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12.殺したあの子の呪いの言葉

 アリッサがバイトをしている蓬莱亭の客席で、直人は憲兵の若い男から事情聴取を受けていた。


「だから、何度も説明してるじゃないっすか!」


 ここがアリッサのパート先であるとは夢にも思わず、数時間前に彼女が拭きあげたテーブルに拳を振り下ろす。


「まぁまぁ落ち着いて。もう一度確認するね。君は就寝中、被害者が謎の集団に襲われる夢を見たと」

「……そうですよ」

「その後、目覚めた君は夢で見た現場に向かい、そこで夢の通りに遺体を発見した。ここまで間違いはないんだよね?」

「そうだって言ってるでしょ! 何回確認すれば気が済むんすか!」


 興奮し声を荒げる直人と対照的に、男は深くため息をついた。

 人付き合いが少なく、自分のことしか考えていない直人でも、男の表情が疑いの色に染まる理由は理解できる。

 もしも自分が憲兵の立場だったとしても真っ先に疑うだろうと、心中で悪態をつく他ない。


「じゃあ話を変えよう。応援に来た冒険者に聞いたんだけど、どうやら君は被害者が出したクエストで痛い目を見たようだね」

「まぁ……はい」

「そんな君がマダムの遺体を見つけた時、率直にどんな気分だった?」

「良い気分な訳なくないっすか?」


 もはや犯人と断定しているかのような語り口調に、直人は苛立ちを隠すことなく返答する。


「俺はマダムが犬の亜人だなんて知らなかったし、この店のオッサンから名前を聞くまで、依頼主の名前なんて忘れてましたよ」

「ふむ。じゃあ君はマダムのことを恨んでいなかったと」

「それは……恨んでないと言ったら嘘になるけど、少なくとも殺そうなんて微塵も考えてないっすよ」

「なるほど」


 男は質の悪い羊皮紙に何かをメモして、相変わらずの表情で質問を続ける。


「君は火炎魔法が得意らしいね。例のバースティアも火炎魔法で討伐したと聴いたけど、それは間違いないかな?」

「まぁ……はい」


 出来れば二度と思い出したくなかった記憶が、非情にも鮮明に蘇る。

 ムスクの断末魔と少女の涙、ミーシャの悍ましい微笑みとサライの冷たい声音が重なり合い、吐き気を催した。


「大丈夫? 顔色悪いけど」

「大丈夫じゃねぇよ……」

「質問はあと少しだから頑張って」


 その言葉に反し、男は全く心配した素振りを見せる事なく、また羊皮紙に何かを書いた。

 叶うことなら、今すぐこの男を殴りたい。

 直人はその衝動を必死に抑え、一度呼吸を整える。


「じゃあ質問を変えるけど、普通は夢で殺人現場を見たところで、真夜中にわざわざ確認しに行ったりするかな? どう思う?」

「……行かないっすね、多分」

「だよね。じゃあ君は、どうしてそんなおかしな行動をとったのかな?」

「それは、ほら、この前パチンコ屋が全焼したじゃないすか。その日の夜中も似たような夢を見たんすよ。その時は変な夢だなと思って二度寝しましたけど、朝起きたら嫌な感じがして、実際に見に行ったら本当に全焼してました。だから、今回ももしかしたらと思って見に行ったんです」

「その話は知ってるよ。そう言えば聞いたところによると、君は随分負けていたみたいだね。それも、同居人の女性が稼いだ金で。相当鬱憤も溜まってたんじゃない?」

「それ、どういう意味っすか?」

「いやいや、他意はないよ。そう睨まないで」

「他意はねぇって、俺が燃やしたって言ってるようなもんじゃねぇか!」


 落ち着き始めていた直人だが、再び頭に血が昇る。


「確かに俺は負けてたけどなぁ、それはただ運が悪かっただけで、これから全部取り戻すーーいや、店が潰れるくらい大勝ちする予定だったんだ! それなのに燃やす訳ねぇだろっ!? 大体、俺は昨日、いや一昨日まで、魔法が一切使えなかったんだ! 今だってマギアがねぇと魔法なんて使えねぇんだよ!」

「あぁ、その話も聞いた聞いた。で、君は一昨日覚えたばかりの魔法で、バースティアを炭化するまで燃やしたんだっけ?」

「……だから、そう言ってんだろうが! テメェさっきからぐじぐじ言ってねぇでハッキリ言えやオラ!」


 その言葉に男は眉を顰め、ペンを乱暴に叩きつけた。


「じゃあハッキリ言わせてもらう。良い年して魔法が使えませんでしたぁ? んな言い訳を誰が信じるってんだ? おいこらボケ。テメェみてぇなクズは五万と見てきたが、テメェほど頭の悪いゴミ虫は見たことねぇよ!」

「んだとコラァ!?」

「あ? テメェ自分の立場分かってんのか? Fランクのクソ底辺がよぉ。俺のことも殺してみるか? ほら、来いよ雑魚、俺のことも燃やしてみろ」

「マジでぶっ殺すぞテメェ!」

「だからやってみろっつってんだろうが!」


 身を乗り出して挑発する男の憎たらしい顔に、直人の理性は機能を停止した。 

 例え相手が憲兵だろうがなんだろうが一発殴らないと気が済まず、直人は固く握りしめた拳を振り上げた。

 だがその拳は、彼の背後から伸びた細腕によって阻まれる。


「ーーッ! サライッ……さん」

「お、よく分かったね。まぁアタシは全身美人だから、手だけでも分かっちゃうか」


 厭らしくも絶妙なタイミングで現れる人物が誰なのか、振り向かずとも直人には分かった。


「いくら若くても憲兵を殴ったら即牢屋行きだよ。折角無実を証明してあげたんだから、アタシの労力と情報を無駄にしないで欲しいね」

「え……? 無実……って?」


 頭が急激に冷えた直人が振り返った先には、ニタリと笑うサライと、20代後半らしき男前の憲兵が立っていた。

 その男にアイコンタクトを送られた若い憲兵は、不服そうな顔をしながらも席を立ち、店を後にする。

 その姿が見えなくなったところで、男は深々と頭を下げた。


「ナオトくん……と言ったかな? うちの若いのが失礼した。代わりに謝罪する」

「いや、あんたに謝られてもーーいてっ! なにすんだよサライさん!?」


 不服を申し立てようとしたところで、サライは掴んでいた直人の拳で、彼自身の頭を小突いた。


「ムカつくのは分かるけど、ここは素直に受け入れときな。これ以上話をややこしくしたくはないでしょ?」

「それはまぁ……そうっすけど……」


 釈然としない様子の直人に、男は状況の説明を始めた。


「今回の事件の容疑者として、真っ先にナオトくんの名前が挙がった。今回の事件を起こしかねない動機が君にはあったし、火炎魔法による犯行という点も、君が事件に関与している可能性を高めた。何より犯行現場に居た理由が『夢』ともなると、疑わざるを得なかったんだ」

「そりゃまぁ、確かにそうかもしれないっすけど……」


 怪しむな、と言うのは無理がある。

 とはいえ、冤罪をかけられた直人にとって、あの憲兵の態度は許せなかった。


「過ぎたことを言っても仕方ないでしょ。容疑者への尋問は彼らにとって大事な仕事さ。拷問された訳でもあるまいし」

「そりゃそうでしょうけど……。でも今にして思うと、俺に殴るようけしかけたのって、有無を言わさず逮捕するためじゃないっすか? やっぱ滅茶苦茶腹立つんすけど」

「たしかに。憲兵はやる事が狡いし汚ないからねぇ。アタシも何度しょっ引かれそうになったことか」

「サライ、君はむしろ何故捕まっていないんだ? 僕はそれが不思議で仕方ない」


 それはそうだと、直人は深く頷いた。

 

「おっと、話が逸れてしまった。ナオトくん、改めてすまなかった。尋問の方法については今後の課題にさせてもらうよ」

「あ、はい。もう大丈夫っす。俺も頭に血が昇ってました」

「あの状況なら仕方ない。ここ数日、君は大変だったらしいじゃないか」

「……そうっすね」


 本当に、色んなことがあった。

 直人がこの世界に来てからの数ヶ月を凝縮しても、この3日間には届かない。


「なーに遠い目してるのさ。アタシのお陰で犯罪者じゃなくなったけど、聞きたいことはあるからシャキッとしな」

「また尋問か……」

「情報分の報酬はキミから貰う予定だったからね。アイルは外してくれる? ここからはキミにも聞かれたくない」

「全く、君は変わらないな。しかし今回も助かった。また頼むよ。ナオトくんも、君が居なければマダムの発見は遅れていただろう。言い遅れたが協力に感謝する。冒険者として今後も頑張ってくれ」

「う、うっす」


 アイルと呼ばれた憲兵は、最後まで爽やかな立ち振る舞いで蓬莱亭を出ていった。

 

「知り合いですか?」

「アイルかい? まぁ腐れ縁だよ。彼は数年前まで冒険者をしててねぇ。その時色々あったのさ」

「へぇー」

「興味ないなら聞かないでもらえる? ま、良いけどさ」


 そう言うと、サライは直人の対面に座り、銀髪の隙間から見える紅い瞳でジッと直人を見据えた。


「な、なんすか?」

「率直に聞くけど、キミが見た夢……『予知夢』は、キミのスキルかい?」

「スキル? うーん、どうなんすかね。正直よく分かんないです」

「キミは異世界からこの世界に来たと言ったけど、前にいた世界ではあったのかい? 今回みたいなことは」

「うーん……多分無かったっすね」


 小便をする夢を見た時、目覚めると実際に漏らしていたことはあったが、それを予知夢と呼ぶのは無理があることは直人でも分かる。


「そうかい。キミのスキルなら楽だったんだけど、なーんて言っても仕方ないか」

「もしかして、面倒くさい事に巻き込まれたりしてないっすよね?」

「どうだろね。なにぶんアタシも情報不足さ」


 サライは覗かせていた瞳を前髪で隠すと、厭らしく微笑む。


「けど、心当たりはあるよ。憶測に過ぎないけど聞きたいかい?」

「あーいや、別に。関わりたくないし、もう帰って良いっすか?」

「……そうかい。じゃあまぁ、気をつけて帰りな。明日からギルドに来るんだよ」

「ういっす。あざっした」


 意外そうな声をあげたサライを尻目に、直人は蓬莱亭を後にした。

 気にならないことはない。しかしそれ以上に、直人は眠くて仕方がなかった。

 普段この時間は寝ているし、今日は寝過ぎて逆に眠いのだ。


「おや、ナオトくん。サライの話はもう終わったのかい?」

「あ、ああはい。えっと……」


 蓬莱亭を出ると、数名の憲兵と冒険者の中から先ほどの憲兵が直人を呼び止めた。


「アイル・マライヤだ。今後ともよろしく」

「あ、どうも……」


 差し出された握手に応じるが、憲兵とは極力関わりたくないものである。

 そんな直人の心情を察してか、アイルは困ったように微笑んだ。


「お互い、サライに目をつけられると苦労するね。彼女に虐められてないかい?」

「まぁ、それなりに……」


 今回は助けてもらったが、確かにサライと関わってから碌なことがない。


「僕も冒険者時代に、彼女に叩きのめされたことがあってね」

「マジっすか。やっぱヤバいっすねあの女」

「ははは……。何にせよ君には借りが出来た。男同士、何かあれば相談に乗るよ」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ、暗いし物騒だから気をつけて帰ってくれ。戸締まりもしっかりね」


 軽く会釈をして、暗い夜道を行く直人の足取りは、多少軽やかになっていた。

 アイルという男は、バースティアの母子を直人が討伐したことを知っているだろう。

 それでも彼は、蔑む事も非難する事もなく、ただ労いの言葉をくれた。

 直人は、初めて味方が出来たように感じているのだ。


「あのお姉さんも……」


 今朝、この道で出会った無表情の女の姿を不意に思い出す。

 あの時は別のことで頭がいっぱいだったが、思い返せば美人でスタイルも良く、かなり直人好みの女性だった。

 彼女も直人を慰めてくれた。

 味方と言って良いだろう。


「そういや貰った石は……あれ?」


 彼女から魔石を貰った事を思い出し、ズボンのポケットに手を突っ込んでみたが、そこに魔石は無かった。

 思えばジャージを着ていたはずなのに、ゴミ捨て場から拾ってきたグレーのボロ着に変わっている。


(アリッサが着替えさせたのか)


 彼女の寝顔を思い出し、直人の足取りは一層軽くなった。

 これまで脛を齧り続け、初仕事の報酬を横取りされ、不貞腐れて帰った彼に文句の一つも言わず、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる一番の味方を思い出したのだ。


(服でも買ってやらないとな……)


 明日から少しずつクエストをこなして、いつかアリッサが働かなくても生活できるくらい稼げるようになろう。と、流石の直人も、今度ばかりは強く決意を固めていた。




 * * * * * *




 小屋の扉を開くと、直人は静かに寝息を立てていた。

 テーブルに目をやると、昨晩持ち帰った料理と、一昨日摘んできた木の実が手付かずのまま残っている。


「ただいまナオト」


 アリッサは新しく貰ってきた料理の包みをテーブルに置き、直人を起こさないように優しく彼の髪を撫でた。


「今日はね、ねこちゃんに会えなかったんだ。お腹いっぱいだったのかな? でも元気ならそれが1番だよね。えへへ」


 直人に聞いて欲しいことが沢山ある。

 酒場で働き始めたこと、バースティアの女の子と仲良くなったこと、美しいティンダーの老婆がお店に来たこと。

 直人に聞きたいことも山ほどある。

 サライさんとは上手くやれてる? ギルドで仲良くなれそうな人はいる? ミーシャさんと何かあったの? 初仕事は失敗しちゃったみたいだけど落ち込んでない? 色々無理してない? 


「ゆっくりで良いから、私がずっと支えるから、いつまでも一緒にいてね」


 愛しい直人を前に、アリッサの頭の中には次々と言葉が溢れ出す。


「大好きだよ」


 彼の横顔に軽く唇を当てると、どうしようもなく切なさが込み上げた。

 同じご飯を食べて、同じベッドで寝て、苦楽を共にして来たのに、彼は一度だって口付けすらしてくれない。


「あはは……。ダメだなぁ、私」


 不安を振り払うように、アリッサは自分の頬を抓った。

 涙が溢れたのは、強く抓り過ぎたから。

 そう自分に言い聞かせ、棚から木製のフォークを取り出した。

 テーブルに着き、昨日持ち帰った料理の包みを開けると、冷え切った魚に固まった赤いソースがこびりついていた。


「腐る前に食べちゃうね。いただきます」


 夢にまで見たまともな食事。

 本当は直人とテーブルを囲みたかったが、贅沢は言えない。

 直人も彼女自身も忙しくなり、この3日間はまともに話せてすらいないが、アリッサはこれが幸せへの第一歩だと信じて魚を頬張った。


「えへへ、おいしい」


 久しぶりのまともな料理を一人で食べている事に心苦しさを感じたが、すぐ考え直す。


(一人じゃないや。ねこちゃんも食べてくれたよね。それに、ナオトも一緒だもん)


 飢えた子猫の様に冷めた料理を食べ終えたアリッサは、テーブルの隅に置かれたいくつかの物に目を止めた。

 ライセンスカードと、三本の爪のようなものと、緑色の美しい魔石。全て直人が持っていた物だ。

 ライセンスカードはギルドで発行した物、爪は恐らくクエストで討伐した魔物の物だろうと結論づけた。


(これは……なんだろ?)


 しかし、魔石だけはよく分からない。

 多少何かの魔力が込められているようだが、これほど美しく澄んだ魔石に実用性があるのか、アリッサには見当も付かなかった。


「あ……もしかして」


 しかし考え抜いた末、彼女はある可能性に辿り着いた。


「私へのプレゼント……だったり!?」


 そう考えると、そうとしか思えない。

 アリッサは単純な娘であった。

 先程まで感じていた不安はどこへやら、その顔はだらしなく緩んでいた。


「わ、私のことなんていいのにぃ。えへへへへ」


 彼女自身も勘違いかもしれないとは薄々思っているし、本当に勘違いなのだが、そんなことは今のアリッサにとってどうでも良かった。

 直人がパチンコで交換した駄菓子の袋ですら宝物の様に保存している彼女にとって、魔石のプレゼントなど夢のまた夢だったのだ。


「私、世界でいちばんの幸せ者だなぁ。えへへへへ」


 そんなことはない!

 だが、今のアリッサには関係ない!

 この瞬間、赤面しながら涙を流しつつ笑う彼女は、間違いなく世界の誰よりも幸せを感じているのだ!


(そうだ! もしかしたら明日もお話する時間が無いかもしれないし、手紙書いちゃお! 家の中で文通っていうのも、ちょっとロマンチックかも!)


 ゴミ捨て場で拾ったチラシの裏に想いを綴る彼女の胸は暖かく、気絶してしまいそうなほど幸せに満ちていた。




 * * * * * *




 大好きなナオトへ


 おはようナオト。

 お互い忙しくなっちゃったね。

 なかなかお話する時間が作れないから、

 お手紙を書くことにしました。

 ちょっと寂しいけど仕方ないよね。

 お話ししたいことも聞きたいことも多すぎて、

 何から書こうか迷っちゃうな……。

 とりあえず最近の私の話から書いちゃうね。

 実は一昨日から、蓬莱亭という居酒屋さんで

 新しくアルバイトを始めました。

 武器屋のパートと掛け持ちだから大変だけど、

 店長さんがとっても優しくて、

 なんと帰りに料理を包んでくれるの!

 テーブルの上の茶色い包みだよ! 食べてね ♪

 それとね、とっても可愛い友達が出来たの!

 どんな子だと思う?

 なんと、バースティアの女の子です!

 バースティアは猫みたいな亜人なんだけどね、

 もう抱きしめたくなるくらい可愛いの!

 お腹が空いてるみたいで、料理を分けてあげたら

 仲良くなれたんだ。

 とっても可愛いから、今度一緒に会いに行こ!

 栗色の毛と金色のおめめがすごくキレイで、




 * * * * * *




 そこまで読んで、直人の手からチラシが落ちた。

 その後に続く労いの言葉も、心配する言葉も、元気づける言葉も、彼が読む事はない。

 朝日が差し込む室内には既にアリッサの姿はなく、テーブルの中央に置かれた茶色の包紙と、隅に置かれた三本の爪が彼に重くのし掛かる。


「そ、そんなわけ……ないだろ」


 言い聞かせる様に呟いて、何処か見覚えのある包みに手を伸ばすが、全身が震えて上手く掴めない。


「関係ない、関係ない、落ち着け、関係ない」


 何十分もの間そうしていたように感じた直人だが、実際には30秒程で包みを開き、その中身を目の当たりにしていた。


「あ、あのね。今日もね、ご、ごはん、ほら。あの、おねえちゃんがく、くれたんだよ」

「――ッ!」


 声が聞こえた気がして振り返ったが、当然そこには誰も居ない。

 しかしその声は確かに聞こえていた。

 

 包みの中にあったのは、あの時子供のバースティアが持っていた魚料理そのものだった。


「ハァ……ハァ……」


 荒い息遣いが聞こえるが、それを自分自身のものだと理解するまで時間がかかる。


「まさか……おねぇちゃんって……」

「なんで、おねえちゃんのにおいがするの……?」

「ッ!?」


 また、直人の耳に彼女の幼い声が響く。


「ご、ごめん。ごめんなさい」

「とっても可愛い友達ができたの!」

「ごめんなさい! ご、ごめんなさい!」


 手紙で読んだアリッサの言葉が、嬉しそうなアリッサの声が、鮮明に響いた。

 思わず尻餅をついた直人の目線の高さに、鋭い爪が光る。


「俺……俺、アリッサの友達、殺して……殺しちゃったの?」


 震えが止まらない全身には鳥肌が立ち、シャツが体に張り付くほど汗が流れる。

 脳味噌が締め付けられる様な感覚に襲われ、視界にチカチカと光が舞った。

 喉の奥から吐き気が込み上げるが、今度は胃液すら吐き出すことが出来ず、奥歯がガチガチと鳴るばかりだった。


 真っ白になる頭で、直人は自分でも気付かぬうちに、緑色の魔石を手に取り、それを強く握りしめていた。

 それをくれた女の言葉を思い出したのだ。

 これを壊せば助けに来てくれる。

 なにから?

 それはわからない。


「壊れろ」


 震える手で握り潰そうとしても、魔石は中々割れてくれない。

 直人は魔石を握ったまま、床を力一杯殴りつけた。


「壊れろ、壊れろ、壊れろ」


 何度も何度も、血が滲んでも、肉が抉れても、骨が折れても。


「壊れろ、壊れろ、壊れろ、壊れろ、壊れろ」


 少しの痛みも感じなかった。

 頭がどうにかなりそうで、今すぐ自分を殺したくて、何度も何度も、床を殴り続けた。


「壊れろよぉ――っ!」


 思い切り腕を振り上げ、拳ごと破壊するつもりで振り下ろした。

 だが、その拳は地面に当たらず、突如として現れた真っ黒な穴の中へとすり抜けていた。


「もうとっくに壊れているわよ」


 朦朧とする意識の中、目前にしゃがみ込む女の姿が目に映る。

 それは魔石の女だが、直人には彼女がサライに見えていた。


「あ、あぁ」

「どうしたものかしら。とりあえず、うちにくる?」


 直人は力無く頷き、そのまま意識を失った。

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