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7.クラスメイディ

 クラスメイディの討伐は難易度が低い。



 本来バースティアは群れで行動するが、今回の対象は単独であるとの調査結果が出ており、また右足を負傷していることも分かっている。


 群れからはぐれ、他の魔物からの攻撃で負傷し逃走、約1カ月前この街に辿り着き、住み着いたものと推測される。


 バースティアは身体能力こそ人間を凌駕するものの、攻撃に転用できるだけの魔力を有していないため、脚を負傷した状態ではまともに戦うこともできないのだ。




 難しいのは対象の捜索だ。


 バースティアは特定の拠点を持たず、群れで狩りをしながら移動し続ける習性がある。


 今回の対象は単独であれ移動の習性は健在で、夜間に拠点を移すため位置の特定が困難を極めているのだ。




「そんなのどうすりゃいいんですか? 探すだけ探して街の外に出てました~とか嫌っすよ?」


「安心していいよ。クラスメイディは賢いからね、今の体で街の外にでたらどうなるかは、本人が一番理解しているはずさ。アタシの情報だと、最低でもあと1週間はこの街にいるね」




 太陽が西に傾き、少し賑やかになり始めたギルドで、直人とサライは昼食を摂っていた。


 無論、直人は一文無しの身であるため、初仕事の激励を込めたサライのおごりだ。


 しかし、夢にまで見た肉料理が目の前にあるにも関わらず、直人の箸は思ったように進まない。




「でも1週間で見つけられますかね? まだ討伐されてないってことは誰も見つけられてないんでしょ?」


「そこは心配しなくていいよ。アタシは世界一の情報屋だからね。これまでに発見された痕跡と移動パターンから今晩の居場所は特定済みさ。キミは手負いの獣を狩るだけ。簡単な仕事でよかったね」


「まぁ、そういうことなら……」




 今更ながら、直人は不安に襲われていた。


 この世界に訪れた時から魔物の存在を知っていたが、今日この日まで対峙することはなかったのだ。




「初の魔物退治だからね、不安に思う気持ちもよくわかるよ。だけど来る所まで来ちゃったんだ。キミはもう行くべきところに行くしかないのさ。その後のことは自分で決めるんだよ? アタシが出来るのは案内までだからさ」




 さて。と、サライは仕切り直すように手のひらを打ち合わせた。




「ちゃっちゃと食べてから装備を借りに行くよ。その後はもしもの事態を考慮して軽く訓練だ。いくら火炎魔法が使えるようになったからって、簡単に勝てる保証はないんだから。他の魔法とちょっとした剣技くらいは覚えといて損もないだろうしね」




 その後直人が食べた料理はアリッサが作ったどの雑草料理よりも味気なく、1カ月前にアリッサが作ってくれた肉料理の足もとにも及ばない、最低な物に感じられた。








   * * * * * *






 夜もすっかり更けていた。普段の直人なら既に眠っている時間だ。



「いいかい? もし本当に戦闘が始まったとして、使っていいのはは火炎魔法だけだよ。他の魔法はまともに使えないようだし、キミは火炎魔法との相性が一番いいみたいだからね。その剣も所詮は付け焼き刃だ。自殺したくないなら抜かないのが賢明かな」



 直人とサライは繁華街を外れ、暗い路地を進んでいく。




(なんでこんな事になってんだろ……)




 この2日間で直人の生活は一変した。


 一昨日までは毎日パチンコスロット三昧で、パチ屋と小屋を行き来するだけの毎日だったのに、昨日の朝起きてみれば行きつけのパチ屋は全焼していて、あまりのショックでアリッサに手をあげてしまった。


 その後、筋肉ムキムキマッチョマンの変態にギルドへ連行され、あれよあれよと言う間に魔法が使えるようになり、胸当てやら籠手やらを身に着けて、情報屋の女と魔物退治に向かっている。




(そういえば、今日はアリッサの顔見てないな)




 昨晩はアリッサの帰りがいつもより遅かった。


 彼女が帰宅したのは直人がミラーナから魔法のコツを教わり、疲れ果てて眠りについた後の事だ。


 朝目覚めると「そのままたべてね。甘くて美味しいよ」という書置きと共に、いくつかの小ぶりな木の実がテーブルの上に並んでいて、アリッサは仕事に出かけた後だった。


 この世界に来てから丸1日彼女の顔を見ない日がなかったことに気づき、直人の心に複雑な感情が芽生えていく。




「久しぶりに食いたいな、アリッサの肉料理……」


「そうかい。じゃあまぁ、キミなりに頑張りな」




 そう言ってサライは、3階建の建物の前で歩みを止めた。


 月明かりに照らされた廃屋は、心霊スポットの様なおどろおどろしい雰囲気を放っている。


 だが、ここにいるのは幽霊ではなく魔物だ。




「さて、対象はここの3階だ。クラスメイディは警戒心が強いから物音は極力たてないように。アタシはギルドに戻ってるから、討伐に成功したり、逃げられたり、逃げ出した時は一度ギルドに戻ってきなよ。帰ってきたら……まぁ、状況次第で晩御飯もご馳走するよ」


「いや、今晩はアリッサと食いたい気分なんで。代わりに明日の昼にでも奢ってくださいよ」


「そうだね、その方がいいか。じゃあまた後でね。健闘を祈るよ」




 サライは元来た道へ振り返り、ツカツカと歩き出した。


 かと思えば、歩みを止めてくるりと直人を見直す。




「そうそう。もうひとつ冒険者としてのキミにアドバイス。周りの気配くらいは感じ取れるようにね。冒険者には危険が付き物なんだから。それじゃ、今度こそまたね」


「え、あ、はい……」




 意味深な言葉を残し去っていく彼女の後ろ姿が見えなくなるのを待たず、直人は扉のない入口に足を踏み入れた。


 建物の中は月明かりのおかげでかろうじて見える程度で、不意を突かれたら反応できるかわからない。




「そうだ――ファイア」




 呪文を唱え、手のひらに紫炎の火球を灯すと、視界は幾分か明瞭になった。


 室内はがらりと何もなく、正面の階段と、いくつかの扉が見えるだけである。


 サライの言葉を信用すれば、対象は3階だ。


 直人は足音を立てないように気を付けながら2階へ進み、そのまま3階へと続く階段を昇り始めた。


 1段1段踏みしめながら、頭の中でこの後の展開をイメージする。


 手負いの魔物を見つけて、その瞬間この炎を飛ばすだけ。ついさきほどまでサライから火炎魔法のコントロールを教わっていたのだから、なにも難しいことはない。


 そう、難しいことはなかったはずだった。




「――――ッ!」




 最後の階段を登りきったところで、直人はそれを見てしまったのだ。


 3階は、2階までとは造りの違う開けた空間となっていた。広い一室の床に階段がついている構造だ。


 だからこそ一瞬で対象を見つけることができたし、嫌に明るい月明かりも手伝って、その姿をはっきりと目の当たりにしてしまったのだ。




「う、動くなッ!」




 イメージトレーニングとはてんで異なる行動をとってしまった彼を、誰が責めることができるだろう?




「あら、見つかっちゃった」




 そこにいたのは、金色の瞳を光らせ、ボロボロの布きれを纏った茶髪の女性だったのだ。


 しかし、普通の人間でないことも同時に理解することができた。


 頭頂部からは猫の様な耳が生え、臀部からは二股に分かれた尻尾が伸びている。


 そしてその胸元には、細い縄が通された長く鋭い爪が下げられていた。




「お前……バースティアのクラスメイディなのか?」


「クラスメイディ? 見ての通りバースティアだけれど、そんなおかしな名前じゃないわ。私はムスク、よろしくね」


「…………」




 直人は、サライがこの依頼について難色を示していた理由を理解した。


 確かに彼女は人間ではない。

 しかし、その姿はほとんど人間と変わらない。




「……お前は、右脚を痛めているか?」




 名前が違うと本人が言っている以上、彼女がクラスメイディではない可能性もある。


 だからもし、ここで彼女が否定の言葉を口にしてくれれば、謝罪の言葉を残しつつギルドに戻って、サライに文句の1つや2つ言ってやれる。


 そうなれば幾分楽だっただろう。



「よく知ってるわね。あなたの言う通り、右足の骨を折られちゃったのよ。本当なら今すぐにでも逃げ出したいのだけれど、この脚じゃすぐに追いつかれちゃうかしら?」



 直人は全身から血の気が引いていく感覚に襲われる。


 昨日の今日で、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。





「だからあなたには申し訳ないけれど、ここで死んで貰うわね」





 口調こそ穏やかだが、その瞳は確かな殺意を孕んでいる。


 彼女は片足でぬらりと立ち上がり、両手の爪を鋭く伸ばした。




「ま、待てよ! 待て!」




 片足立ちのまま体勢を低くし構えた彼女は、いくら人間に似ていても人間ではない。


 討伐対象の魔物なのだ。


 やらなければ、自分がやられる。


 だが、そう簡単に踏ん切りを付けることもできない。

 


「話を、話をしよう!」



 サライは言っていた。

 討伐に成功したり、逃げられたり、逃げ出した時は一度ギルドに戻ってきなよ。と。


 彼女は直人に『逃がす』と言う選択肢と、『逃げる』という選択肢を与えていたのだ。

 

 鈍い彼でもその真意を直ぐに理解した。

 だからここは彼女を逃がそうと考えたのである。



「……必要ないわ」



 しかし、それは直人の都合でしかない。

 手負いの獣に残された選択肢はたったの2つ。

 殺すか、殺されるかだ。



「――ってぇ!」



 階段のすぐそばにいたはずの直人の身体は、部屋の中央付近に投げ飛ばされていた。

 逃げ道を塞ぐ様に、クラスメイディは片足立ちで階段の前に立ち塞がった。



「逃がさない」



 片足で立つ彼女は、殺意を込めた瞳で直人を睨みつける。



「ま、待ってくれ! 待ってくれよ!」



 彼女は手負いで、まともに戦える体ではないと聞いていた。

 だが、薄暗いこの室内ではその動きをまともに捉えることすら出来なかった。


 体力もなく、戦闘経験皆無の直人にとって、この状況は絶望的だ。


 この状況を打開できる手段は、たった一つ。



「ファイア!」



 掌に生み出した紫の火球。

 それを見せつける様にクラスメイディへ向けた。




「動くな! 動いたら撃つぞッ!」




 これが彼にできる精一杯の威嚇。

 だが、彼女は嘲るように笑うのだ。



「そんなもの、当たらなければ関係ないわ」



 彼女が片足立ちの膝を曲げるのを、直人は見逃さなかった。

 あの鋭い爪で胸を貫かれたらどうなる?

 目玉に突き刺さったらどうなる?

 怖い、ただひたすらに。


 次の瞬間、クラスメイディが飛び出した。

 先ほどと同様に、まともに目視することなど出来はしない。



「なんでだよッ!」



 直人は無我夢中で、自分が呪文を唱えることが出来たのか、それとも無様に切り裂かれたのか、それすらも分からなかった。


 だが頭が真っ白になった直後、先程までとは比べ物にならないほど巨大な火球が自らの手から放たれていたのを確かに目撃した。


 炎は彼女の体を包み、一瞬の悲鳴が辺りに木霊する。




「ハァ……ハァ――」




 肉の焦げる臭いがして、なぜだかアリッサの姿を思い出す。


 これで500,000G。確かに簡単だった。


 こんな時間だから肉屋は流石に閉まっているだろう。


 別にアリッサの手料理じゃなくてもいい。ギルドの不味い料理で構わない。

 今はただ彼女と食卓を囲んで、昨日からの出来事を聞いて欲しい。

 魔法が使えるようになったこと、嫌な女に馬鹿にされたこと、初仕事が成功したこと。


 ギャンブルじゃない。ちゃんとした仕事で、自分の力で金を稼いだ。どこかで負い目を感じていた彼女にも、初めて心の底から胸を張って話せるかもしれない。



「だから、これでよかったんだ」



 放心状態ではあるものの、彼の頭にはクエストの達成条件がきちんとインプットされていた。


 対象の首に下げられた『先代の爪』の回収。


 見る影もなく黒焦げになったクラスメイディの死体の胸元に、依然として爪は輝いていた。

 見れば彼女自身の爪も、焦げることなく原型を保っている。


 依頼主の目的はこの爪だったのだろうか。


 上手く交渉出来ていれば、爪だけを回収し、彼女を逃してやることだって出来たかもしれない。

 もう変えることのできない可能性の話に想い巡らせながら、直人は爪を摘み上げた。



「仕方がなかったんだよ……。お前が、お前が話を聞いてくれていれば、こんなことには――」


「おかあさん?」



 泣き出しそうな自分を落ち着かせるための独り言に、他人の声が重なった。




「おかあさん! おかあさん!」




 闇の中、小さな影が黒こげの肉塊に駆け寄った。


 小さな手でそれを揺さぶり、何度も「おかあさん」と叫び続けている。


 クラスメイディ――ムスクと同じ髪色の、まだ幼いバースティア。




「あ、あのね。今日もね、ご、ごはん、ほら。あの、おねえちゃんがく、くれたんだよ。半分こに、半分こにって、お、お魚のほう、お魚の方がずぎでしょって、おなかずいで、すいでるでしょって、いっぱい……」




 少女は泣きじゃくりながら持っていた包みをひらき、中に詰まっていた料理を手づかみで母親に差し出した。


 だがもう、彼女が返事をすることはない。




(クラスメイディ、お前は……)




 彼女が逃げなかったのも、直人を逃さなかったのも、足の怪我だけが原因じゃない。


 娘がここに戻ってくることを、彼女が知らないはずもなかった。


 自分が逃げ出せば、直人と娘が鉢合わせるかもしれない。

 直人を逃せば、娘が戻る前に多くの冒険者が押し寄せるかもしれない。


 彼女が娘を守るには、彼を殺す他になかったのだ。




「ひっぐ……おがぁさん……」




 しばらくの間少女は泣き続け、直人は呆然とそれを眺めていた。


 自分は討伐対象の魔物を討伐したに過ぎない。


 子どもがいたなんて聞いていない。


 最初に仕掛けてきたのは向こうだ、反撃しなければ死んでいたのは自分だ。




 いくつもの言い訳が脳裏を駆け巡り、残ることなく消えていく。



「ね、ねぇ」



 気がつけば、少女と目が合っていた。


 ムスクと同じ金色の瞳は、涙に濡れ、怒りに震えている。




「あ、あなたが……おかあさんをころしたの?」




 討伐ではなく、殺す。


 その言葉を背負うほどの覚悟を、彼は持ち合わせてはいない。


 だが少女の問いかけに、彼は正直に頷いてた。

 今の直人には、嘘をつく余裕すらなかったのだ。



「そっか……」



 少女は母親に向き直ると、黒焦げた右手の中指から爪を剥ぎ取り、自身の懐へと収めた。


 涙を零し、嗚咽を漏らし、顔をぐしゃぐしゃにしながらも、彼女は直人を鋭く睨む。




「……ゆるさないから」




 次の瞬間、直人は仰向けに倒れていた。


 防具のないふくらはぎに鋭い痛みが走り、血液が滴り落ちる気持ちの悪い感覚に襲われる。


 ただでさえ素早かったクラスメイディを凌駕する圧倒的なスピード。


 金色の瞳は残像を残し、倒れた彼を見下している。

 その両手には、月明かりを反射する鋭く長い爪が伸びていた。


 彼女は討伐対象ではない。

 だが、このままでは間違いなく殺される。



「ファ、ファイア!」



 攻撃するつもりはなく、少女に威嚇するため直人は呪文を詠唱した。



「あれ……? ファイア! ファイアッ!」




 しかしながら火炎魔法は発動しない。火球どころか火の粉すら散らない始末である。


 原因はすぐにわかった。装着していたマギアが歪に変形してしまっているのだ。先ほどの火炎魔法を最後に寿命を迎えたのだろう。



「ふざけんなっ!」



 直人は魔法の使用を即座に諦め、腰の短剣を引き抜いた。

 無我夢中で、闇雲に刃を振り回す。




「こっちに来るな! 来るな来るな来るな!」




 しかしながら。


 必死な叫びも意味をなさず、凄まじい速さでマウントポジションを取られていた。



「かえしてよ……」



 抵抗も虚しく、短剣を握った右腕は小さな体躯からは想像できない力で押さえつけられ、動かすことすらままならない。




「おがぁざんをがえしてよっ!」




 少女は直人の頭部めがけ、その鋭利な爪を迷いなく振り下ろした。




「あれ……なんで?」




 だが彼女の爪は、直人の顔面を貫くすんでのところでピタリと停止した。

 その手は震え、押さえつける腕の力も抜けている。

 



「なんで……? なんで、おねえちゃんのにおいがするの……?」




 その小さな状況の変化に、パニック状態の直人が最良の選択肢を取ることなど出来はしない。


 運が良いのか悪いのか、拘束を免れようと腕を振り上げた勢いで、少女の胸部に短剣が深く突き刺さっていた。




「おがぁさ……」




 直人にもたれかかるように、うつ伏せで倒れた少女の体はひくひくと痙攣している。

 生温かい液体が彼の服に染み込んでいき、荒々しかった呼吸は完全に停止した。




「うわぁあっ!」




 思わず亡骸を突き飛ばし、恐ろしい静寂に包まれた暗がりの中で、サライと食べた昼食を全て吐き出した。



 寒くもないのに体が震えて、酷い頭痛に襲われて、とめどなく涙があふれるのは、死の恐怖から逃れた安堵によるものではないだろう。



 子猫に引っ掻かれたふくらはぎの痛みなど、少しも感じていない。

 意識は段々と遠のいていき、気絶するように眠りに落ちる。



 廃屋に響く足音に気づくことも、今の彼には難しかった。

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