20.
今度の用心棒は凄腕らしい、という噂が穀倉村エカーテに知れ渡るのに時間はかからなかった。その「凄腕」の後ろに、ただしトンデモナイ大酒飲みみたいだ……という注釈がつくのも早かった。
「わしぁ仕事中は酒は飲まんぜ」
陶器でできた水筒(酒入り)をちゃぽちゃぽと言わせながら以蔵は歩く。
その後ろからついてくる大男は、獣人族のガープであった。
「旦那、あっちの方っすよ」
「ほぉん、まっこと鼻が効くんじゃの」
「まあ、それが俺たちの習性っすからね〜」
ぽてぽて歩く二人は、森の奥へ奥へと入っていく。
「あの大きい猪の巣を探すらぁて言うても、猪に巣があるなんぞ聞いたこともないぜよ」
「魔猪は、魔力溜まりになってる洞窟とか谷間とか、そういうところに巣を作るんだそうっすよ。本来なら、村を襲うような習性はないはずなんすけど……」
「畜生のことは分かりゃあせんが、とにかく巣をさがせばえいんじゃろ」
「そうっすね、出来ればヌシである個体を倒せば無力化もできるんすけど、さすがのイゾーの旦那もそれは難しいっす」
「ほーん」
ガープが拾う魔猪の匂いを頼りにぽてぽてと歩く。
沈黙。
それに飽きた以蔵は、かねてより聞いてみたかったことを口に出してみた。
「ガープの国のもんは、みんなそがぁに毛深いんかえ?」
身体が大きくて毛深いガープ。顔つきもなんだか犬っぽい。
南蛮人はすごいなあ、と思っていた以蔵であるが、さすがに彼の認識している「異人」ともなんだか違うような気がしていたのである。
阿蘭陀人でもないだろう、たぶん。
以蔵のそんな質問に、ガープは困ったように笑いながら答える。
「ああ、俺たち獣人には国なんてもんはないっす」
「国がない……脱藩しゆうがか?」
「ダッパン?」
「おん、わしの知り合いにもひとり居るがよ。昔から珍なお人じゃったけんど」
「あ、もしかしてアレっすか。前にも話してた……」
「そうそう。坂本さんちや。ああ、そういえば坂本さんも背中に毛ぇ生えちょったが!」
以蔵はケラケラと愉快そうに話す。
ひとしきり思い出話を聞いた後、ガープはぽつりと話をした。
「俺たち獣人族は、ずーっと昔に国を失ってるんすよ。で、種族はバラバラ。それぞれ放浪の民になったっす。俺の家族はずっと、北の森に住んでたエルフの家族のお手伝いとして、めっっちゃくちゃ良くしてもらってたんすよね」
「ほぉん、奉公人じゃったか」
「ただ、ほら。北の森のエルフっていえば、何年か前に反乱軍による焼き討ちにあって……俺の家族も、ご主人たちも、そこで殺されたか……ないしは奴隷として売られちまったんすよ」
突如として始まっただいぶヘビーな身の上話に、以蔵はたじろぐ。
人斬りの異名をとった以蔵とはいえ、太平の世に生まれた男である。本当の戦火というものは知らない。
「それで俺が探している人ってのが、俺の仕えてた家のお嬢さんなんすよ。エルフ族に珍しい黒髪で、とても可愛らしい人だったんすけど……」
ガープは当時の様子を思い出す。
『お嬢さんっ、頼みます。一緒に逃げましょう! 今なら……っ』
『ダメだよ、ガープ。あなたの足なら逃げ切れるでしょう。走りなさい!』
『……お嬢さんっ!』
振りほどかれた手の感触。
自分を逃がすために村へと戻った背中。
自分などよりうんと長く生きているその小さな背中に手を伸ばすことができなかった自分が恥ずかしかった。
「どこかで奴隷エルフとして売られているのを見た、っていう情報を掴んだんす。そんな悪趣味なことするのは、王都や一部の商人街の連中っすからね。どうにか探し出して、できるなら自由の身にしてあげたいんす!」
「ほぉん、そんなことがのう……」
「うっす。初めて人に話したっすよ。イゾーの旦那、聞いたことないっすか。そのご主人の名前は……」
「ガープ、騒ぐな」
「え?」
以蔵のすぐれた第六感が、危機を知らせていた。
何か、よくないものが。
近い。
「そういえば……急に臭いが濃くっ」
ガープが鼻をひくつかせる。
これは……、
「これは、ワイルドボアだ。ん、でもそれだけじゃないっす……!」
臭いの方へ、気配の方へ。
警戒しつつ近づいていく。
食材相手でなくても、かろうじて抜ける脇差に手をかけ。
忍び寄った風下の木陰から、見えたものは。
「あの猪どもじゃ。それに……なんじゃ、女ぁ?」
ぞろぞろと生気なく動く魔猪たち。
その中心にいたのは、妖艶な美女だった。
すらりと伸びた手足。
きゅ、としまった肢体。
長く艶めく髪は赤色。芝居小屋のもんじゃろうか、と以蔵は思う。
それにしては、纏う空気があまりに剣呑だった。
女の腰に刺さっているのは、紛れもなく刀の類である。
「イゾーの旦那、あいつ怪しいっすよ。いったん村に……」
「……おいっ!!!」
「なっ!?」
引き返そうとするガープが止める間もなく、以蔵が叫んだ。
「わしは土佐の岡田以蔵じゃ。おまんは誰じゃ!」
強きもの。
それを前に逃げ帰るようなことは、以蔵にはできなかった。
本来であれば以蔵は「強さ」を求め一心不乱に稽古を積み上げることのできる男である。ストイックだ。
たとえば以蔵の師である武市半平太が、いつぞや彼を揶揄するように「お前も戦国の乱世に生まれおれば、」と評したのはそう言った彼の側面をよく知っているからだろう。
ゆっくりと、女が振り返る。
その額からは、一本のツノが突き出ていた。
文久土佐藩・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




