34.
王都の市場に響くお化けスイカ割りだよ、という呼び声に以蔵はせわしなく足を動かす。
かつて江戸への遊学が許された際に以蔵の通っていた桃井道場の夏の年間行事に、スイカ割りというのがあった。
川に浮かべられた人の顔ほどの大きさの実を、木刀でもって不規則に動くスイカを打つのだ。自然、普段の修練の成果をみなに見せる機会にもなる。
以蔵の敬愛する武市半平太の一刀が、川面に浮かぶスイカの縞模様を鮮やかに両断すると、門下生から「わあっ!」と歓声があがったのをよく覚えている。
若い男ばかりが集まった川遊びは、今思えば随分と無邪気で乱暴なものだったが、皆が笑顔だった。
川のせせらぎで冷えた水菓子は、身体の中から火照りを鎮めてくれるようで、みなで奪い合うように食べたものだ。たしかにあれは、青春だったのだと思う。
それゆえ。
「…………こいたあ、スイカなが? まこと??」
以蔵の目の前にある、否、飛んでいる物体をもって「スイカです!」と呼ぶことに以蔵は戸惑った。
店主の後ろにいくつも積み重なった、木製の檻。
そのなかで、ふよふよと飛んでいる丸い物体が、スイカなのか?
土佐人の知っているスイカと違う……。
「そうですよ、旅の方。これぞ、名物お化けスイカ!」
「飛んじょるがよ」
「そりゃあ、お化けスイカですから!」
「顔とか、あるんじゃが」
「お化けスイカですからね!」
まじか、と以蔵は思った。
釣りあがった目。
ギザギザの牙のような形の口。
しかも、どういうわけか宙に浮いている。
ざっと30個ほどはある木製の檻のなかで飛び回っているそいつらを見る限り、凶悪な顔に似合わず人を害する力は弱いように見えた。
刀の柄に手を置いて、「ふむ」と考え込む以蔵に店主は手もみして擦り寄る。
周囲には、見世物をおもしろがる人だかりもできていた。
「このお化けスイカはすばしっこいよ!! ただし、見事割ったら100万サキュル」
「さきゅる?」
「おっと、この国の通貨をご存じない?」
お化けスイカ割り屋(すごい商売だ)の店主はもったいぶった口調で告げる。
「そうですなぁ、旅の方の持っている刀でしたら……5本や10本は余裕で買えるでしょうな」
「乗った!!」
以蔵は即答した。
刀の値を、店主が正確に理解しているとも思えないが、とにかく大金であることは分かった。
以蔵、竜馬、ガープのだれも路銀がない状態に、ひそかに不安を覚えていた以蔵にとっては絶好の機会だ。
ちょっと飛ぶとはいえ、たかがスイカ割り。
土佐の岡田以蔵として鳴らした使い手にとって、問題にはならないだろう。
「……こいたぁを、目隠しばぁして斬りゃあえいがじゃろ?」
以蔵は、店主から目隠しのための布を受け取りながら言う。
どうやら、店の前に敷かれた大きな絨毯のうえで、この「スイカ割り」は行われるらしい。
ここから出てしまったら失格ということだ。
「この絨毯には魔導結界が施されていますから、お化けスイカが絨毯の外に出ることはありません。お立会いの皆様も安心です!!」
と、自信満々に店主は言った。
なるほど、今まで出会ってきた巨大なお魚だとか、大きな歩くきのこだとか、あるいは暴れる魔猪や……魔族、とかいう怪しげな女だとか。
そういうものと同じものなのだろう、このお化けスイカなるものは。
「よぉし、わしが真っ二つに叩っ斬っちゃるきに!!」
目隠しをする瞬間、以蔵は檻の中のお化けスイカをよく観察する。
大きさは、以蔵のよく知るスイカだ。
(おん、いけるちゃ)
以蔵は確信をもって、ぎゅうっと目隠しを目に巻き付ける。
視覚以外の感覚が鋭くなる。
愛刀は――抜けない。錆びついたように、鞘から抜くことはできない。
以蔵は、チッとひとつ舌打ちをする。
(まあ、スイカちうならこいたぁでもなんとかなるじゃろ)
【天厨】と鞘にデカデカと書かれた大包丁の鯉口を鳴らす。
賞金は、いただきだ――、そういえば。
「そういえば、あのスイカは食えるんじゃろうか」
切ったスイカを差し出せば、ガープも竜馬もきっと喜ぶだろう。
***
「あーあー、あの旅の人。騙されちゃって可哀そうに」
と、見物人のひとりがボソッと呟いた。
くすくす、と笑い声があがる。
「お化けスイカなんて、あんなすばしっこいやつを斬れるわけねえよな」
「かするだけでも、御の字だよ」
「かすりでもしたら、すげえ反撃受けるぜ」
「赤いべとべとの汁まみれかぁ……」
「どうなるか見ものだぜ!」
と。
意地の悪い言葉が飛び交う。
目の前の、妙な格好をした剣士のウデを知らない人々が、口々に嘲笑するなか。
「それでは、お化けスイカ割り、ご覧いただきましょう!!!」
絨毯の上に、お化けスイカが放たれる。
その瞬間の以蔵の全身から放たれる剣気を感じ取れるほどの武芸者ならば。、全身に鳥肌を立てたかもしれない。
刀を抜いてもいないのに漏れ出ている、凄まじい「気」に圧倒されて、全身に鳥肌を立てたかもしれない。
以蔵はぐうっと腰を落として、【天厨】の柄に右手を置く。
居合。
九州諸国を、師とともに武者修行として巡った際に身に着けた。
一刀必殺の、構えである。
以蔵さん(史実)、九州武者修行でどんなことを見聞きしたんでしょうね。
ゆかしゆかし。




