21.
以蔵さん、迷子になる。
鬼。
日本の妖怪と考えらえている伝説上の存在。
郷土信仰や民話によく登場する。
つまり。
(おおおお鬼じゃ!! まっこと鬼じゃっ。本当におったがか……っ!!)
額から突き出た角という、鬼そのもののような見た目の女は以蔵にとっては鬼そのものだった。
幼いころにおとぎ話で聞いていた鬼が、目の前にいる。
その状況は以蔵にとって、とんでもない「非日常」であった。
それこそ、異世界に来たような……。
「鬼は出島におったがか……」
「イゾーの旦那、逃げましょう。あいつやばいっす。魔族っすよ!」
「ま、ぞく……? おまんらは鬼のことを魔族っちうがか」
女のじっとりとした目つき。
只者ではない、と以蔵の武芸者としての勘が告げている。
しかし、以蔵はひるまない。
刀の柄から手を放すことなく、丹田に気をこめて女を睨みつける!
どうあれ、こちらに敵意を向ける相手であれば――斬る。
それが以蔵のやり方だった。
この、ひりつく感じ。
まさしくこれは、命の取り合いだ。
女の周囲のワイルドボアが、不気味な唸り声をあげた。
その奥。
「で、デカい!」
ひときわ巨大なワイルドボアが唸り声をあげていた。
ワイルドボアも人間と同じくらい大きさがある、巨大な猪だ。
しかし、親玉はその比ではない。
でかい。
見上げるような大きさだ。
あまりの大きさに、いままで「それ」をワイルドボアだと認識できなかった。
しかし。
以蔵の気迫は、それすらも圧倒するように見えた。
「あら、まぁ……見つかっちゃった☆ でもまあ、いっか。ワイルドボアのえさになりなさいな~」
くく、と笑って女は踵を返す。
「待ちや!」
以蔵は女を睨みつけたまま叫ぶ。
その瞬間に、ワイルドボアが一斉に吠えた。
グオオォ、という地響きのように低く、低く。
ビリビリと空気が震えた。
「っ!」
「うわあああ、やばいっすよ。イゾ―の旦那っ!」
「ちっ、くそ。待ちや、ぐわあっ!」
突風とともに、女の姿が――消えた。
「うわあ、消えた!? やはり鬼じゃっ」
「いや、魔族ですって旦那。っていうか逃げましょう!」
殺気立った魔猪ワイルドボアに、一瞬以蔵とガープが怯んだ隙に、女は消えた。
以蔵は思った。
消えた。煙のように消えた。
やっぱり、あいたぁ……ホンモノの鬼だ。
「こっちっす、イゾ―の旦那!」
「おん……いまの鬼、」
ワイルドボアから逃走しながら、以蔵は思う。
あの鬼女、また会うことになりそうだ。
***
一方その頃。
穀倉村エカテーの門の外。
一人の男がたっていた。
「エカテー村、ゆうがはここか」
村の外壁を見上げて、にかっと笑う。
その目は、未知の場所への好奇心でキラキラと輝いていた。
「これで、コメが食えるぜよ~!」
男は――坂本竜馬は、ひゃっほう! と飛び跳ねた。
***
そうしてさらに、一方その頃。
ガープと以蔵は俊足によってワイルドボアの大群から逃れた。
あとはエカテーに帰還して、今見たことを報告する必要がある。
ガープはぶるぶると全身の毛皮を逆立てる。
「魔族が関わってるってなれば、これは厄介っすよ。イゾ―の旦那」
「鬼のことか? その魔族っちうがは、いったい何ぜ?」
「俺のいたエルフの村を焼いたのは、野良のドラゴンだったんすけど……たぶん、それを企てたのは魔族だって、あとから聞いたんすよ。魔王復権っていう思想のために、各地で破壊工作を行ってるやつらっす! なんであいつらが、こんなところに……」
「ほおん」
思想のために。
破壊工作。
どこかで聞いたような話じゃの、と以蔵は覚めたように思う。
どんなにご立派な思想を抱いていたところで、実行部隊は使い捨て。大事な話し合いにだって入れてくれない。
寂しいことだ。
はあ、と以蔵は深くため息をつくと、周囲を見渡して言った。
「……ところでガープ、ひとつ聞いてえいがか?」
「なんすか?」
「こりゃあ、いったいどこじゃ?」
「え?」
ガープが顔を上げる。
必死で逃げてきたこの場所は、森の奥深く。
今まで来た道から外れてしまった。
暗い。
鬱蒼とした木々が茂っているのもそうだが、日も傾いてきてしまっている。
日があるうちに村に帰るつもりで、以蔵が持たされた酒以外はすでに食料もない。
一日くらい何も食べなくても問題はなかろうが。
「イゾ―の旦那。これって、俺たち」
「おん」
以蔵は頷く。
「こいたぁ、迷子っちうやつじゃな」
ぐううぅぅう、と。
以蔵とガープの腹が高らかに鳴り響いた。
もうそろそろ坂本さんに会える気配ですね。
頑張れ以蔵さん、負けるな以蔵さん。
今日はそのへんにあるキノコとか食べよう以蔵さん!




