01 静熊神社が拠点となります。
隣に秋月雫奈が住むようになって、人並みの生活に戻った気がする。
なのに、作業効率は確実に落ちている。
気にしても仕方がない。とにかく作業に集中だ!
──よしっ、これでいいだろ。
データと一緒にメッセージを送る。
いつも通り、すぐに「確認します」という返事が返ってきた。
ともかく、今回も間に合った。
「栄太、ご飯作ったけど……って、どうしたの? 燃え尽きたみたいになって」
──そうだよ! 徹夜明けで、燃え尽きてんだよ!
チラッと振り返ると、エプロン姿の雫奈が、料理を運んでいた。
さらに、この部屋に無かったはずの、かわいい猫柄のマットと、ローテーブルが持ち込まれていた。
壁に開いた通路を見つめる。……方法は分からないが、雫奈が作ったものだ。
「なんで当たり前のように、こっちで料理してんだ?」
「だって、昨日の夜も、今日の朝も、何も食べてないでしょ?」
そう言われても、納期の前は、いつもこんな感じだ。
「ずっと集中して何かやってたから声を掛けなかったけど、そろそろ食事を摂らないと身体に悪いし。それに、今日のはちょっと自信作。上手くできたと思うから、食べてみて」
何かと思えば皿うどんだ。
具材を炒めてあんかけの素を絡ませ、パリパリ麺にかけるだけの簡単なもの。それぐらいなら俺でもできる。
スプーンで麺を崩しながら具材と混ぜ、すくって口の中へと運ぶ。
「……………うまい」
自分で作ったのはずいぶん前だが、それとは明らかに別物だった。
ちょっと悔しいが、お世辞抜きに美味かった。
「じゃあ、私も、いただきます」
エプロン姿のまま向かい側に座った雫奈は、手を合わせてから食べ始める。
見るのは初めてではないが、やっぱりエプロン姿も似合っている。
3Dモデルを作っていた時、いつか着せてあげたいと思っていたイメージに近いが、その想いが伝わったからだろうか。
──ヤバッ! 視線に気づかれた?
「な~に? ジッと見つめて……」
不思議そうな顔をしている。と思ったら、自己完結したようだ。
何を思いついたのか、おもむろに席を立つと「オッホン!」と咳ばらいをし、キリッとした表情をこちらに向ける。
何が始まるんだ? と見つめていたら……
「信者の幸せは、女神である私の望み。今日の糧に喜びを抱き、捧げられた命に感謝を捧げ、幸せを噛みしめながらいただけば良いのです」
雫奈は身振り手振りを交えて、ありがたい言葉らしきものを唱え始めた。
最後は優しく微笑んで、静かに手を合わせる。
「どう、いまの。神様っぽくなかった?」
なんだか、いろんな神様が混ざった感じで、微妙としか言えない。
それ以上に、エプロン姿じゃ様にならないってことが、よく分かった。
「どーでもいいが、どさくさで信者に格下げされたんだが?」
「あっ、ごめんごめん、マネージャーだったわね」
それも違うが、まあいい。
ここは素直に、この皿うどんに感謝を捧げるとしよう。
夢中になってスプーンを動かす。
ホントに美味い!
「そういえば、今日って平日だよね?」
「そうみたいだな」
「栄太は学校に行かなくていいの?」
思わずスプーンを取り落とす。
いやまあ、よく人から若く見られるけどさぁ……
仮にもお前は神様で、こうして世話まで焼いてくれる関係だろ?
なんで、知らねーんだよ!
「お前、いったい俺を何歳だと思ってる?」
「いきなり気安くなったわね」
なぜそこで照れる?
でもまあ、さすがに「お前」は失礼だったと思い「おう、スマン」と軽く謝る。
「高校生だって思ってたけど、もしかして大学生?」
「まあチビで童顔なのは認めるが、これでも、二十三だ」
いやまあ、この年でも普通に大学生はいるけどさ。院生とか。
「でも、ずっと家に居るよね?」
「家でできる仕事なんだよ!」
まだ少し疑っているようだが、どうやら納得したようだ。
それなら……
「雫奈こそ、毎日外をぶらついて、何やってんだよ」
他愛ない、ちょっとした反撃のつもりだった。
どんな反応をするのかと見守っていると、何を思いついたのか、雫奈がニッコリ微笑んでくる。
「じゃあ、教えてあげる。食べ終わったら外へ行くわよ」
予想外の展開だ。なんだか面倒なことになった。
──でもまあ、向こうのチェックが終わるまで、寝るわけにいかないし、ちょっと外の空気を吸いたい気分もある。ついでに、買い出しも済ませたい。
疲れはピークだが、眠気のピークは過ぎている。
思えば、この女神に声を掛けられたのも、納品の後、確認待ちの時だった。
急いで皿を空にして、流しへと運ぶ。
「ちょっと準備するから、食器はそのままでいいぞ。帰ってから洗う」
「そんな遠慮しなくても、洗ったげるわよ」
「いや、着替えもするんだが?」
「そんなの私、気にしないって。栄太が気になるなら、できるだけ見ないようにしてあげるけど」
──まあいい。それなら遠慮なく、着替えさせてもらおう。
まずは、パソコン内の取っ散らかっている資料を整理し、眠らせる。
続いて洗面所に行き、電気シェーバーでヒゲを剃り、顔を洗う。
最後に、着替えて所持品を確認し、愛用のカバンを肩に掛けたら準備完了だ。
その頃には、洗い物が終わっており、雫奈も自分の部屋に戻っていた。
テーブルやマットも持って帰ったようだ。
「準備できたぞ!」
「じゃあ、行こっか」
こうして一緒に出歩くのは初めてだ。だが、なぜだが全く緊張しない。
もっとこう、何か感情が揺さぶられるかと思ったのに、部屋にいる時と全く変わらなかった。
もしや、神の力でマネージャーの心得とか、何かを刷り込まれたのか?
その証拠に、気付けば車道側を歩き、歩調をあわせて進んでいた。
雫奈はただ散策しているだけのように思えた。
だが、どうやらお地蔵さまや祠をめぐっているようだ。
神社を安らぎの場所にして、土地神を名乗る者と一緒に行動している自分が言うのも変だが、霊感は無いと思うし、幽霊の存在も信じていない。
だが、雫奈が手を合わせると、その空間が清められた気がするから不思議だ。
ただ付いて歩いてるだけなのも何なので、その隣でそっと手を合わせる。
「やっぱり、不思議よね……」
「何が?」
「この世界は、もう信仰が廃れてるって聞いてたのに、祠もちゃんと管理されてるし、お地蔵さまも綺麗にされてる。寺や神社もたくさんあるし、風習とかもたくさんあって、生活の一部のようになってるみたい」
「まあ……そうだな」
とは言ったが、生活をしていて、神の存在を意識することは滅多にない。
「それなのに、魂に穢れを抱える人が減らないのは、ちょっと理解不能よね」
ちょっと思い出し、ケータイを取り出して調べてみる。
たしか…………うん、やっぱりそうだ。
「これでも犯罪の数は減ってるらしいぞ。ほらこれ」
画面に映るグラフを見せる。
ある時期から一気に下り坂になっている。
「まあ、これでもまだまだ多いし、巧妙化して発覚してないってのもあるんだろうけど」
「あー、そうじゃなくて。魂に穢れ……えっと、そうね、負の感情って言ったらいいのかな。そういう良くないものを溜め込んだ人のことなんだけど」
「人間、生きてりゃ、何かしら問題も出てくるだろ」
「まあ、そうよね……」
結局、雫奈が何を言いたいのか分からなかった。
それにしても、さすがに少し疲れて来た。徹夜明けに、終わりの見えない散歩は辛すぎる。
ちょうど、安さに定評のある食品雑貨店が見えて来た。
とりあえず、先に買い出しだけでも済ませたい。
「スマン、ちょっと店に寄ってくる。雫奈はどうする?」
「ん~、そうね。私はこの辺を見て回ってるわ。あとで合流するから、気にせずゆっくりしてきてね」
そうは言ってくれても、あまり待たせるのも悪い。
それに、買う物は大体決まってる。
途中でメッセージが飛んできたが、どうやら問題は無かったようだ。いつも通り「OK」の絵文字を返す。これで、安心して買い物が続けられる。
いつも通り、買い物袋ごとカバンに放り込んで、店を出る。
どうやって合流しようか、と悩むまでもなく、雫奈の姿が見えた。
「なんだ、待ってたのか?」
「えっ、違うよ。いま来たとこ。店から出てくるのが分かったから、戻っただけ」
まあ、本当にそうなのだろう。
店内から見た時には居なかった。
その後も、雫奈との散策は続き、手を合わせるだけの時間が過ぎる。
さすがに、キツイ。
「おい、スマンが、そろそろ帰っていいか? さすがに限界だ」
雫奈が足を止め、真剣な表情で見つめてくる。
「ねえ、栄太。今日、私、何をしてたと思う?」
「何って、地蔵めぐりと、祠参りだろ?」
「んー、半分正解……かな。ちょっとね、みんなから話を聞かせてもらってたの。かなり昔から居る神様もいるからね」
ヤバイ、話が長くなりそうだ。
「なんかね、信仰が根付きすぎて……って、ああゴメン、できるだけ簡単に説明するね。家に向かいながらでいいから聞いてて。ちょっと意見も聞きたいし」
「今、あんま頭働いてないし、聞き逃しても文句言うなよ」
「それでいいわ。えっとつまり、もう神様が満ちてて、私たちのような新参者が割って入るような隙間が無いってことみたい。
人間社会に紛れ込んでる神様は珍しくないけど、私のような新参者がこうして実体を得て活動できるのは、奇跡らしいよ。
だから栄太に感謝しなきゃね。本当にありがとう。これからもよろしくね」
元気良くピョコンと頭を下げて、上目遣いでこちらを見てくる。
──だから、その姿でソレはズルイって!
正直、言ってる意味は分からないが、簡潔に説明しようとした努力は認める。
ともかくもう、あとは帰るだけだ。
……と思ったら、雫奈が道を曲がって、アパートの裏へと向かう。
「ちょっ、おい、どこへ。アパートはこっちだぞ」
「今日は本当にこれで最後だから、ちょっとだけ付き合って」
この方向は、たしか神社があったはずだ。
名前は……思い出せないが、宮司が居ない小さな所だったと思う。
悪くはない場所だったが、あまりに近すぎて一度だけしか行ったことがない。
まさかと思ったが、そこが目的地だった。
まだ新しい石柱に、静熊神社と彫られてた。
「あれ? ここって、こんな名前だったか?」
見れば清掃が行き届いており、なんか古さの中に新しさが加わった感じがする。
雫奈は気にせず、どんどん中へと入っていき、本殿の前までやってきた。
これ、見つかったらシャレにならんぞ……
そんなことを思っていると、雫奈は振り向き、こう言い放つ。
「私がここの宮司。そして、アキツシズナヒメがこの神社の主神となります」
はぁ?
今、何て言った?
「心配しなくても大丈夫。面倒な手続きはこっちで済ませておくから。今日から栄太も、ここの神主としてがんばってね」
おい、何の冗談だ?
全然知らないけど、資格とか必要じゃないのか?
寝不足も手伝って、全く頭が働かない。
「まあ、神主って言っても、この神社限定だけどね。やることもマネージャーと変わらないから。とにかく、ここが私の活動拠点になるからよろしくね。
ちょっと聞きたい事があったんだけど、それはまた明日でいいや。今日は帰ってゆっくり休んでね」
なんだそれ? 全く意味が分からない。
もういいや……
全ての思考を放棄した。