6.
以蔵は強い。
そういうわけで、以蔵のパンチ一発で一般人の男が伸びてしまうのも無理のない話なのである。それがたとえ、オークの血を引く屈強な男であっても。
「図体ばっかりじゃったの」
「ご、ご主人様っ!?」
きゃあ、と少女が悲鳴をあげる。
そして恐る恐る以蔵を見上げて、うるうると潤んだ目を伏せて頭を下げた。
「あの、えっと、ありがとうございます……冒険者の方、ですか?」
「ぼうけんしゃ? いやあ、わしは土佐の岡田以蔵で、あー、んー、今は故あって勝先生のところで……」
「とさ?」
少女はこてん、と首をかしげる。
以蔵はその様子に驚いた。さすが出島に暮らす者ともなると、土佐も知らないのか!
しかし先ほど、大男は「身分がどうの」と言っていた。どうやらこの少女も、生まれた身分によって虐げられる存在であるようだ。ほかの藩について知らなくても、この娘のせいではあるまい。
「しかし、なんじゃこの感じは……」
以蔵は首をかしげる。
先ほどから感じている妙な気配が収まる様子がないのだ。
ぞわぞわ、と首の後ろに鳥肌が立つような気配である。
「あの……イゾーさま?」
「お、おう。なんちゃあない。で、おまんの名はなんじゃ」
以蔵は尋ねる。そういえば少女の名をまだ聞いていないことに気づいたのだ。
少女は、おどおどと答えた。
「えっと、マリアンヌといいます」
「まり……?」
「マリアンヌ」
「まぃあんにぅ」
「マリアンヌ」
慣れない音に、幕末の男岡田以蔵の舌はもつれた。
妙な名前じゃ。さすが出島。
「い、異人風じゃのう!? あー、うーん、そうじゃ。おマリでえいか?」
「おマリ」
「おん、おマリじゃ」
「あはは、ちょっと可愛いですね」
マリアンヌは笑った。
以蔵はほっと安心し、尻餅をついていたマリアンヌを助けおこして服についた砂埃を払ってやる。
「ほいで、おマリ。おまんはどういて殴られちょった?」
「じつは……」
言って、マリアンヌはある建物を指差した。
***
そこに横たわっていたのは、巨大な亀だった。
とても大きい。
土佐っぽもびっくり。
「なんじゃあ!?」
「ご存知ありませんか? 石海亀といって、若い個体から作るスープが人気の高級食材なんです」
「はあ。ここは料亭なんじゃな」
以蔵は招き入れられた台所を見渡す。
確かに立派な竃が幾つも並んでいる。それにしても広い。さすが出島。
「はい、私はこの居酒屋に買われた奴隷なので、毎朝の仕入れを担当しておりまして……ご主人様に石海亀を仕入れろと言われるがままに買ってきたのが、これだったのです」
「立派やいか」
「いえ、スープにするのは若い石海亀でないとダメなんです」
「なんでじゃ? 味が悪くなるんかえ?」
「いえ、その……甲羅を切れないんです」
「はあ」
マリアンヌの説明を要約すると、こういうことだった。
石海亀はとても味がいい、良い出汁がとれることで有名だ。
しかし、甲羅が非常に硬いため若い石海亀でないと食材にはならない。石海亀は年齢を重ねるごとに、どんどん甲羅の硬さが増すのだ。
そして、石海亀の年齢を見分けられるのは熟練の目利きだけ……何も知らないマリアンヌは、まんまと騙されて非常に甲羅が硬い、年老いた石海亀を売りつけられてしまった。
「さっきの親方がモノグサしよって、おマリを行かせたんじゃろ? それで殴るなんち、男の風上にも置けんぜよ!」
「……お優しいのですね、イゾーさまは」
そのとき。
以蔵は気づく。
食材。
切れない。
……腰にさした、【天厨】とでかでかと彫られた刀。
「……わしに、斬れいうがか?」
「え?」
「くそ、まあえい。下がっちょれ、おマリ」
以蔵は、腰の刀に手をやる。
先ほどの妙な夢が本当だとすれば、この石海亀とかいう聞いたこともない食材も斬れるということではないか。
「や、やめたほうがいいですよ! イゾーさまの刀が壊れちゃいますっ!」
「心配せんでえいよ。わしの腕は確かぜ?」
半信半疑ながら、この不幸な少女に何かしてやろうという気持ちが以蔵を動かした。
抜刀しようとした、そのとき。
耳に、あの声が聞こえた。