20 幻滅しましたか?
適当に昼食を済ませ、ひとり部屋で作業していた俺は、ひと息つこうと席を立ち、身体をほぐす。
こうして何かの作品を作るのは楽しい、細かいものほど没頭できる。
だがやはり、疲れる。
いつの間にか、優佳が部屋の中にいた。
長い髪を後ろで縛っただけの、ラフな部屋着姿だ。
なるほど、今日は土曜日だった。
今まで気配を消していたのか、今来たばかりなのは分からないが、ちゃんと声をかける前に気配を感じさせてくれるので、驚かされることはない。
「何を作ってるのですか? 兄さま」
「特殊な粘土で、ちょっとしたお守りをな」
「これは……この前、美晴さんが見せてくれたワンちゃんですね。これほど小さく作るなんて、すごいです。兄さま」
「でも、なんかいまいち、様にならないというか、ちょっと違うんだよな。優佳から見て、ちゃんとできているように見えるか?」
「う~ん、お守りの効果は高いと思います。造形でしたら、もう少し目に優しさがあればいいかと。あとは尻尾が少し違っているような気がしますね」
「尻尾か。たしかにな……」
「たぶん……ですが、ふさふさ感が足りないようですね。それと、少し長すぎるのではないのでしょうか」
優佳はパソコンを操作して、別の画像を表示させる。
とても分かりやすい角度で写っていて、たしかに優佳の指摘通りだった。
「助かった。すぐに終わらせるから、ちょっと待っててくれ」
「はい。では、お菓子でも作って待ってますね。兄さま」
「いいのか? 何か用事があったんだろ?」
「いえいえ、何をしているのかと、気になっただけですから」
まあ、そう言ってくれるなら……と、修正を始める。
とはいえ、ものの数分で完成した。
お菓子を作っているのなら、まだ時間がかかるだろう。
ついでに、他にもいろいろと作ってみる。
部屋がいい匂いで満たされてきた。
まだ材料は残ってるが、使い切れる量ではない。なので、お守り作りはここまでにして、片付けることにする。
気になって見てみると、優佳はキツネエプロン姿で、なんだかよく分からない機械を使って、何かを作っていた。
ホットケーキのような甘い香りに、バニラと砂糖の匂いだろうか。イチゴの匂いも混ざっている気がする。
洗面台でしっかりと手を洗い、戻ってくると、すっかりおやつの用意が整っていた。
巫女姿の雫奈も、飲み物の準備をしている。
「ほう、こんなのが作れるのか?」
「はい。姉さまがワッフルメーカーを頂いてきたので、一度使ってみたいと思ってたんです。こちらがイチゴジャム入りで、あとはプレーンです。チョコソース、はちみつ、生クリーム、粉砂糖がありますので、お好きな味でどうぞ」
「おやつというより食事だな。昼は軽めだったから、ありがたいが……。こんな機械をくれるって、気前がいいな。決して安いもんでもないだろ?」
「ああ、それね。その人、八種類のキャラクターの形で、一度に焼けるのを買ったんだって。もう一つ予備もあるから、よかったらどうぞって」
「いや、それでも、普通はくれないだろ」
「栄太が知らないだけで、私、結構人望があるのよ。静熊神社の宮司だからね」
「ああ、そうだったな」
雫奈が、エッヘンと胸を張る。
実際のところ、雫奈の人気……というか、知名度は確かに上がっているようだ。
最初は、地蔵や祠に手を合わせて歩く、ちょっと変わった子、だったのが、今では気軽に声を掛けられるようになっている。それも笑顔で会話している。
神社への参拝者……というか、立ち寄る人も出てきており、収入もそこそこあるようだ。とはいえ、三藤さんと時末さんの給料が出せるかは、かなり怪しいが。
なので一応、会社のほうに一つの企画案を提出しておいた。
本当は俺だけで進められれば良かったのだが、さすがに無理だと早々に諦めた。
ならば、会社も巻き込んで、大きなプロジェクトにしてしまえ……と思ったのだが、たぶん却下される可能性が高いと思う。
まあ、ダメ元の計画なので、それもまた仕方がない。
「どうぞ、召し上がれ。兄さま」
「おう、頂きます」
ちゃんと手を合わせる。
ひとりだったら決してやらないが、二人の前だと自然とそうなる。
さっきまで、全く空腹を感じてなかったのに、食べ物を目の前に置かれた瞬間、お腹が騒ぎ出す。さすがに少し恥ずかしい。
プレーンに何もつけずに、とりあえずひと口。
「美味い。甘さ控えめで、いくらでも食べられそうだ」
「喜んで頂けて嬉しいです。甘さが控えめなのは、トッピングを楽しむ為ですよ。兄さま」
…………。
かなりしっかりと頂いてしまった。
イチゴ味の生クリーム乗せもだが、粉砂糖を振っただけでも美味しかった。
これは、少し運動でもしないと、いろいろヤバそうだ。……カロリー的に。
「それでは兄さま、私とデートをしましょう」
「そうだな。たまには優佳にも何かご褒美をやらないとな」
優佳が驚いたような、不思議そうな顔でこちらを見る。
「ん? どうした?」
「いえ、もっと驚いたり、嫌がったりするかなって思ったので。でしたら、すぐに準備しますね。兄さま」
なんだかすごく嬉しそうに、隣の部屋に戻って行った。
「いや、片付けがあるから、急がなくていいぞ」
「片付けなら私がやっておくから、栄太は優佳に付き合ってあげて」
「いや、でも……」
雫奈は意味ありげに笑顔でうなずく。
「あーなんだ、つまり、ケガレが関係してるってことか」
「ケガレなら私も気付くと思うんだけど、どうだろ。優佳のことだから、何か意味がありそうだけど……。でも案外、たまには栄太と二人でお出かけしたいってだけかもね。だから、しっかり二人で楽しんできてね」
「まあ、普段の優佳を知る、いい機会だしな。雫奈も神社でやることがあるんだろ? 帰ったら俺が片付けるから、放っておいていいぞ」
「はいはい。優佳が待ってるから、栄太も早く行ってあげて」
追い出されるように、家を出た。
隣では、優佳が上機嫌で歩いている。
今日の服装は、外出用のドレスっぽいワンピース、白いソックスに赤い靴といった、幼さと可愛さを前面に出したような姿だ。髪もしっかりとまとめ上げ、リボンで飾られている。
まあこれなら、兄妹にしか見えないだろう。
そう思ったのだが……
「おや兄さん、今日は優佳ちゃんとデートかい?」
最初に掛けられた言葉がコレだ。先が思いやられる。
ちょっと用事で……などと誤魔化して先へ進むが、その後も何度か同じような会話が続いた。
嫌な気はしないが、ちょっと面倒だ。
二人はまあ、いろいろと目立つだろう。それは分かる。
でも、この前も思ったが、いつのまにか俺までセットにされているようだ。
「あら、優佳ちゃん。今日はお兄ちゃんとお出かけかい?」
「はい、そうなんです。今日は兄さまとデートなんですよ」
「そりゃ良かったねぇ。しっかり楽しんでくるんだよ」
「はい、ありがとうございます」
なんという、流れるような会話だろうか。
相手も優佳の冗談を、見事に受け流している。
まるで、いつものことのように。
「まさかだが、いつもこんな会話をしてるのか?」
「こんな……の意味が分からないですけど、町の皆さんは、私たち三人の事を、静熊神社の仲良しさんって呼んでますよ。兄さま」
「それって、俺が神社の関係者ってことも?」
「もちろん、皆さん、知ってますよ」
なんてこった……
いや別に、雫奈や優佳と仲良くしてるって思われるのは構わない。
だが、神社関係者だと知られていたら、外を歩いていても気が抜けない。
俺の悪評は、即ち、静熊神社の悪評になる。
それなのに、今、向かっている先は、おそらく繁華街。人目に付きまくる場所だ。
「なあ、出来れば今日の目的を教えてくれないか?」
「最初に言った通り、今日はデートですよ。兄さま」
「デートにしても、いろいろあるだろ?」
「そうですね……、まずはショッピングですね。お店を見て回りましょう」
普段から来ているのか、ここでも優佳は、よく声をかけられている。
そして、俺も……
「よう、あんちゃん。今日は優佳ちゃんとデートかい?」
「まあ、そんなところです」
「くぅ、羨ましいねぇ。優佳ちゃん、本当にいい子だよな。息子が居たら是非嫁に欲しいぐらいだ。しっかり守ってやんなよ、あんちゃん」
見知らぬオジサンにまで、話しかけられた。
わざわざ「今日は」と言ったのは、いつもは雫奈と歩いているのを知っているからだろう。
本当に三人組として、かなり浸透しているようだ。
横を歩いていた優佳が、突然、俺にピタリとくっついてささやく。
「気を付けて下さい、兄さま。何かイヤな感じがします」
その直後、前方で騒ぎが起きたようで、その方向から男が走ってきた。
手には女性もののバッグを持っている。
今どき、こんなことをする奴がいるのかと呆れる。
こういう時のお約束。俺は偶然を装って、男にぶつかりに行く。
当然、まともにぶつかれば、俺が吹っ飛ばされるだけだろう。
だから、ぶつかる寸前に避けて、足を引っかけてやる。
「……っくぅ」
目論見通り、男は転んだが、目測を誤った俺も、吹っ飛ばされて地面を転がる。
ならばと、地面に座ったまま、視界を切り替えて、男の魂を観察する。
やはりケガレが発生している。
……恐れ、焦り、苛立ち、怒り、なんで、許せない、俺が、金が欲しい!
いやまあ、これなら観察するまでもなかった。
それに、今は雫奈がいない。
原因を突き止めたところで、浄化できなければ意味がない。
「少し潜ってもらってもいいですか? 兄さま」
優佳の声に従うと、ユカヤが現れた。
今日は、なぜか悪魔スタイルだ。
いやまあ、優佳のことだから何か理由があるのだろう。
現実世界では、転倒した男が別の男に取り押さえられている。
そのせいなのか、魂の合計値が徐々に上がっていく。
これがケガレが広がるってことなのだろう。
──まるで、ストレスをため込んでるみたいだな……
「私の事が知りたいのですよね、兄さま。これから、私の視界へご案内しますね」
「えっ? あっ……わかった」
知りたいと優佳に言った覚えは無いが、雫奈との会話を聞いていたのだろう。
それに見せてくれるというのなら、見ておくのも悪くない。
さすがに、この前のような地獄絵図ってことはないだろう。
視界が切り替わったのを感じて、調整する。
なんだか、地下の牢獄のようだ。
鉄格子の向こう側で、手足に枷をはめられた男が、宙吊りにされている。
半裸というか、下半身にボロ布を巻いているだけの状態で目隠しされている。
そのせいで顔がよく分からないが、恐らく俺とぶつかった男だろう。
どうやら耳栓もされているようだ。
男の動きで、何かを喚いているのだろうということは分かる。
だが、例によって音や声が聞こえない。
聞こえるとしたらユカヤの声だけだろう。
ユカヤの姿は、悪魔姿のままだった。
虚空から鎖を伸ばして、男の肌をまさぐっている。
その度に、男の身体が、ビクリと跳ねる。
見るに堪えない光景だが、優佳の事を知りたいと思ったのは俺だ、だから最後まで見る責任がある。……と思う。
わざわざ優佳が俺に見せるのだから、何か意味があるのだろう。
男の様子が何か変だ。
あまり気が進まなかったが、男の様子を観察する。
……快楽、喜び、愉悦、期待、もっと、もっとだ!
いや、やっぱり見るんじゃなかった。予想通り過ぎて、ガッカリだ。
男から、耳栓と目隠しが消えた。
鎖の先が、男の皮膚を傷つけ、血液……ではない、何か黒いものを滴らせる。
これがケガレだろうか。
……あれ?
ユカヤが何か言っているようだが、聞こえない。
それを聞いた男は、なんだか興奮しているようだ。
ユカヤが大きく手を振る。
それに呼応したかのように、鎖が鞭のようにしなり、男の身体を打つ。
新たに出来た傷口から、黒いものが飛び散る。
「ここまでにしておきますね。兄さま」
耳元でユカヤの声が聞こえたと思ったら、自分の視界に戻っていた。
何だったんだろうか。
悪夢でも見たような気分だ。
この前とは違う意味で地獄絵図だった。
「幻滅しましたか? あれが悪魔である私の本性。あの人の魂に快楽を与え、服従させることで、ケガレを吐き出させて浄化するのです。兄さま」
「いやまあ、かなり驚いたが、それであの男の魂を浄化されるんだろ? 俺は遠慮したいが、あの男が喜んでるなら別にいいと思うが」
「これによって地獄行きにならないのなら……とお考えでしたら大間違いです。悪魔にとって、この行為はただの食事であって、決して救済ではないのですよ」
「そういや豊矛様も、そんな事を言ってたな。悪魔にとって闇はご馳走とか何とか」
「はい。深き闇ほど、強い力を秘めています。さっき見たあの男から滴っていたのが闇──負の感情です。悪魔はそれを取り込むことで力を得ます。魔を喰らう、という行為です。その際、少なからず魂を傷つけます。悪魔によってはワザと傷つけるようなことをします」
「魂が傷つくと、どうなるんだ?」
「魂が傷つくとは、精神の欠損を意味します。精神が壊れるほど意志が希薄になり、その結果、契約が結びやすくなります。契約を結んだ魂には、使い道はいろいろありますが、その多くは壊れるまで魔を提供し続ける道具にされます」
「雫奈が聞いたら激怒しそうだな。いや、知らないワケがないよな」
「そうですね。でも知っているのと実際に見るのとでは、全く違うと思いますよ。あの光景を見せたら、姉さまと大喧嘩になりますね。きっと」
女神と悪魔の大喧嘩。ちょっと興味はあるが、ロクな結果にならんよな。
できれば、いつまでも仲良くしてもらいたい。
「で、結局。これを俺に見せた意味を知りたいんだが。ただ俺が、優佳のことを知りたがってたからって訳でもないんだろ?」
「兄さまが私の事を信頼して下さるのは嬉しいのですけど、そのせいで、悪魔に対する警戒心が薄れているのではと、そう感じたものですから。
神の方針に逆らい、不本意ながら悪魔と呼ばれているモノも多くいます。ですが、本当に危険な悪魔も存在します。無害で善良なフリをして、近づいたところをガブリ、なんてことは当たり前ですので、気を付けて下さいね。兄さま」
「ああ、分かった。言葉で伝えてもインパクトが薄いから、実際に見せてみたってことだな。ちなみに、あの男はどうなるんだ?」
「それなら心配ないですよ。ちゃんと傷つける場所を選んでますから。少しは変な性癖に目覚めるかも知れませんけど、意志が希薄になったりしませんよ。兄さま」
俺のことを心配して警告してくれたんだろうが、ここまでする必要があったのかは疑問だ。そりゃ、かなりインパクトがあったし、おぞましかったけど、それでどう警戒すればいいのか分からない。
ついでに、自分の本性を俺に知って欲しかったのか?
いつもながら、優佳の考えは分かりづらい。
……って、何だ?
何だか俺の周りに人が集まってる気がするんだが……
「なんか心配されてるみたいだから、向こうに戻るぞ」
ユカヤがうなずくのを確認して、意識を浮上させ、切り替える。
「おっ、子供が目覚めたぞ」
「坊主、大丈夫か? どこか痛くないか」
心配そう……ではなく、思いっきり心配されていたようだ。
しかも、子ども扱いされてるし。
「スマン、心配かけた。俺なら平気だ」
立ち上がろうとしてフラつく。……と同時に、たくさんの手が俺を支える。
「無理すんな。頭を打ってたら大変だ。救急車来るまで、大人しくしてなって」
いやいや、本当に大丈夫なんだが!
ちょっと精神世界へ行ってただけなんだが!
なんて事を言えるわけがない。
仕方がない、ここは子供っぽく演技をして切り抜けるか……
「いや、ほら、この通り平気だから。皆さん心配してくれてありがとうございます。ちょっと急いでるから、このまま行かせてもらうね。救急車の人には、ごめんなさいって謝っといて」
そう言い残して走り出す。
いつの間にか優佳が楽しそうに横を走っていた。
その弾けるような笑顔は、あの悪魔と同じとは思えないほど、無邪気だった。