09 神も悪魔も管理者です。
目の前に立つ、等身大の「妹」を見る。
中には、悪魔を自称するパルメリーザとかいうモノが宿っているらしい。
まあ、たしかに雫奈──女神アリスティアとは様子が違う。
雫奈には、自分からグイグイくる強引さがあった。だが、パルメリーザは最初のインパクトこそ強烈だったが、今は物静かな雰囲気だ。
とはいえ、この程度の違いなら、個性と言ってもいいだろう。
いや、待て。
実は相手は、本当に危険な悪魔で、今は雫奈のお守りのお陰でなんとかなっている状態かも知れない。だとしたら、俺の命は風前の灯火というやつだ。
いつ効果が切れるか分からないのだから、のんびりもしていられない。
自分でやからかした事だから、俺の身に何が起こっても自業自得だが、俺のせいでこの世に危険な悪魔が解き放たれて、人類が滅亡したらシャレにならない。
いつぞやの、ミヤチに伝えた言葉を思い出す。
──まさかミヤチに放った言葉が、こんなところで自分に返ってくるとはな。たしかに雫奈の前じゃ、つまらん意地やプライドは必要ない……か。
気を付けてと忠告されたその日に、こんなことをやらかした。だからといって「自分の力でなんとかしたい」と思うのは、それこそつまらん意地だ。
これ以上状況が悪くなる前に、雫奈を呼ぶのが正解なのだろう。
「スマン雫奈。悪魔が出て来たんだが、どうすればいい?」
粒子になって現れた雫奈は、いつも通りの笑顔を浮かべていた。
ホッと安心すると同時に、申し訳ないと心の中で土下座をする。
「えっと、雫奈。念のために聞くが、説明は必要か?」
「ん~、大丈夫……かな。この子が、この世に顕現した悪魔さんよね」
まあ、そうなんだが、やけにアッサリとしている。
神と悪魔って、徹底的に仲が悪く、顔を見れば殺し合いをしているイメージなんだが……違うのか?
「えーなんだ。今さら、こんな基本的なことを聞くのもなんだが、神や悪魔って何だ? ……って、やっぱりこれも聞いちゃマズイ事なのか?」
「それは……」
「お兄様、私が説明しますね。私たちは魂の管理者として、精神世界に派遣されたモノたち。その目的は魂の循環と、それによって得られるエネルギーの安定供給」
ヤバイ、言ってる意味が分からないのに、禁忌に触れている気がする。
「あーなんだ。ちょっと待て。この話ってやっぱりアレか。聞いたが最後、協力しなければ記憶を消す……ってやつだろ?」
「さすが、お兄様。その通りですよ」
パルメリーザが「妹」の姿で、ニッコリ笑う。
おいおい、ちょっと待て!
この数日、俺の心を悩みに悩ませていた問題を、問答無用で打ち砕きやがった。
──間違いない。コイツは悪魔だ。
これでもう、雫奈の協力者になる以外の道は無い。
ってことは……
「あのさ、それって、俺が拒否したら記憶を消されるんだろ? だったらお前も、その姿を維持できなくなるんじゃねぇのか?」
「そうですね」
「やけにアッサリとしてるな。お前は、それでもいいのか?」
「お兄様、まさか拒否されるのですか?」
あーくそっ、この悪魔。だんたん身体に馴染んできてやがる。そんな不安そうな表情で言われても、俺の心は動かんぞ!
「なるにしても、お前じゃなく、雫奈の協力者だからな」
いちおう釘を刺しておく。
「あースマン、話を戻してくれ。つまりだ、魂の管理者として、神陣営、悪魔陣営からそれぞれ派遣されてきた……で、いいんだな?」
二人の顔を見る限り、どうやら何か、間違っているらしい。
「その話はあとでしましょ。栄太を協力者にする準備が整ったわ。最後に確認するけど……本当にいいの?」
こうなったのも、俺が悪魔を呼び出したことが原因だ。
ここで拒否してもしょうがない。
「ああ、やってくれ」
コクリをうなずいた雫奈が、意識を集中させるように目を閉じる。
いつものようにキラキラの粒子が舞い踊り、収束すると、着物に羽衣、宝冠など、初めて見る衣装に変わっていた。……これは、間違いなく女神だ。
雫奈が近づくと、自然と片膝をついて首を垂れる。
これが神の威厳だろうか、身体が勝手に反応した。
「私、アキツシズナは、神軒の土地神として静熊神社に集いし光を束ね、繰形栄太に祝福を与えます」
何かをされたわけじゃない。
なのに、次の瞬間、全身に衝撃が走る。
苦しい……とは、ちょっと違う。何かの見えない圧力に襲われてはいるが、暖かいような、優しいような感じがする。それと同時に、心の奥底から喜びのような感情が湧き上がる。
不思議としか言えない感覚だが、あえて言葉にするなら、心が解放されたような清々しさだろうか。
気が付くと、雫奈は私服に戻っていた。
とりあえず立ち上がり、身体を動かしてみる。
……とくに何が変わったってわけでもない。
だが何だ? 視界がボヤける。
──これが神の祝福か?
徐々に立っていられなくなり、酷い酩酊感に襲われながら、ベッドに倒れ込む。
心配そうに俺の顔を覗き込んだ雫奈が、何か言っている。
──目を閉じて? 深呼吸?
全てを聞き取れたわけじゃないが、分かる範囲で従う。
目を閉じても、まだグラグラ揺れているようだ。
身体の自由がきかないが、できるだけ大きく呼吸をしようと努力する。
だが俺は、そのまま意識を失った……
目が覚めると、真っ暗だった。
動こうとするが、身体が思うように動かない。
それに、なんだか熱っぽいようだ。
──って、俺、死んでないよな……
徐々に記憶が戻ってくる。
意識が途切れる前に、何があったのかも思い出した。
なんだか身体がやたらと重い。
まだ後遺症が残っているのだろうか。妙な感覚も残っている。
「……雫奈、い…いるか?」
喉がかすれて、声が出にくい。
「栄太、入るね」
声がぐぐもっているのは、厚い布越しだからだろう。
だが、雫奈が俺の部屋に入るのに、断りを入れるなんて始めてだ。
まさか、責任を感じてたりするのだろうか。
「おう……」
暗くて見えないが、気配で入ってきたことが分かる。
そういえば、もうひとり…… パルメリーザはどうなっただろうか。
まさか、俺が雫奈の協力者になったから、消えたってわけじゃないだろうな。
それだと少し、後味が悪い。
ロクに話も聞いてやれなかった。
「栄太、明かりをつけるね」
声もどことなく元気がないように聞こえる。
「……たのむ」
目を刺す光に痛みを感じ、反射的に目を閉じる。
左手を動かそうとするが、痺れたように動かない。
だが、右手は動くようだ。
目の前に手のひらをかざし、明かりを遮ってゆっくりと目を開ける。
やはり、雫奈の表情は冴えない。
言葉を掛けてやりたいが、気の利いた台詞が浮かばない。
「どう、栄太。身体は大丈夫?」
「まあな。まだ視界がぼやけるし、身体も右手しか動かんが、意識ははっきりしてる……と思う。雫奈、喉が乾いた。水を一杯もらえるか?」
とにかく、右手だけでも動くのなら、それで上半身を起こそうと身をよじる。
……なんだ?
──身体が勝手に動いてる?!
いや違う。視線を下に向けると………、眠そうに目をこする相手と目が合った。
「おまっ、なっ……、なにしてんだ?!」
「あっ、お兄様。おはようございます。……って夜ですね。気分はどうですか?」
気分も何も、弱った身体にこんな重しが乗ってたら、そりゃ動かんだろう。
パルメリーザが俺の左腕を下敷きにして、俺の身体に抱き付いていたのだ。
足も……いや、どうやら足に力が入らないのは、この子のせいじゃなさそうだ。
「どういうつもりか知らんが、とりあず、どいてくれるか?」
俺の言葉に、なぜかパルメリーザは不思議そうな顔をする。
「ワガママを言っちゃダメですよ。これは治療なんですから。だから、このまま私に治療を続けさせてくださいね」
「これの、どこが治療だ。とりあえず、先に水だけでも飲ませてくれ」
「でしたら、私が口移しで、飲ませてあげますよ」
いくらなんでも、しつこい。
……っていうか、なぜ雫奈は止めない?
「お前、服はどうした?」
「治療の邪魔になりますから、脱ぎました。……でも、これは何ですか? これでは、みんなで泳ぎに行ったり、温泉に行ったり、できないじゃないですか」
そうは言われても、元は3Dモデル。裸になることなど想定していない。
なので素体は、肩紐の無い白いワンピース水着のような姿だ。
何とか上半身を起こすと、雫奈からコップを受け取り、ムセないように慎重に喉を潤していく。
「ふぅ~、助かった雫奈。ありがとう」
空になったコップを返すと、改めてパルメリーザを見る。
今も素体をぐいぐい押し付けてくる。だが、ヒャッホーとはならない。
何と言えばいいのか、犬がじゃれてきている感覚に近い。
それに……
「まあ、聞きたいことは山ほどあるが、先に言っておきたいことがある」
下敷きから解放され、感覚を取り戻してきた左腕も使い、パルメリーザの両肩をガッシリとつかんで引きはがす。
「設定では、この子はちゃんと恥じらいを持っている。だから、そんなハシタナイことはしないし、ましてや『お水を口移しで飲ませてあげる』とか言わない。座り方もだ。そんな科を作って媚びたりしない。その子の魅力はそこじゃないんだ。純粋無垢……は言い過ぎだが、とにかく健全なんだよ!」
……さすがに、ちょっと言いすぎたか?
パルメリーザは驚いているが、雫奈はいつもの笑顔を浮かべている。
よかった、いつもの雫奈だ。
「ごめんなさい、お兄様。これでいいですか?」
そう言うと、ちゃんと服を装着し、ベッドの上にペタリと座り込んで、少し首を傾げてこちらの様子を見つめている。
言えば、素直に従うんだよな……
「お兄様、私からもひとつ、ワガママを言っていいですか?」
「……なんだ?」
「やはり、この姿では、人間社会に溶け込んで過ごすのは難しいので、その……ちゃんとした身体を用意して頂けると、嬉しいです。お願いしてもいいですか?」
そう言いながら、服の隙間から白い部分を見せる。
まあ、言われてみれは、その通りだ。
どこで何が起こるか分からないのだから、余計な不安要素は排除すべきだ。
……!?
「まさか、お前もここで暮らすのか?」
「お兄様。ダメですか?」
捨てられた子犬のような目で見つめてくる。
正直、良いも悪いも俺には判断できない。
「あースマン、雫奈。できれば説明してくれ」
そう言って、ベッドに横になる。
正直、今は座っているだけでも辛い。
雫奈から祝福を受けた……と思われる時、俺は意識を失った。
それはどうやら、神に近付き過ぎたせいらしい。
人間の魂は、いわゆる清濁併せ持った状態が一番安定していて、浄化されすぎても、穢れを溜めすぎてもダメなのだそうだ。
ケガレを溜めすぎると、いわゆるアラミタマとなり、周囲に悪い影響を与え始める。それが浄化できなければ、地獄に送られるらしい。、
逆に浄化されすぎるとニギミタマになるのだが、こちらは周囲に良い影響を与える。それなら問題はなさそうだが……
薬も過ぎれば毒となる。世界のバランスを崩すという点ではアラミタマと同じなのだそうだ。なので、影響の大きいニギミタマは天国に隔離される。
どうやら俺は、雫奈から祝福を受けたことで、危うくニギミタマになりかけたらしい。それを悪魔であるパルメリーザが、治療していた……らしい。
まあつまり、白くなり過ぎたから、堕落させて黒を足そうってことだ。
アレに効果があったとは、断じて認めたくないが、実際に俺はニギミタマ化の危機を脱し、身体も安定を取り戻した。……ようだ。
事情は理解した。
雫奈の元気がないのも、悪魔に好き勝手させていた理由も分かった。
「雫奈、心配かけて悪かったな。俺は大丈夫だ」
視線をパルメリーザに向けて、頭を優しく撫でてやる。
「お前にも手間を取らせた。ありがとう」
気持ちよさそうに目を細める。だが……
パルメリーザは、ごく自然に、飛んでもない提案をしてきた。
「でも、お兄様。治療を途中で止めちゃったから、危険な状態は変わってないですよ。だから、私とも契約を結びましょう」
……悪魔と契約?
それはさすがに、マズイよな……
「悪魔と契約とか、人生の終焉を感じさせるんだが。こんなもの、俺には判断ができん。だから、雫奈の意見が聞きたい」
いや、さすがに神様なら、悪魔と契約を結ぶなんて許さないだろう。
……そうだろ?
「たしかに危険はあります。ですが、その時は、私が全力で守りますので、この話を受けて下さい」
………?
イヤイヤイヤ、あなた、神様だよな? いいのか?
「神様が人間に向かって、悪魔と契約しろとか、世も末なんだが? スマン、神と悪魔って、そんなに分かり合える関係だっけ?」
「お兄様、少し勘違いしてますね。この世界は……」
パルメリーザが言うには、この世界は、精神世界と物質世界が合わせ鏡のように、もしくは重なり合うように存在しているらしい。
精神世界では、自我を失ってバラバラに分解された精神体が、拡散した状態になっており、それが核を得て集合することで魂が生まれる。
その魂は、誕生と同時に物質世界のモノに結び付き、様々なものに意志が宿る。木や石、風や川、草や海など、あらゆるものに。
たまたま人間に宿れば、赤子として生まれ落ち、人生を送ることになる。やがて死を迎えれば、精神世界の魂も自我を維持できなくなり、精神体に分解されて拡散する。
そんな魂のサイクルを管理しているのが、通称『世界樹システム』らしい。
「私たちは、その世界樹システムを管理するために送り込まれた存在です。世界樹システムを安定稼働させることが、私たちの使命です」
「あー、それだけ聞くと、神も悪魔も同じ……って聞こえるんだが?」
「そうですよ。私たちは、元々は同じ管理者です。でも一部の方々が、魂は放っておくとケガレを溜め込むから、常に浄化しないといけない、って言い始めて、それが神の始まりです」
──つまりなんだ……、管理者の派閥争いみたいなもんか?
黙ってられなくなったのか、雫奈が身を乗り出してきた。
「だって、その時はケガレが酷くて、化け物たちで溢れかえってたって聞いたんだけど。それも、あっちこっちの世界で、うじゃうじゃ。そりゃもう大変で、地獄を作ったのも、その頃だって聞いてるよ」
「そうですね。でも、お兄様、聞いてください。神たちも、ほどほどで止めておけばいいのに、手柄の奪い合いか何か知らないけどやり過ぎちゃって、今度は世界各地がニギミタマだらけ。仕方なく管理者たちは、その隔離場所に天国を作ったんです。まあ、そこまでは、まだいいんですけど……」
パルメリーザが雫奈を見る。
「なっ、なによ……」
ああ、なんだろ、神と悪魔の舌戦なのに、なんだか幸せな気分だ。
あの「姫」と「妹」が、いろんな表情を見せている。
「神たちは、自分たちの方針に従わない管理者を追放するようになりました。それが私たち、悪魔と呼ばれる存在です」
「栄太、騙されないでね。魂狩りとか言って、魂を地獄に堕とそうっていう悪魔も多いんだから」
「それはごく一部ですよ。神に逆らえば全て悪魔ですから。多くの悪魔は、ちゃんと管理者の使命を果たしてますよ。ちょっと趣味に走る方々もいますけど」
「下僕にして、ペットのように扱うとかだよね。ほんと悪趣味なんだから」
「神は黒い魂を浄化し、悪魔は白い魂の欲望を解放する。それで世界のバランスが保たれるのですから、どんな方法でも一緒ですよ」
俺は何を聞かされているのだろうか……
どうやら話を聞く限り、パルメリーザのほうが年季が入っているようだ。
雫奈が圧倒されているように見える。
それにしても、この姿でパルメリーザというのもな。
まあ、こんなこともあろうかと、一応名前も用意してあるが、その前に……
「あー、議論が白熱しているところ悪いが、パルメリーザもここの管理者。つまり、土地神ってことでいいんだよな」
「もちろんです。お兄様!」
雫奈が反対してこないのを確認して、構想時間が実質十分ほどの練りに練られた設定を披露する。
「じゃあパルメリーザ、お前の神名は今日からアキツユカヤヒメだ。土地神として静熊神社で祀る。あと、人として過ごす名前だが、秋月優佳と名乗って、雫奈の妹として一緒に暮らしてもらう。それでいいな?」
「もちろんです。お兄様☆」
よほど嬉しいのだろう、目をキラキラか輝かせて、俺の手を握ってくる。
いやまあ、提案であって、決定じゃなかったんだが……
雫奈のほうを見てみると、いつもの笑顔で、うなずいてくれた。
そういや、単身者用アパートなのに、姉妹で暮らすってアリなんだろうか……
すっかり、解決した気分で、そんなことを考えていると、パルメリーザ──秋月優佳の身体が光り出した。……と思ったら、すぐに収まった。
どうやら悪魔でも土地神になれたらしい。
「私の活動が認められました。ありがとうございます、お兄様」
女神と悪魔が土地神とか、どんな状況だよ。と思いつつも……
その屈託のない笑顔を見て、この町が平和になればいいと、心の中で呟いた。