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9.

「これで出汁をとる!」


 鮮やかな包丁さばきで野菜の皮むきを完了した幕末最強の剣客・岡田以蔵は言った。


「それはゴミだと思います、イゾ―様」


 異世界の居酒屋で下働きをさせられている奴隷エルフ少女・マリアンヌは言った。


***


 以蔵が鍋に入れていたのはタマネギの皮や人参の皮といった普段であれば廃棄する野菜くずだった。奴隷に身をやつしてから日が浅いマリアンヌでもそれは分かる。それはゴミだ。


「はっはっは! これだから素人は困るぜよ!」


 以蔵は笑う。

 料理に関しては、というよりも399歳のエルフとくれべれば以蔵の方こそ人生の素人であるのだが、そこには得も言われぬ風格があった。


「野菜の皮はのう、出汁に使うんじゃ!」

「だ……し……?」


 以蔵は土佐の郷士である。下士と呼ばれる軽格の武士の生まれではあったから給与はだいたい20石。世帯年収150万円ちょっとの家庭だった。父は町内きってのお人よし、さらには子どもの教育にかける投資を惜しむ家ではなく……切り詰めるものといえば食費であった。それはもう、圧倒的に食費であった。


 武士は食わねど高楊枝とはいうものの、楊枝が高すぎて天子様に突き刺さるんじゃないかというくらいの高楊枝を咥えて生きてきた男である。


 男子厨房に入るべからず、などと言っていられない。むしろ寝て起きればそこは土間直結、といった暮らしぶりであったため、ときには母を手伝って食事を整えることもしてきたのだ。


「この野菜の皮をようく洗ってのう、水と酒で煮るんじゃ」

「水と、お酒!?」


 マリアンヌは目を白黒させる。薬草や魔術の知識に長けたエルフ族であるマリアンヌの知識に、「野菜の皮を酒で煮ると美味しい」というものはなかった。


「そっちの石海亀っちうのは、何日も煮込むんじゃろ? こっちの出汁は半刻もあればできるきに」


 言いながら、以蔵はてきぱきと水洗いした野菜の皮を火にかける。


 こうして飯の下ごしらえをするなど、どれくらいぶりだろう。近頃でこそ、「天誅」と称して政敵その他の誅殺に明け暮れているが、思えば幼いころから刃物の扱いが上手かった。物心つく頃には鈍く光る刃を面白がってなにかと包丁を扱っていたように記憶している。結果として母の飯炊き仕事を助けては、「優しい子だ」と母に頭を撫でてもらっていたっけ。遠い日の土佐のあたたかな日差しや、幼い弟をおぶる母の背中をなんとなく思い出す以蔵だった。


 たまには料理というのも悪くない。


「これで、とろとろ煮ちょるうちに野菜の皮が白うなってきよったら酒を足して煮立たせて終いじゃ。はーあ、さすがに腹が減るのう」


 ぐう、と以蔵の腹の虫が鳴く。そういえば、昨日から何も腹に入れていない気がする。このところのすさんだ生活はもとより、京都の町から一足飛びに出島に迷い込むなどという不思議体験のせいだ。温かい食事と酒がほしいのう、と以蔵はため息をつく。


「す、すごい。さすがイゾ―さま。包丁さばきだけじゃないんですね」


 マリアンヌが、以蔵の手際にほれぼれとした表情を浮かべる。

 生活で磨かれた以蔵の調理の手際は魔法のように鮮やかだった。


「さて……おまんの石海亀(それ)も手伝っちゃろか」


 と。そう言ったときだった。


「ぐごっ!」


 店先で伸びていた店主が低く呻いた。


「ひゃ、」


 と怯えるマリアンヌをかばうようにして以蔵が様子をうかがうと――何やら、港全体が騒がしかった。

 店先で伸びている大男……マリアンヌの主人の背中には無数の足跡が。どうやら広場をかける人々に踏まれたらしい。


「っ、なんじゃ! この殺気は……っ!?」


 熟達した武芸者である以蔵の第六感が、危険を告げる。

 ビリリ、と首の後ろが粟立つ。これはいったい、どういうことだ。

 権謀術数が渦巻き、血で血を洗う殺し合いが行われていた京でも、ここまでの気配を感じたことはなかった。


 以蔵は、抜けぬ刀に思わず手をかけて視線を走らせる。

 誰だ。この凄まじい――覇気にも近い殺気を放っているのは誰だ。


 遠くで誰かが絶叫する声が聞こえた。


「し、ししし、シーサペントがでたぞーーーーー!!!」


 その声は絶望にまみれていた。


「そんな……っ! こんな港にシーサーペントなんて。沿岸警備が突破されてしまったのでしょうか」

「しぃさぁ……? おマリ、そいたぁなんじゃ?」

「え? イゾーさま、シーサーペントですよ!? この近海に住む恐ろしい災害魚ですよ!? 旅のお方とはいえ、さすがに巨大災害魚の噂くらいは知りませんかっ!?」

「魚。ほおーん、魚のう」


 早く逃げましょう、と焦って地面に転がっている店主を揺さぶるマリアンヌ。


「おい、そんな奴ほっとき!」

「で、でもご主人様は……」


 すっかりと服従の姿勢を植え付けられてしまっている奴隷エルフは、以蔵の一喝に狼狽える。


「義理堅いやっちゃの。そがいな奴ぁ放っといて逃げればえいき……しっかし、魚。大きい(ふっとい)魚のう」

「い、イゾー様?」



 岡田以蔵は思った。

 ――魚、食べたい。



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