマー。
「はい、避ければ良いんですね」
瞬間、そのアバターは風になった。
赤が突き出される。型落ちとは言え、準備の出来ていない者にとっては致命になり得る強毒の一撃。
その攻撃をEgoは、ただ往来の中で体を傾けるように肩ごと体を逸らすだけで、完璧に躱し切ってみせた。擬音としては「ひょい」という軽いものが当てはまるような動き……それが、必殺の意気で放たれた赤の刺突を軽々と躱す。
刹那、時間が止まった――それを目の当たりにした2人が、カギヤはおろか思惑を外された電脳犯罪者さえ魅入ってしまったのだ。
――それは風。決して捉えること能わぬ藍色の疾風。
再起動は、流石に電脳犯罪者の方が早かった。
再び棍棒を構え、今度は全霊で横薙ぎに振るう。するとEgoは棍棒の間合いだけ上体を引き、致命の赤があと一寸で届く丁度の位置で回避した。まるで魔法のような正確さと軽々しさ。
棍棒が斜めに袈裟切りの軌道で振る……だがその軌道はEgoによって曲げられた。棍棒には触れず、相手の手首に手の平を添え攻撃を逸らしたのだ。赤は装飾でしかない藍の長髪を空しく散らす。
更に一度、二度棍棒が振るわれ……その全てがEgoには当たらない。躱され、逸らされ、避けられる。
カギヤはそんな光景を前に、アバターの色も相まってか液体さえ連想した。
――それは水。掬おうとしても指の隙間からするりと抜ける、藍色の清流。
嗚呼、藍色が赤を躱す、躱す。電脳犯罪者からすれば決死なハズのそれは、相手の技量によって小動物のじゃれつきの域にまで落とされていた。滑稽さすら纏ってしまった攻撃をいなすEgoが持つのは、正反対とさえ言える舞の美しさ。
あまりの美技に見惚れてしまう……そんなカギヤと、Egoの視線がぱちりと合った。流麗の源泉たる彼は言う。
「これ、いつまで続ければ?」
言外に、いつまで続けようが一発も貰わないと言っているような声音であった。
残酷なまでの涼やかさに、カギヤの口から笑いが漏れる。
「っはは、充分!」
それは苦笑か哄笑か。兎も角、そのアバターは楽し気に再起動した。
敵に突き刺した黄金の剣を放す――その剣は空中に浮遊し、磔にするように刺し貫いた相手を拘束し続ける。
それを確認するや否や、二本目の剣を手にカギヤは駆け出した。敵の背までは、あと三歩。
「座標設定、演算領域80%まで解放――」
呪文の詠唱じみた言葉を呟いて、手元のウィンドウを手早く叩く。
それは正しく詠唱であった。言うなれば奇跡を呼び寄せる魔法の呪文が如き言葉。正確には世界たるシステムに呼びかけ、己の願いを実行させる命令文。
簡潔な二節の詠唱に応えるように、彼の意に従い薔薇が咲く。
「電脳防壁/展開、〈|Rose Maiden〉!!」
真紅の光が、電脳犯罪者の足元に円を描いた。それは一呼吸の間も置かず、すぐさま天に向かって茎を伸ばす。
指が閉じるように檻となるのは、無数の棘を携えた茨。鮮血を思わせるその茎には同色の薔薇が見事に咲き誇っている。茨によって構成された真紅の檻は、しかし無数の鋭い棘と自由を許さぬ狭さから、むしろ処刑器具のようであった。
『……!?』
閉じ込められた――鳥籠のように狭い赤薔薇の檻に囲まれ外界から隔離された電脳犯罪者は、咄嗟にその手の棍棒を茨に叩きつける。渾身の力を込めた一撃。
だが茨はびくともせず、ただ獲物を閉じ込め続ける。赤い棍棒が何度叩き付けられようと、細い茨は揺らぎもしない。
その光景に、赤と紅がぶつかる様に、カギヤの口から苦笑が零れた。
血を吸って咲いたかのような、鮮烈かつ凄烈に目を刺す真紅。それの前では他の赤など背景に落ちる。他者をくすませ、踏み台にしていっそう美しく咲き誇る薔薇の檻は、どこか製作者の少女の在り方を思わせたから。
「やっぱロゼは怒んねえかもな……同じ赤でも、こうも紅けりゃよく映える」
言って、カギヤは剣を構えた。その足は鈍らず、切っ先を突き立てるために突進する。
その歩みを阻むものは最早何もなく。
三歩の距離は、瞬く間に走破され――。
黄金が、赤を突く。
否。金の刃は、茨の隙間を縫うかのようにするりと壁をすり抜けて、奥のアバターを貫いた。
電脳犯罪者にとって脱出不可避だった堅牢な檻は、カギヤにとっては壁ですら無く――ただ黄金の剣が励起し、串刺した相手を行動不能にしたのだった。
此処に勝負は決着し、依頼は完遂された。奇しくも、ひとつ前の依頼とは真逆の結果だった。
「……さて。誰の仕事で俺の依頼人を狙ったのかは、後からゆっくり《《訊く》》として」
そんな、動けないだけで意識ははっきりとしている彫像たちにとっての絶望を何の気なしに呟いて。
カギヤは己の依頼人の方を振り返る。
まだ少し警戒の抜けていないEgoに対し、カギヤは顔を元に戻して頭を掻き……明朗とは言えない歯切れの悪さで語り出した。
「あー、まあなんか流れで助けちまったが。実は、俺がここに来た理由は別にあるんだ。そのために777って人をちょいと脅し、いや誠心誠意頭を下げててこの場所を教えてもらったワケで……」
そんなカギヤを前にして、Egoは、はて、と首を傾げた。目の前の少年の性格は、ごくごく短い付き合いながらもその観察眼で何となく看破していた……竹を割ったように明朗快活で直情型。言いたいことは我慢せずストレートに言うタイプに見えた。そのイメージと、目の前で口ごもる姿が上手く重ならない。すわ自分の推測は間違いだったかと改めかけたときに、カギヤは動いた。
「……マジですんませんでしたぁ!!」
それは――土下座。
ジャパニーズ土下座であった。恥も外聞も迷いも無い動きだった。
足元に丸くなったその塊にEgoは奇襲を受けたとき以上の困惑を覚え、目を回し……しかし百戦錬磨の判断力でなんとか思考を持ち直す。
「な、何を!? か、顔を上げてくださいっ」
わたわたと慌てながらも膝を付き、下を向いた肩を掴む……と同時、床に向いた口から重い声が届く。
「俺は。さっきの試合でチートを使った」
……懺悔。その声の重さはそれだと、Egoはすぐに悟った。何らかの覚悟によって硬質な響きを帯びる声で、頭を下げたまま彼は続ける。
「俺は正義のハッカーとして、チーター相手にしかチート使わねえと決めてんだ。今回それを破っちまった。だから……アンタが望むなら、どんな罰でも受ける」
彼はかつて、断罪を為す際に言ったことがあった。
『俺ですら「散り際は潔く」の覚悟くらい持ってるってのに』
そう、彼には覚悟があった。誰かの過ちを正すのなら……己の過ちを正されることも、当然覚悟しなければならないと思っていたから。
Egoはここで漸く、掴んだ肩が震えている事に気付いた。それは彼の本気を何よりも雄弁に語っていて。
「(この人は――凄く、真っ直ぐだな)」
思う。
己の見立ては、やはり間違っていなかったと。
彼の言葉に嘘は無く。態度に演技は無く。在り方に迷いは無い。己を貫き通す為ならば、斬首の刃を他者に握らせることさえ出来てしまう。
嗚呼、それは――なんと愚かで不器用な美しさだろうか。
Egoは少しの悔しさに眉を下げ、しかしそれを打ち消す程の好意に微笑みながら、肩を掴んだ手に力を入れた。その体を地面に押し付けるためではなく、その顔を上げさせるために。
「いいえ。僕はいかなる罰もあなたに望まない……です」
細腕に似合わない剛力で顔を上げられたカギヤが見たのは、敬語が遅れて苦笑するEgoの笑顔だった。その翳りの無い微笑に目を白黒させるカギヤの様子に気付かず、Egoは続ける。
「それに、そもそもあそこはそういう場所ですから。チートも異形アバターも、盛り上がるなら何でもあり……黙認されてるって言い方が正しいのかな。とにかく、僕は気にしてません」
その言葉に……カギヤはやっと、己が許されたと理解したようだった。ぶはぁ、と大袈裟に息を吐き、安心したと全身の力を抜いてへたり込む。その分かり易すぎる感情表現に、Egoは小さく吹き出した。
少し経ち。謝罪と免罪のやりとりの余熱が去ってから、今度はEgoが口火を切る。
「……それより、僕はあなたに感謝したいです。助けてくれた、んですよね。えっと――カギヤ、さん」
言葉尻は少し自信なさげなEgoの言葉に、カギヤは改めて名乗ることにした。
「おう。正義のハッカー、カギヤだ。闘技場で曝した痴態は忘れてくれ……アレはここ一年で一番酷い失態で、普段の俺はああじゃねえから!」
「は、はい……あ、僕、Egoです。肩書は、今はプロゲーマーじゃないから、特に無いです」
「……」
その言葉に、カギヤは憮然とした表情になった。握手の為に差し出しかけた手も途中で止まり、代わりに思わず声が出る。
「いやいやいや。『最強のゲーマー』って名乗っても、あんたなら許されると思うんだが」
「それは流石に……あ、なら『ゲーマー』だけ貰おうかな」
涼やかではありながら、どこかふわふわとした柔らかい雰囲気を纏う声でEgoは言う。それが彼の素なのだとカギヤが理解すると同時、Egoの方から握手の為に手を差し出して来た。
「改めて、ゲーマーのEgoです。助けてくれてありがとう、ございます。カギヤさん」
「謙虚だなオイ……まあ良いや。どういたしまして、Egoサン」
カギヤも苦笑しながら握手に応える。
それは和解か、謝意か、それとも。
ともかく、正義のハッカーと最強のゲーマーは、縁を繋ぐように固く手を握り合った。
自己紹介も終わり。カギヤは先ほどEgoがやったように首を回す。視線の先には当然、未だ串刺しのまま空間に縫い留められたふたつのアバター。
「んで、Egoサン。アンタ、襲われる理由に心当たりとかある? 誰かの恨みを買ってたとか。アフターサービスで調べるぜ?」
カギヤの問いに、Egoは少し視線を下げながら考える。
「うーん……どうでしょう。たまにDMに罵詈雑言が来たりはしますが……」
「それはブロックしてくれ普通に。ああいや、断言しても良いけど、その手の奴らに本気で誰かを害せる度胸はねえよ。もっと別の心当たりは……あ」
問い直す前に。本人よりも先に、カギヤは答えに辿り着いた。辿り着いて、しまった。
「そういうことか」
「?」
「いや、あんたはまあ、謙虚だし見目も良いしXter(※SNS)の垢も一ヶ月に一回更新されれば良い方だし、誰かに嫌われるタイプじゃねえよな。だけど残念ながら、人は人格なんか関係なく恨まれることがある……それは例えば嫉妬。そして例えば――巨額の金銭が絡んだとき」
カギヤは漏れそうになる舌打ちを必死に抑え込んだ。
ああ、彼なら可能だろう。777からこの控室のURLを入手でき、依頼のための金銭も持つ。ああくそ、すぐに目的の情報が見つかったから、他にどんな人間と遣り取りしてたかは見ていなかった……と後悔し、彼は最早Egoの方さえ向かずに言葉を吐く。
「あんたが勝ち続ける限り、金は胴元に流れ続ける。それじゃ面白くないって人間に心当たりが合ってね」
「……カギヤさん?」
Egoが、不安げに彼の名前を呼ぶ。それはカギヤの言葉に込められた怒気ゆえだ。
その言葉の中では、燃え滾る炎のような怒りが渦巻いて、一言一言を強烈に焼いている。声を荒げている訳でもないのに、聴く者をひどく不安にさせる声。
その声のまま――Egoのことを慮る余裕もないまま、彼は忌々し気に吐き捨てる。
「馬鹿野郎。俺が剣ぶっ刺しておいて、何の仕込みもせず見逃すとでも思ったのかよ」
ここに居ない相手に向けられたその呟きは、しかしどこか悲し気な響きを帯びてEgoの脳髄を震わせた。
その日、裏闘技場の興行主が1人減った。
胴元の男は素知らぬ顔でこう語る。
「ああ、私としてはどちらでも良かったのだが……チャンピオンの正体であるEgoの名は話題を呼ぶだろうからこちらの目の方が得になるかな。アカウントごと貯め込んだ財産が消失した彼のことは残念だが……なに、代わりはいくらでもいるからね。私は安心して、気弱な友人の再起を祈るとも。
……しかし、カギヤ君か。『正義のハッカー』とは、伝え聞く通りの愉快な子だ」
何故、ユーワンは控室のアドレスを知っていたのか。
果たして、本当に悪は潰えたのか。
今回ばかりは、正義のハッカーも見通すことは出来なかった――。
◎Now Loading..._
日本国内、カギヤの現実世界での自宅にて。
ヘルメット型の機械を被ったまま、椅子の上で少年は息を吐いた。天上に向けて放たれたそれは、1週間前の後味の悪い依頼の時と違い、実に満足気なものだった。
「ふいぃ……今日の無事完了。最近は大盛況だな、全く」
ぎし、と少年の体重を受け止めた椅子が鳴る。
彼が思うのは、しかし今日受けた依頼ではなく1週間前の出会いのこと。塞翁が馬の言葉が表す通り、騙された末に知り合うことができだ伝説のゲーマー……Ego。
その顔を思い浮かべながら、カギヤはSNSアプリを開いた。もはや日課になっている慣れた手つきでそのアカウントまで移動する。
モニターに映し出されたのは、とある人気者のアカウント。見慣れたそれには、しかしあの日から見慣れぬ文字が。
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Ego
@ego_000 [フォローされています]
元GhostGaming所属プロゲーマー
25フォロー 1031万フォロワー
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「――んふふ」
奇怪な笑みが部屋に零れる。
本人を前にしておくびにも出さなかったものの――その実、カギヤはEgoのファンであった。否、ゲーマーならきっと99%がそうであろう。彼はそれほどの強さとスター性を持つ。
そんな人物の、25しかないフォロー枠のひとつを自分が埋めているのだ……テンションが上がらぬハズが無い。気持ち悪めの笑みが漏れるのも仕方のないことだと言えた。
……あの後。
名前の無い闘技場は、今も変わらず運営されているらしい。Egoの復活は世間にこそ露呈しなかったものの、「ネットの噂話」として闘技場に客を呼んでいるとのことだった。昨日行ったら明らかに観客席が広くなっていて、Ego登場の時は試合に勝った時以上の大歓声だったし。ついでにちゃっかりEgoに賭けて来たが、オッズがEgo寄り過ぎて全然儲からなかったが。やはり、楽に稼ぐ方法など無いということか。
そして今。
Egoにフォローされたことにより、カギヤのアカウントは今までとは非にならない程の注目を集めていた。依頼のペースも一週間に一度あるかないかだったのが毎日のように舞い込んでくるようになった。その分自分の名を広めてくれとお願いしているので、とんでもない好循環が回り出したと言えるだろう。
Ego様様だな、と思いつつ、カギヤは独りの部屋で拳を突き上げながら叫んだ。
「よっしゃ、このままEgoお墨付きの正義のハッカーとして、有名人街道駆けあがってやるぜ!」
やっぱり俗なその少年は、欲望全開でそう叫ぶ。
無茶な依頼の影響でEgoにフォローされたアカウントが凍結されるのは、それから二日後のことであった。