2.パチンコ店全焼
「……おはようございます」
早朝の繁華街に力ない少女の声が響いた。
昼間は冒険者でにぎわうこの街も、日が出たばかりのこの時間は静かなものである。
「…………おはよう」
店頭の掃き掃除をしていた筋肉質な武器屋の店長は、いつも通りの仏頂面でブロンドヘアの少女――アリッサを迎えた。
「……すぐに身支度整えますね」
「…………」
彼女をパートとして雇い3カ月が過ぎた。
以前から働き者の彼女であるが、ここ最近は特に働きづめだ。
週五日だったシフトは彼女の要望で週六日に増やし、忙しい日は残業までこなしてくれるものだから、店主としては有り難いのだが。
「……失礼します」
「…………」
店内へ入る瞬間、彼女の眼の下に酷い隈があるのをマッチョ店長は見逃さなかった。
いくらなんでも働きすぎである。労働基準法的にもギリギリだ。
「ほらあの子。ヒモ男を養ってるって噂よ」
「あら意外ねぇ。しっかりしてそうなのに」
最近そんな噂話も聞こえてくるのでマッチョも気が気でないのだ。
下賤な噂話に興じている薬屋の奥さんと三軒隣の八百屋の奥さんを試しに睨みつけてみるが、彼のことなどアウトオブ眼中な二人の話題は別方向へと進んでいった。
それが真っ赤な嘘であるのなら制止のしようもあるのだろうが、噂を裏付ける心当たりが邪魔をする。
『最近明るくなった……ですか? えへへ。実は先日とっても素敵なことがありまして。やっと生活が軌道に乗りそうなんですよ! あ、すみません、すぐお掃除はじめちゃいますね! るんるんるんっ!』
一カ月前の事である。
今となっては見る影もないが、もしその原因がヒモ男とやらにあるとすれば……。
「フンッ――!」
気がつけば、手に持った箒を真っ二つにへし折っていたマッチョ店長。
件の男のことを考えると、触れたもの全てを破壊してしまいそうなほどむかっ腹が立つのである。
(……アリッサちゃん)
彼女はこの店の看板娘だ。
荒くれ者が集うこの武器屋で、18歳にも満たない少女が3カ月以上継続して働いているのは、彼女が初めてである。
給料は高くない、客層も悪い、掃除しても掃除しても床は泥だらけ、そのうえ店主は無愛想マッチョ。
地獄にも似た職場環境である。
にもかかわらず、彼女は文句のひとつも言わず一生懸命働いてくれている。
彼女がいるだけで店の雰囲気も華やぐし、最近では彼女目当てで訪れる客も一定数いるほどだ。
そんな彼女を苦しめるどこぞの馬の骨とも知らぬクズ野郎を放っておくなど彼の正義に反する。
握りつぶしてやりたい――この箒と同じようにバラバラに!
「あらもったいない。どうしたのかな筋肉ダルマさん」
「…………サライ、お前か」
背後から掛けられた女の声で、筋肉ダルマは我に返った。
振り返った先にいたのはこの街では有名な情報屋のサライである。
一風変わった黒ずくめの格好をしているが、中身はそれ以上の変わり者だと有名だ。
「おやおや? 今日は一層怖い顔だね。まるで可愛い看板娘の脛にかじりついた糞虫を捻り潰したい時のような顔だ」
「…………」
前髪で隠れた瞳のせいで、その本心を見極めることは困難だ。
だが、その口元に浮かべた厭らしい笑みに筋肉ダルマは確信する。
「……策があるのか?」
「そんなものはないよ。アタシにあるのは情報だけさ」
「……そうだったな。言い値で買おう」
「いらないいらない。アタシも丁度ゲロ虫を叩き潰したいと思ってたところさ」
揺れる前髪の隙間からウインクするサライに、筋肉ダルマは無言で頷いた。
そして彼は顎を使ってジェスチャーし、二人の姿は店の奥へと消えていった。
その晩――。
月が綺麗な夜である。
アリッサはとうに眠っていることだろう。
武器屋のパートと家事に追われる彼女の就寝時間は早いのだ。
「アーリッサーアーリッサー」
これは彼女が見る夢。
夢見た彼女を映す夢。
「アーリッサーアーリッサー」
「アーリッサーアーリッサー」
白装束の集団は明るい月夜に松明を灯す。
照らすは闇夜の道でなく、一人の少女の歩む未来。
「アーリッサーアーリッサー」
「アーリッサーアーリッサー」
「アーリッサーアーリッサー」
全ての答えは彼女が知っている。
それが全ての答えであった。
――アーリッサーアーリッサー。
――アーリッサーアーリッサーアーリッサーアーリッサー。
――アーリッサーアーリッサーアーリッサーアーリッサーアーリッサーアーリッサー。
「――灯せ。これこそが正義の鉄槌だ」
放たれた炎は全てを包み、空は真っ赤に照らされた。
* * * * * *
翌朝。
誰もが一様に清々しく目覚めるような、心地良いそよ風が吹いていた。
「……ごはん、温めてから食べてね」
「あーもう起きてるって……」
「…………いってきます」
「ぐがぁ~」
直人がスロプロになると言い出してから三週間。
初めの頃は調子が良かったようだが、近ごろ彼の様子を見るにどうやら負けが込んでいるらしい。
給料日まで三日あるのに、先月貰った給料袋は五日前から燃えるゴミ。
「……もっと頑張らなきゃ」
結局のところ雑草暮らしに逆戻り。
彼がどれだけ負けてもいいように、もっともっとお金を稼がないと――彼女はそう心に決め、本日履歴書を持参してきた。
彼女は遂に、禁断の果実へと手を伸ばそうとしていた。
――《二重契約》。
武器屋へ向かう道すがら、スカートのポケットから四つ折りの履歴書を取り出し誤記が無いかチェックする。
仕事内容が近そうな防具屋にしようとも考えたが、勤務時間が被るためそれでは意味がない。
だから、夜勤のバイトを募集している酒場で働こうと考えた。
未成年が故にお酒を飲んだことはないけれど、ウェイトレスくらいなら出来ると踏んだのだ。
「……一緒に居る時間がまた減っちゃうな」
彼ともっと良い暮らしをしたい。
彼をもっと喜ばせてあげたい。
彼ともっと幸せになりたい。
「それだけなのに、なんでなのかなぁ……あっ」
突然、履歴書に書かれた一つの文字がジワリと滲んで読めなくなった。
それは志望動機の欄に記入した「幸せ」を表す言葉である。
「雨? さっきまで良いお天気だったのに……」
見上げた空はどこまでも晴れ渡っていた。
遠くに見える紅い朝日が、文字と同じく滲んで見える。
「あれ? あはは、おかしいな……私なんで泣いて――」
次の瞬間、強い風が彼女に吹いた。
不意の出来事に手中の紙は舞い上がり、遠く遠く飛んでいく。
「ま、待って!」
ロングスカートを摘みあげ、履歴書を追いかけ草原を走った。
まるでアリッサを導く翼のように、どこまでも飛んでいく履歴書――。
「お願い……お願いだからっ」
覚えのある道を駆け抜けて、ついにそれは動きを止めた。
真っ黒に焼け落ちた建物の一部にひっかかったのだ。
「あれ? ここって……」
その場所にはやはり覚えがあった。
今まで何度か直人にくっついて訪れたことがあるパチンコ店だ。
しかし、やたら煌びやかだった外装も、外まで漏れていた爆音も、今となっては何もかもが失われていた。代わりに、野次馬らしい人だかりでその場所は普段以上に騒がしい。
「おやおやアリッサじゃないか」
燃えカスを見つめる人ごみの中、黒づくめの女性が彼女を呼び止めた。
「今日はここでお仕事かい? けれど生憎閉店済みだよ」
「サライさん! い、一体何があったんですか?」
「さぁね。アタシもなにぶん情報不足さ。まぁ、火事だということは確かかな」
「火事……?」
「自然的な物か、それとも人為的なものか。なんにせよ孤立した建物で良かったよ。他には一切被害が無いからね。死傷者もいなかったみたいだし、不幸中の幸いって奴さ」
心配そうに見つめるアリッサの視線の先に、経営者らしき者たちの姿が見えた。
爬虫類の亜人種らしき彼らは絶望した様子で立ち尽くしている。
その様子に、彼女は少なからず心を痛めていた。
パチンコが無くなってしまえば――そう思うこともあったが、決してパチンコが悪いわけではない。適度に遊ぶ分には悪くないはずなのだ。それを理解していたが故に、この現状を喜ぶことなどアリッサには出来そうもない。
「気にすることはないよ。相当汚いやり方で金を稼いでた連中だからね、恨みつらみも相当稼いだことだろうさ」
「で、でも……」
「あぁあああああ――ッ!」
突然、彼女たちの背後から男の叫びが響き渡った。
薄汚れたティーシャツと穴の開いたジャージを身に纏う彼は、地に膝をついて泣き叫ぶ。
「ナ、ナオト!? どうしてここに!?」
そこにいたのは紛れもなく、寝ていたはずの直人だった。
「嫌な……嫌な夢を見たんだ……。白づくめの集団がここに火をつける夢だ……」
彼は力任せに地面を殴った。
「俺の――ッ! 俺の唯一の生き甲斐が――ッ!」
「ナオト! 落ち着いてナオト!」
「うるせぇっ!」
「キャッ――」
直人は地面を殴り血が滲んでしまった拳で、アリッサを突き飛ばしていた。
「あっ……ご、ごめ――」
「立て、ササキナオト」
我に返った直人は謝罪の言葉を口にしようとしたが、最後まで言い終える前に襟首を掴まれ、足が地面を離れていた。
「な、なんだよアンタ」
そこにいたのは、武器屋の筋肉ダルマだ。
「て、店長……?」
「スロプロとやらは廃業したのだろう? 仕事を紹介してやる、来い」
「いや、だからアンタ――ぐっ!」
「…………」
ダルマは無言で直人の腹部に拳を叩き込み、ぐったりとした彼を肩に担いだ。
「店長!? ナオトになんてことっ!」
「いーからいーから。彼に任せておきなって」
「で、でもっ!」
「情報屋として教えてあげる。彼はナオト君に仕事を与えるだけ――悪いようにはしないさ。だから、任せてみないかい? 彼と私に」
「…………」
サライの言葉にアリッサは黙っていたが、しばらくしてからコクリと頷いた。
「酷い事したら、私怒りますから」
「おやおや、酷い事をされてたのは一体誰なのやら」
直人を担いで立ち去った筋肉ダルマを見届けた後、アリッサは「仕事にいかなきゃ」と呟いて、一人その場を立ち去った。
「ま、酷い事をしていたのも誰なのやらってね」
ふらふら歩く少女の姿を、女はただただ見つめていた。
口元に不敵な笑みを携えて。




