出逢いの中で
続きです。ほんの少し、推理があります。
あれは2日前のことだった。友達の横田剛から中庭の階段に咲いている桜が見頃と聞いて、その景色を一目見ようとそこに足を向けた日のことだった。剛の言う通り、桜はとてもきれいだった。それはもう何とも言えないほどに。時折起こる花吹雪がどれ程、ぼくの心をざわつかせたことか……
でも、でも一番、僕の心をざわつかせたのは桜ではなかった。それは紛れもなく、『彼女』だった。桜を写真に収めようと、スマホのレンズを向けたとき偶然映り込んだ彼女。階段の脇にある花壇の奥に、隠れるようにひっそりとある芝生の上でおにぎりを食べていた彼女。名前は分からない。当然、学年も分からない。ただ、一つだけ確かなのは、彼女を一目見たときから、隣に座って彼女と話がしてみたいという願望が僕の中に芽生えてしまったということ、それだけだ。それは、生まれて初めての経験だった。
僕の名前は中村昴。N高校1年。学籍№U18009。ちなみに文芸部に所属している。現在、僕の腕時計は12時21分を回ったところ。さて、いったいどういう風に話しかけようか。昨夜からずっと考え続けていたが、うじうじと悩み続けただけで今に至る。やっぱり「隣、いいですか?」って感じがいいのか? いや、だめだ。それだと相手が嫌がるそぶりを見せれば、それはもう地獄でしかない。困った。非常に困った。悩みながらふと、上を見上げてみると満開の桜が目に飛び込んできた。昨日は1日中、雨が降っていたっていうのに全然花が散ってないや…… あっ、そうだ「桜がきれいですね」がいいんじゃないか! いやう~ん、それもなんか違う気がするか。それと、第一印象も大事だからなぁ…… それも考慮するとなると、難しすぎ「隣なら空いてるよ」だからそれは却下だって言ってるだろって……
「ほえ?」反省している。我ながら腑抜けた声だったと思う。でもいきなり、話しかけてくるとは思わないじゃないか……
声の主はもちろん、先ほどから僕の目と心を独り占めにしている、例の彼女だった。
「だから隣、空いてるよ?」そう言いながら、彼女は自分の座っている場所を少し左にずらした。
「えっ、えっ、いいんですか、座っても?」
「いいよ。ほら、早くしないと昼休み、終わっちゃうよ」
「じゃ、じゃあ、ちょっと失礼して」と腰を掛けたが、忘れないうちに言っておかなきゃいけないことがあった。
「すいません。ラウンジの席がいっぱいで座れなくて困ってたんで、助かります」
「へえ、四限の授業が長引いたりしたの?」
「あっ、いえ。講義が終わってから寝不足でちょっとぼうっとしちゃってて……」
「ふぅん。てっきり、この場所で食事したいのかなと思ったんだけど。ああ、目的はこの場所じゃなくてこの私だったりして?」
「えっ⁉」
「あらその顔、まさか図星?」
「……どうしてそう思ったんですか?」
まるで、心を見透かされているような気分だ。でもどうして僕の本当の目的が分かったんだろう。まさか顔に書いてあるわけではないだろうし……
「話せば長くなるよ?」
「あっ、ええ大丈夫です」
「じゃあ、ご飯を食べながらで」そう言いながらも、彼女は食べかけのおにぎりをビニール袋の上において話し始めた。
「えっと、始めに不思議に思ったのは、あなたのそのバックの中におにぎりが入っているのが見えたことかな。この学校にあるおにぎり、安いから結構人気でしょ。二限の講義のあと、すぐ購買に行った私でも目当てのものゲットできなかったぐらいだし……」といい、彼女は左手についたご飯粒を舌で、舐め取った。何ていうかこの人、動作の一つ一つがホント……色っぽい……。
「……目当てのおにぎりって何だったんですか?」
このままでは、彼女にやられてしまう。そう判断し、とっさに僕は話題をそらすことにした。
「ん? あぁ、『ネギトロ』よ」まさかのネギトロ⁉ そりゃあ、おいしいけども…… あっ、そういえば……
「僕、今日『ネギトロ』買いすぎちゃったんで、一つあげましょうか?」
「えっ、いいの?」
「えぇ、この『ネギトロ』も貴女に食べてもらいたそうなんで……」
「フフフ、変なの。でも、ありがと」
「いえいえ」
「えっと、どこまで話したっけ……あぁ、『ネギトロ』までか。で、あなたはおにぎりを持ってる、私もゲットできなかった具も含めてね。つまりあなたは私よりも先におにぎりを買いに行ったってこと。多分、四限の前に買いに行ったんじゃない? そこがおかしいのよ」
「確かに、四限の講義が始まる前に購買に行きましたけど……それのどこがおかしいんですか?」
僕の質問には答えず、彼女はお茶を飲み始めたので、いったん議論というか推理ショーなるものは中断された。流れる静寂の時間。時より吹く風が、いつもよりひんやりと感じられたのはたぶん気のせいだ。
彼女がお茶を飲んでいる間、現実逃避をするかのように、僕は別のことを考えていた。彼女は幼馴染の玲奈のようにとびっきりの美人ではない。それなのにどうして僕は、彼女の桃のようにほんのりと赤みを帯びて見える肌や薄い唇、可愛さのかけらもない野暮ったい眼鏡の奥に映る澄んだ瞳、細いしなやかな髪、華奢な身体つきにどうしてこんなにも目を奪われてしまうのか…… まさか、病気か?
「……どうしてラウンジなの?」いつの間にか、お茶を飲み終えた彼女がそう聞いてきた。
「えっ、どうしてって…… ただラウンジでご飯が食べたかっただけですよ」
「わざわざ大変な思いをしてまで?」
「大変な思い、ですか?」一体何のことだ?
「だってそうでしょ? あなたのバックの中から覗いてる英語の参考書、それ英語の上級クラス、Aクラスの人たちだけが使うものだよね。上級クラスは3つあるけど、今日はその中で講義があるのは、A―2クラスの人たちだけ。そうでしょ?」
「えっ、そうなんですか?」ていうか、この人なんでそんなこと知っているんだ?
「フフフ、そうなのよ。で、教室は三号館の二〇三号室だったでしょ?」
「そうですけど……」まさか、講義の時間と場所が載っているあれ、まさか全部記憶しているのか?
「そうだとしたら、やっぱりおかしいね」
「なっ、何がおかしいんですか?」
「だって、三号館の二〇三号室からラウンジまで結構距離あるじゃない? まず、一号館を通って、四号館の端までいかないといけないし。普通なら空き教室か次の講義場所とかで食べるよね? ラウンジのある四号館は一年生が使う教室はないし、購買に行ったついでっていうならそういうこともあるかもしれないけど、貴方はとっくの昼食は調達しているしね」おや、彼女の推理に少しほころびが見えたような気がした。少しこちらからも仕掛けてみるか……
「ラウンジに行こうとしたのは、友達とそこで会う約束をしていたからですよ。」やば、後でちゃんと剛にも謝っておかなきゃ……
「ふうん、ずいぶんと優しくない友達ね」
「えっ⁉ どうして?」
「だってそうでしょ。遅れてきた友達のために席も取っておかないなんて」
「あっああ、いやもうなんていえば……」罪悪感で胸が押しつぶされそうです……
「フフ、罪悪感でいっぱいみたいな顔してる。嘘は体に良くないよ」
「はい……」どうやら降参するしか術がないようだ。まったく、慣れないことはするべきじゃあない……
「続けていい? 今の様子からも、ラウンジに行く約束を誰ともしていないのは明白。あと、教室から一号館、四号館のラウンジを通らずに三号館、一号館、二号館を通ってここまで来たでしょう?」
「ど、どうしてそれを……?」僕が階段を上ってくるのを見てたのかしら?
「だって、君が着ている制服のズボンの裾にさっき出来たばかりの泥汚れがついてるし。下の階段はまだ雨水が乾ききってないから、そこを通った時についたんじゃない? こっから上は、日なたになってるから、もうすっかり乾いてたし」
「うっ……」裏目に出てしまった。剛に見つからないためと……
「理由は見られちゃまずい人でもラウンジか購買にいたか、人目を気にしたってとこかな? ほら、ここの下の階段は雨が降ると足元が悪くなるのは、結構有名だから。念のために時間もずらしたでしょ?」
「……その通りです」否定のしようがありません。
「つまり、あなたは最初からここに来ることが目的だった。しかも、人目を憚る必要もあった。じゃあ、そこまでしてここに来る目的は何だろうって。正直に言うとね、そこからはよくわからなかったの。桜を見ながら食事をしたかった。人目を気にしたのは、それを誰かに見られるのが恥ずかしかったから? でもそれを証明する手立てはなかったし。そこで……」
「そこで?」どうやってそこから僕の本当の目的を絞り込んだって言うんだ?
「カマをかけてみたの」
「カマ、ですか?」ん? いつ、僕はカマをかけられたって言うんだ?
「そう。『目的は私?』っていう。そしてあなたはそれに、見事に引っかかった」
「えっ⁉ あっ。あ、アアアアアアア……‼」
「フフフ、残念だったね。実は最初、声をかけた時にだいぶ表情が表に出てたからいけるかもと思ったんだけど、まさかこうも上手くいくとは」
「くっ、そんな……」まさか、あの時点ですでに、貴女の策略に嵌っていただなんて……
それにしても、己の腑抜けさに笑えて来る。可愛らしい外見とは裏腹に、論理的な思考力と大胆さを兼ね備えていることにも気づかないとは…… 初めから僕がかなうような相手ではなかったようだ……
「『悪魔のような狡猾さで人の心を見透かす慧眼の持ち主』か……」以前、どこかの漫画でみたフレーズを頭によぎった。
「ん? 誰のこと?」貴女のことですよ。
「あっ、いえ。何でもありま……」
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ……
「あっ、ごめんね。五限の講義に遅れないようにいつもタイマーをセットしてるの」
ちなみにこの学校、講義の予鈴を鳴らさないという悪習(?)があるのだ。生徒の時間管理を促すとかいう理由らしい。
「なっ、なるほど」
「じゃあ、遅れないうちにそろそろ行こっか」
そういいながら、彼女は手早くビニール袋をカバンにしまい、立ち上がった。
「あのぉ……」なんて言えばいいんだろう……
「何?」いや、違う。言葉なんかもう決まってる。言葉に出せないのは、もっと別の理由があるからだ。
「また…… ここに来てもいいですか?」
「フフフ、ここは別に私だけの場所じゃないし、来てもいいんじゃない?」いや、貴女がいる時点で、少なくとも僕にとってここは、踏み入ることが決して許されない、言わば『聖域』みたいなもんですよ。
「ありがとうございます」さっきまで食べていた鮭のおにぎりが口に残っていたのだろうか、うれしいようなくすぐったいような味が口の中で広がっていくのを僕は感じた。
いつの間にか、昼食を取り終えた学生たちが、ぞろぞろと階段を下ってきた。中には興味深そうに、こちらを眺めている者もいる。
「さ、早く行こうか」彼女は少し、うつむきながら、僕を急かし始めた。もしかして僕と一緒にいるのを見られるのが嫌なのだろうか……
階段に出て、僕はもう一つ聞き忘れていたことを思いだす。名前。まだ僕は、彼女の名前を……知らないままだ。
「あっ、もう一つだけ…… 名前、まだ訊いていませんでした。教えていただけますか?」
「あっ、そうだったね。私の名前は、み……」すると彼女は、ほんの少し慌てた様子で口をつぐんだ。
「み?」
「学籍№G16064。相原零。これが……私の名前」
名前を言うのがそんなに嫌だったのだろうか。彼女、いや零先輩は何かを押し殺したような顔で、そうつぶやいた。
「えっと、なんかすいません」名前、訊いちゃまずかったかな?
「あっ、ごめんごめん。気にしないで。前にいた友達のことを思い出しちゃっただけだから…」前にいた友達? 彼女の表情から察するにその友達と何かあったのだろうか……
キン、コン、カン、コン。キン、コン、カン、コン
「あっ、まずい。本鈴だ。五限目が始まっちゃったみたいですよ」そう言って後ろを振り向くと、そこにはもう先輩の影も形もなかった。先に行っちゃったのかなぁ。あっ、やば。早くしないと遅刻になるぞ。
教室に向かう途中、偶然か玲奈にも会った。玲奈が遅刻するなんて珍しい。しかもいつもと違って、今日の玲奈はなぜかご機嫌斜めだった。一体、何があったのかな? (怒っている玲奈も零先輩に負けず劣らず魅力的だったけど)
次回から、もう少し推理小説っぽくします。(予定)そうすると恋愛要素は、必然的にゼロになります。ごめんなさい。