5話 ロザリアの決意
現在地は、王都を南に離れて半日の距離にある森の近く。
とは言っても、キャンピングカーの速度で半日なので、馬なら1日か2日、人の足ならもっと掛かる場所だ。
「もしもお父様が追っ手を差し向けていたとして、さすがにここまでは来ないでしょう」
事実、シュネー公爵の追っ手は今まさに、か弱い令嬢の足で行ける範囲を捜索しているところだった。
一晩経って頭が冷えた公爵が娘を保護しようとしているのか、それとも新たな政略結婚に使うため連れ戻そうとしているのか、はたまた失敗作を己が手で処分しようとしているのかは知らないが、とにかく公爵はロザリア捜索のために私兵を出動させていた。
とはいえ、当のロザリアはキャンピングカーで朝のうちに王都から出ているため、知らぬ話だけど。
「そういえば私、朝ご飯を食べておりませんわ」
謎のメーターの解明やキャンピングカーの移動に気をとられて、朝食を食べ逃がしていたロザリアのお腹が、きゅうきゅうと切なげな音を立てて空腹を主張する。
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な~♪」
ヨシノリ・オオツカが選択を迷ったときに用いたおまじないで、今日のお昼は赤い狐のカップ麺に決まった。
フォークで優雅に麺をすすりながら、ロザリアは考える。
24時間毎のリセット──その条件を。
リセットの範囲は車内に限られるのか、それとも車体すべてがリセットされるのか。
キャンピングカーから持ち出した物もリセットの対象なのか。
車内で消費した量によって、リセット時に吸い上げられる魔力量は変わるのか。
ロザリアのバッグがリセットされず車内に残されていたのは何故か。
「…試してみる他ありませんわね」
そうと決まれば、有言実行の女・ロザリアの行動は早い。
現時点で考えうる限りの疑問をひたすらメモ帳に書き起こし、明日の夜明けに検証できるように着々と状況を整えていった。
シャワーを浴びて昨日より多くの水を消費したり、食べたカップ麺のゴミをわざと車から離れた位置に置いてみたり、車体に少しだけ泥汚れを付着させたり…。
「このお花は私が摘んだ私の物ですわ。
そしてこちらの木の葉は…アラいけない、風のいたずらで木の葉が車の中に!」
…これは一応、リセットの対象にロザリアの意志が関係するどうかの検証のつもりだ。
ロザリアが明確に自分の物であることを意識して持ち込んだ花と、風向きを計算したりと若干わざとらしいが、風に吹かれて車内に舞い込んだだけの木の葉は、いい比較対象になるだろう──そう考えての小芝居である。
「バッグと中の物も分けてみようかしら?
夜明け前にバッグを車の外に置いてみて、リセットと同時に車内へ戻されるのか、それとも中の物が外にあるバッグへ戻されるのか、両者ともそのままなのか…」
そして、最後にロザリア自身。
「夜明け前に朝食を済ませて、そのまま車内に待機したら…私のお腹の中から朝食が消えて、ストックの棚に戻るのかしら…?」
昨日というか今朝については、食べた某ヌードルは寝ているうちに消化されていたため、あまり参考にはならない。
明らかにお腹が満たされていると自覚できる状態にしておかないと、食べた物が胃の中から消えるのかどうか分からないだろう、とロザリアは考える。
「とりあえず今日は大人しく、リセットに関する検証を行いましょう。
きっと明日の夜明けには色んなことが分かるはずですわ。
旅を始めるのは、それが済んでからでも遅くはありませんもの」
そう、実はロザリアは旅をするつもりでいる。
「苛烈なお父様の性格上、私が屋敷に戻ったところで処分されることでしょう。
良くて辺境の修道院へ追いやられるか、どこぞの有力で好色な方の妾にされるか…、どちらにしろ、明るい未来など望めませんもの。
そうなるくらいなら、私はこのキャンピングカーとともにどこへでも行ってしまった方が、きっと楽しくて…そして自由でいられるに決まっております!」
公爵家での日々が不幸だったとは思わない。
尊い身分に生まれ、豪華な屋敷で暮らし、美食を与えられ、高価なドレスを纏い、質の高い家庭教師から教育を受け、恵まれた環境で最高の淑女へと育ててもらったことを、ロザリアは間違いなく幸せであったと胸を張って言えるし、心から感謝もしている。
しかし、想定外の敗北に塗れ、父の怒声を浴び、命の危機を感じ、そして失意の中でヨシノリ・オオツカの人生を叩き込まれた今、昨日までの生活に戻れるかと言われれば、いくらロザリアといえど迷いなく是と応えるのは難しい。
──だって、自由を知ってしまったから。
今まで本に書かれた言葉でしか知らなかった「自由」を、たとえ白昼夢の中でも体験してしまったロザリアは、もう戻れない。
命が尽きる瞬間まで自由であった男の人生は、淑女として育った令嬢のロザリアにはあまりにも強烈で、あまりにも眩しくて、すっかり彼女は魅了されてしまったのだ。
──彼のように生きたい!
そんな衝動を、キャンピングカーが後押しするものだから、もう止まれない。
しかも、帰れば間違いなく暗雲立ち込める未来が待っているのだから余計に無理だ。
貴族社会とは実に面倒なもので、ほんの些細な失敗すら家の名前に泥を塗る醜聞になりかねない。今回の件は、間違いなくシュネー公爵家の恥として広まることだろう。
何もかもが劣っているはずの伯爵令嬢に負けた公爵家の令嬢など、話のタネとして恰好の餌食になるに違いない。
今後、ロザリアが生きている限りこの話は付き纏い、生涯彼女を苦しめ続ける。
たとえロザリア自身になんの非がなくても。貴族社会とはそういうものだ。
「…お父様とて、こんな不甲斐ない娘など不要でしょう」
きっとあの川原での白昼夢も、このキャンピングカーも、社会的に死んでしまった彼女へ神が与えた最後のチャンスだったに違いない。
そのチャンスを、ロザリアは確かに掴んだ。
今まで人に傅かれて生きてきた令嬢が、いくらキャンピングカーという名のチートを手に入れたとしても、一人で旅をするなど苦労するに決まっている。
「でも…それでも…、私は止まりません。
この先どんなに苦労してもどんな苦難にあっても、きっとそれすら楽しんでみせますわ!」
情熱を燃やす女ロザリアは、エイエイオー! と拳を天へ突き上げた。
お嬢様、いよいよ旅立ちです。