最愛
――最も永く続く愛とは、決して報われぬ恋のこと――
サマセット・モーム(1874 ~ 1965)
樹齢に瓜二つで、輪廻を表している指の紋を重ね、二人で葉衣のない並木道を歩いていた。
冷たさが表皮を露わにしている部分を圧迫して、紅葉のように頬を紅潮させた。
その横顔が愛おしいと思い、寒さで強張りながらも筋肉を無理に活動させて彼は微笑んだ。
彼女はそれを見て、眉根を寄せながら、口元を歪めて何もかもを食い千切る歯を見せた。
そして、喉元から発せられた音に意味を含めた。
その音に紛れて、脆く儚い霧に似た吐息が生まれて消えた。
歩を進め、踏み締める度に澱んだ泥の色をした命無き葉が痛いと叫んでいる。
耳の穴に入り込んでくる風の口笛は、二人でいることを恨めしがんだ文句を云っているようだ。
ふいに、彼女は繋がれた手を振りほどいて、少しばかり先を進んで立ち止まった。
長く、西洋人を真似た色の髪は、半分以上首に巻き付けた布切れで覆われている。
彼女の髪の全てを知るのは、彼しかいない。それは幸福だった。僥倖だったのかもしれないが。
立ち止まって身動きをしない彼女に、彼は徐々に近づいていた。
あと、十歩、九歩、八歩、七歩、狭まる距離に吐く息が大津波のように激しく荒れ狂っていた。
あと一歩、そこまで来て、彼女は、ゆっくりとこちらへ振り向いた。
「ずっと一緒だよね?」
そこで、彼は深くて重い煙のような息を吐き出して、灰色の空を眺めた。
空から降り注ぐ無数の結晶は、瞬時に辺りを白濁に侵食して、全てを飲み込んだ。
だから、もう彼女はいなかった。
最初から彼女が世界の何処にも存在していなかったように。
その姿形は彼女だと認識させる肉や
細胞を全て燃やし尽くされた後の骨ですら、そこにはなかった。
それはそうだろう。彼女など、最初からいなかったのだから。
これは悪い夢、彼はただ幻を愛していたのだから。
そう彼は自分を叱りつけ、何度も言い聞かせる。
彼女はそれでも、彼のことを解放することなどしなかった。
魂に凶器を突き刺したまま、罪を背負うことのない笑顔のままで。
これまでも、これからも彼の幻想の中に、彼女は居座り続ける。
真実を舐め続け、やがては無色透明になった氷の心ですら歪曲し溶かすだろう。
裸身を隠す衣服の如く、彼から去り、新しい異性へ身を寄せた姦佞。
彼女こそは罪であり、欲であり、哀であり、苦であり、悪である。
悪辣の化身、彼の――最愛である