13 バレてたみたい。
この日、ひとりの男が、山門駅に降り立った。
まず、目を見張るのは、その存在感。
服装だけなら、オシャレと言っていい普通の格好だが、とにかくデカイ。
昔話風に言えば、六尺を超える筋骨隆々の大男と表現されるだろうか。
彫が深く精悍な顔つきで、どこか近寄りがたい雰囲気を漂わせつつも、目は優しく、どこか人の良さも感じさせる。
何かの俳優やモデルと言われても通用する容姿だ。
「ワシゃ、帰ってきたよ。爺様」
大男はそう呟くと、目元の涙を拳で拭い、神軒町に向かって歩き出す。
ここに来たのは数度だけ。しかも、子供の時以来だ。
国道沿いを歩くが、当時を覚えていないので、昔との違いは分からない。
土曜の朝にしては、静かな感じもするが、廃れているわけではなさそうだ。
走る車の数もそこそこあり、流れもスムーズだ。
少し駅を離れれば、田畑が見えてくる。
田には水が張ってあり、何カ所か苗が植えられている。
これから本格的に、田植えが始まるのだろう。
橋を渡って、川沿いに伸びる堤防の道を歩く。
木が植えられているが、何の種類か分からない。
ありがちなのは桜だが、だとすれば、もう花の季節は過ぎているようだ。
川幅が広くなってきた。
たしかこの先には中州があり、ご神木があったはずだ。
堤防を下り、橋の下をくぐって、再び堤防に上がる。
まだ少し遠いが、ご神木が少し見える。
堤防を進み、ご神木に近付く。
ちょうどベンチが置いてあり、ここからだとよく見える。
昔とは違って堤防は整備され、ベンチの場所や形も変わっているが、ここから見るご神木と、対岸の神社は記憶のままだ
祖父に連れられ、ここに立ち、この光景に感動したのを思い出す。
「爺様、約束通り、神社はワシが継ぎますので、安らかに眠ってくだされ」
祖父は小さな神社の宮司をしていた。豊矛神社という古い神社だ。
町のためにと、たったひとりで管理していた。
祀られている豊矛様は、この地の災厄を鎮める土地神様だと聞いている。
この辺り一帯の守り神である秋月様の信任も厚い、猛き神らしい。
その神社を継ぐと、祖父に誓ったのに……
何を間違ったか仏門に入り、力に目覚めて修験者となったが、未だ何ひとつ成し遂げていない。
いま一度、初心に立ち返り、神社を継ぐ資格を得てこの地へと戻ってきたが、すでに豊矛神社は他人の手に渡っているという。
しかも、その人物は、魔性のモノと噂されている。
「このワシ、時末忠次郎が、この地を久しく安からしめんことを誓いまする」
ご神木に向かって手を合わせる。
そのご神木の横、さらに向こうだろうか。何かが浮いているのを発見する。
「なんだ、アレは?」
人が空を飛んでいる? ……いや、宙を漂っているように見える。
幽霊なんぞ珍しくもないが、奇妙な気配を纏っている。
「……!? 落ちよった。何だったんだ?」
たしかに落ちたように見えた。だが、再び浮上して対岸……大男がいる側の堤防へと降り立った。
ならばと、確認しようと近づいて行くが、不意に幽霊の姿が消えた。
「あやつ、妖魔にでも魅入られておったか……」
かなりハッキリと、あの幽霊から魔の気配を感じた。
できればこの場で滅しておきたかったが、仕方がない。
──あのようなモノが現れるのも、豊矛様の加護が薄れているからに違いない。すぐにでも神社に乗り込んで、新たな宮司とやらを見極め、場合によっては……
戦いになる可能性があるのなら、心身共に万全な状態にするべきだと思い直す。
「秋月様、豊矛様、愚かなワシにどうか力を貸してくだされ」
もう一度、ご神木に手を合わせると、食事ができる店を求めてこの場所を離れた。
雫奈は、相変わらずの巫女服で、拝殿の掃除をしている。
俺は神社の家の中、裏庭に面した部屋で、精神を集中させていた。
精神世界でのイメージトレーニングだ。
視点移動は、地面を這うようにノロノロとだが、なんとか出来るようになった。
今は、精霊や妖精が見えるようにならないかと悪戦苦闘している。
一度イメージを固めてしまったせいか、なかなか上手くいかない。
ならばと、今度は雫奈の気配を探る。
当然、事前に本人からは、了承を貰っている。
それどころか、前に無断で挑戦した時、案の定すぐにバレ……
「無意識なままでも、常に私がどこに居るか分かるぐらいになってね」
などと推奨されてしまった。
なので、修業の合間の気分転換に、雫奈がどこに居るのかを探ることが当たり前になりつつある。
とはいえ、成功率は、まだまだ低い。見つけられないってだけじゃなく、違う気配と間違えることも多い。
今も拝殿にはいるはずだ。そう思いながら、大体の方向や距離を探っているが、全く気配が分からない。
ならば、建物から出たのかと周辺を探るが、やはり何も感じない。
巡回に出かけた可能性もあるが、俺の修業のためにわざと気配を消している可能性もある。
なので、もう一度気合を入れ直し、意識を敷地全体に広げ、徐々に場所を絞っていく。
──……あれ?
参拝者……ではない。お客だろうか。
なんとなくしか分からないが、人の気配がする。
これで雫奈が姿を現すかと思ったのに、本当に不在のようだ。
──仕方がない。
居留守を決め込んでもよかったが、大事な要件だったら申し訳ない。
だが訪問者は、扉を開けることもなく、声を掛けることもない。
まあ、前にも、人だと思ったら猫が迷い込んできただけった、なんてこともあったので、見に行くことにする。
玄関からでも良かったが、ここは裏庭から出て、偶然を装うことにしよう。
「なんだアレは……」
玄関のほうを見て驚いた。
めちゃめちゃデカイ男が立っていた。
しかも、涙を流している。
どうしたのだろうか。
どう見ても、悲しい事があって、お参りに来たって雰囲気ではない。
それなら、神さまの方へ行くはずだ。
ただの手伝いの俺が首を突っ込んでいいものか分からないが、放っておくわけにもいかない。
話だけでも聞こうと思い、偶然を装って近づいて行く。
「あのー、失礼ですけど、こちらに何か御用でしょうか」
先に言っておく。
俺は間違っても無礼は働いていないはずだ。
高圧的でもなければ、鼻ホジしながら登場……なんてこともしていない。
まあ服はカジュアルだが、だからと言って、いきなり攻撃されるほどではないと思う。
なぜか大男は、こちらを見つけるなり鬼の形相で襲い掛かってきた。
とはいえ、優佳に比べたら動きは遅いし大ぶりで、まるで当たる気がしない。
靴を履いて来てよかった。もし、つっかけだったら、足を取られて満足に動けなかっただろう。
裏庭で身体を動かす時の為に置いてあった靴だったが、役に立った。
相手の意図が分からないだけに、反撃が出来ない。
ならばと、距離を取って、相手の魂を観察する。
──うげぇ、なんだこれ……
大男の魂に、なんだか気色悪い黒い蛇のようなものが絡みついて、蠢いている。
まさか、コレもアラミタマなのだろうか。
とはいえ、前のスーツ男とは違い、この大男は理性があるようだ。
つまり、理性を保ったまま、自分の意志で俺を攻撃している、ように感じる。
恨みを買った覚えは無いが、生きてりゃ、知らない間に恨みを買ってることもあるだろう。
「いきなり、何のつもりだ!」
たぶん、ここは怒ってもいい場面だ。
言葉に怒気を込めて、静かな怒りを演出する。
「それは、ワシの台詞だ。貴様こそ何のつもりだ。何の思惑があって、ここに入り込んだ? この物の怪め!」
──コイツ、いま、何て言った? 俺がモノノケ?
年齢を間違えられることは日常茶飯事だが、モノノメ扱いは初めてだ。
まあ、この姿で二十三とは化け物かって言われたら反論できないが、絶対にそういう意味ではないだろう。
「言ってる意味がよく分からんが、まだヤルってんなら、反撃させてもらうぞ」
そうは言ってみたものの、この体格差だ。俺の攻撃が通じるのだろうか。
まあ、たぶん、相手に捕まれば終わりだろう。だから、敵の攻撃を避けることに集中しながら、出来るだけ相手の体力を消耗させよう。
反撃する隙があれば、狙うは足の関節。
足さえ止めれば、怖くはない。
「おのれ! ちょこまかと!」
──そんなテンプレ台詞を吐いた後は……
相手のタックルを、横に飛んでヒラリと避ける。
当然、相手が腕を広げて、それを阻止しようとすることも計算済みだ。
──大技で自滅するって相場が決まってるんだぞっと。
その腕を掴み、腹筋に力を込めて、男の脇腹にヒザ蹴りを叩きこむ。
もちろん、すぐに男の手が届かない距離まで離れる。
さすがにコレは効いたようで、男がヒザを折った。
すでに大男の足は止まり、息も絶え絶え、さすがにもう負ける気はしない。
「なあ、頼むから、俺に分かるように説明してくれ。なぜ、いきなり襲って来た。モノノケとは、どういう意味だ」
「まだ、そんな事を言うか、この化け物め」
──おい、モノノケからバケモノに格上げしやがったぞ、コイツ!
もう一発、殴ってやろうかと思ったが、さすがに自重した。
できれば情報が欲しい。
「善良な一般人は騙せても、このワシの目は誤魔化せん。身体から、それほどの邪なる気配を漂わせておきながら、まだ人間のフリを続けるか」
…………あっ、なるほど。
たぶん、コイツが感じているのは優佳が俺に施した祝福のことだろう。
白くなりすぎた魂に、黒を混ぜ込んだっていう、アレだ。
「この化け物め、ここの宮司に成りすまして、一体何を企んでおるのだ! 素直に白状せいっ!」
これは参った。なんか、いろいろと誤解だらけのようだ。
とはいえ、説明したところで、信じてもらえる雰囲気ではない。
そもそも部外者に話せることでもない。
まあでも、話せる誤解から説明することにする。
「あーなんだ。簡単に言うとだな、お前の認識は間違いだらけだ」
チッチッチッと指を振りながら、一部の教師がやるように同じ場所を何度も往復するように歩く。
「俺はここの宮司じゃない。一応関係者だが、ここの宮司に頼まれた時に手を貸してるだけだ」
男の様子を観察する。
──……こりゃダメだ。俺の言う事を聞いちゃいない。
絶対に騙されるかって、全身で叫んでいるようだ。
まあでも仕方がない。言うだけ言わせてもらおう。
「それに、俺は間違いなく人間だ。邪な気配ってのは分からんが、たぶん呪いのことじゃねぇか?」
──スマン、優佳。お前の祝福を呪いとか言って……
澄ました顔のまま、心の中で土下座する。
「妖怪の話など信用できるか! 観念して大人しくせい。ワシがこの手で滅してくれる!」
大男が怒鳴り返す。
参った。どうやら話している間に、大男が回復してきたようだ。
……って言うか、妖怪って。バケモノとどっちがヒドいのだろう。
──えっ? うっかりお姉さん?! ちょっと待て、なんでアンタがそこに?
三藤さんが、鳥居をくぐって近づいて来る。
「どうしたんですか? そんなに大声を出して。外まで丸聞こえですよ?」
一瞬、気が逸れた。
たぶん、大男は、それを待っていたのだろう。
「くわぁっつ!!!!」
耳をつんざく大声と共に、思いっきり手を叩く。
やばい。ここ数日で何度目の目眩だろうか。
頭がクラクラする。
三藤さんは平気なのか、こちらを心配そうに見つめて、何かを言っている。
たぶん、俺の名前を呼んでいるのだろう。なんとなく、微かに聞こえる。
「どうだ、この悪霊! 我が清浄なる気で苦しんでいるのが、貴様が悪霊である何よりの証だ!」
──とうとう悪霊にしやがったよ。だいたい、至近距離であんな大声出されたら、誰でもこうなるっての。……ってか、お前も苦しんでんじゃねぇか。
同じように大男もフラついている。
どうやら、大男の後ろに居たからか、三藤さんは無事のようだ。……よかった。
目眩は、落ち着くどころか、ますます酷くなっていく。
──あっ、こりゃダメだ……
頭を押さえて、地面にヒザをつく。
そんな俺に、三藤さんが駆け寄ろうとするが、大男が……
三藤さんを突き飛ばそうとした大男が吹っ飛んだ。
いやまあ、自分でも目を疑う光景だが、あの巨体が宙を舞って、五メートルほど離れた石灯籠に激突したのだ。
しかも、石灯籠が崩れた。
「ダメですよ、兄さま。今度からは、ピンチの時は早めに呼んでくださいね☆」
大男を蹴り飛ばした見事に態勢で、足を上げたまま、優佳がウインクする。
……って、お前、スカートなんだが?!
「ごめんね、栄太。ちょっと、その人の事が気になって、教えてもらいに行ってたんだけど、まさかこんなことになるなんて思わなかった」
その横で雫奈が、驚いて座り込んでいる三藤さんを、抱き起していた。
どうやら、ちゃんと私服に着替えて行っていたようだ。
「あー、二人ともスマン。助かった」
これで、心置きなくへたり込める。
「くそっ、バカでかい声を出しやがって。まだ頭がクラクラする」
横にしゃがみこんだ優佳は、俺の額に手を当てる。
治癒してくれているのだろう。徐々に頭の不快感が消えて行く。
「あれは精神に作用する攻撃ですよ。兄さま」
「精神……攻撃?」
耳元で大声を出されたら、三半規管がどうのこうの……ってヤツじゃなかったのか……
「そうです。兄さまの魂に陽の気をぶつけて、陰の気に働きかけたのですよ」
「あーなんだ。つまり、優佳の祝福に悪影響を与えたってことか?」
「……はい。私と姉さまの因子が、まだ兄さまの魂に融合出来てなかったので、私の因子が反応してしまったのですね」
「そんな顔をするな。お前の祝福は俺を救ってくれたんだろ?」
優しく頭を撫でてやる。
「そうですね。でも、今の衝撃でかなりかき混ぜられましたので、もう同じ攻撃は効かないと思いますよ。兄さま」
あれ? すごくいい笑顔だ。もしかして、俺、遊ばれた?
なんだか、優佳が日増しに小悪魔っぽくなってきている気がする。
思わずこんな場所で話してしまったが、三藤さんには聞かせられない話だった。
だが、気を利かせた雫奈が、家の中へと案内したようだ。……さすがだ。
「ありがとう、優佳。だいぶ楽になった」
立ち上がって、軽く身体を動かしてみる。
完全に……とまではいかないが、普通に動けるぐらいには回復した。
ゆっくりと、ノビてる大男の前に歩いて行く。
「さてと……、コイツの始末、どうつけようか……」
「灯篭の修理費と、迷惑料は支払って頂かないと、困りますよね。兄さま」
取り調べをするにしても、ここでは目立つ。
「お仕置きするのでしたら、いい場所がありますよ。兄さま」
そう言うと、優佳は家を指差し、その指を下に振った。
「おお、地下の貯蔵庫か……」
「じゃあ、私はコレを運びますので、灯篭のほうをお願いしますね。兄さま」
なんだか大男の扱いが雑だが、それだけ優佳は怒っているのだろう。
俺への攻撃に、自分の祝福が利用されたからだろうか。
「これ、俺が直すのか?」
いやまあ、それほど大きなモノではない。
だが、それでも材質は石だ。ちょっとしたものでも、相当な重量だ。
多少時間はかかったし、完璧とは言えないが、いちおう形にはなった。
崩しておいたほうが安全のような気もするが、できるだけ早く、再び崩れて事故が起きる前に修復してもらおう。
裏庭へ回って家に入る。
──優佳が無茶をしてなきゃいいけど……
少し心配だったが、まずは三藤さんだ。
昨日の今日で、何をしに来たのか気になる。
雫奈も地下へ行ったのだろうか。部屋には三藤さんがひとりで座っていた。
見た所、なんだが元気そうで安心した。
「何だか大変なことに巻き込んでしまって、申し訳ない。怪我をしてたり、気分が優れないなどがあれば、言って欲しい」
「はい。全然平気です。昨日のお礼で来たのですけど、また助けてもらっちゃいましたね」
「とんでもない。三藤さんには迷惑をお掛けした……」
トレーを持って雫奈が戻ってきた。
紅茶と……エクレアのようだ。
「美味しそうよね。昨日のお礼にって淑子さんが持ってきてくれたのよ。一緒に頂きましょう」
自分では、まず買わない代物だが、確かに美味しそうだ。
それにしても、いつの間に下の名前で呼ぶようになったんだ?
「いつの間にか、二人仲良くなったんだな」
「はい。雫奈さんのお陰で、新しい仕事が決まりましたし、繰形さんもこれから、よろしくお願いしますね」
「……ん? どういうことだ?」
「そうだった。栄太には、まだ言ってなかったよね。なんかね、この前の騒動で会社を辞めて来たらしくて。だったら、この神社で働いてもらおうかなって」
いやまあ、うん、何もおかしなことはない。
俺は用が無ければここに来ないし、優佳は学校がある。
それに雫奈も、なんだかんだと神社を離れることが多い。
だから、昼の間だけでも、誰かがここに常駐してくれると助かる。
それに、人手も必要だと思っていた。
だから、何もおかしなことはない。
でも今は、大男の件も含めて、いろいろありすぎて脳の処理が追いつかない。
……って、会社を辞めて来たのか?
「それにね、栄太。もう淑子さんにバレてたみたい」
いやまあ、薄々気付いてはいたが、一応確認する。
「……何がだ?」
「私と優佳が、人間じゃないってこと」
やっぱりか……
俺は天井を仰いだ。