19.
村の広場。
佇む以蔵の周囲には、男たちが倒れていた。
「つ、つえぇ……」
唸る男が見上げると、太陽を背に逆光のなか黒い影となった以蔵が立っていた。
袴が地面を擦るほどに低く腰を落とした以蔵の構えは独特なクセがあるが、そのくせ一部のスキもない。手には村人から渡された木製の剣が握られていた。
「す、すげぇ早業だ……いつ撃たれたのかも分からなかった」
***
地面に転がる男たちは、決して弱いわけではない。穀倉村エカターの防衛を担う自衛団のメンツの中でも、若く腕っぷしの強いものが選ばれていた。
村を襲う魔猪ワイルドボアの討伐に名乗り出た旅人である以蔵の実力を見てやろうと、冗談半分本気半分で勝負を挑んだ者たちだ。
『腕試しとさせてもらうぜ』
はじめは、ひとりずつの試合のはずだった。
しかし、以蔵は平然と言ったのだ。
『まだるっこしいのう。まとめて掛かってきぃや』
と。
これには血気盛んな男たちは色めきだった。
いくら腕が立つと嘯こうが、まとめて殴りかからればひとたまりもないはずだ。それに、自分たちは自衛団。各々の生業を終えたのち、ある者は門の警護に、それがないものは訓練にいそしんでいる。練度、という意味では指揮官のない村の若者の寄せ集めにしては悪くないはずだ。
少しは、この怪しげな姿をした旅人の慢心を砕けるだろう。――そう思っていた。
『ほぉれ、さっさとしぃや。日が暮れてまうがよ』
木の剣をしっかりと構えることもなくのんびりと言う以蔵に、男たちの一人が、音もなく斬りかかった。
『……え?』
と、思う間もなく。
猛烈な一撃をくらった男は、地面に叩きつけられていた。遅れて、撃たれた背中に激痛が走る。
『うわあぁっ!』
痛みを認識する間もない一撃。
『な、何だ今のは……っ!』
以蔵が動いた、というのは分かった。
しかし、どのように、いつ動いたのか。それは、村の男たちの誰一人としてとらえることができなかったのだ。
驚きと、恐怖で。全員の動きが、居着いた。
その、瞬間である。
『チェェエエェイッ!』
凄まじい気合とともに、以蔵が動く。
即座に反応し、以蔵に反撃をしようと動くものもいたが――全てが遅い。
否、遅すぎた。
『うっがあ!?』
撃剣矯捷なること隼の如し。
若き日の剣術修行の折に、以蔵の剣をそう称したものがいた。
撃剣、というのは竹刀の撃ち合いだ。以蔵が入門した鏡心明智流は木刀による型稽古よりも竹刀での打ち合いを重んじる。
以蔵の実力はそのなかでも抜きんでていた。
撃剣矯捷なること隼の如し。
つまりはその剣はめっちゃ強く、めっちゃ速いという意味である。
『す、すげえ……!』
広場に集まった野次馬たちがざわつく。
真剣での勝負ではないものの、以蔵の太刀さばきは穀倉村で田畑を耕すことに人生の重きを置いてきた村人たちにとっては衝撃的なものだった。
『悪うはないが、遅すぎるぜよ』
だらり、と木刀の構えを解いた以蔵がつぶやく。以蔵にとっては、(いまは抜けない)愛刀を抜くにも値しない素人相手の立会いであったというわけだ。
その俊敏さ。
スピード野郎っぷりこそが、力 is パワーに次ぐ岡田以蔵の強さの秘訣、その2である。
本物だ。
本当に強いやつが現れたのだ。
猪害に悩む穀倉村エカターの住民たちは、希望に目を輝かせた。
***
「はあ、コメ?」
大立回りののち、以蔵とガープを囲んでささやかな歓迎会が催されていた。
その卓上には、この村の名産である具沢山の麦粥や甘いケーキが提供されていた……つまり、以蔵のもとめるコメはなかったのである。
「ほうじゃ! 村の奥の棚田にゃあ、えらい広い田んぼがありましたろう? ちっくとコメを分けて欲しいち思うちょる」
酒を飲み饒舌に交渉する以蔵に、村人たちは顔を見合わせる。
「作ってはいますが……パンにもならないので、作る分は全部王都に送ってしまっています」
「こじゃんと欲しいちうわけじゃあないきに! このとおり」
ぺこり、と手をついて頭を下げる以蔵に村人は困惑した。
食料生産の拠点として、食には困らない代わりに金銭がない自分たち。
金銭ではなく、なぜかコメが欲しいと頭を下げる妙な格好の旅人。
どうにも出来すぎな気がしなくもない。
「まぁまぁ、怪しむのも無理はないっすけどね、実は……」
状況を察したガープがぺらぺらと喋り、村人を丸め込んでいく。
身体が大きく毛皮まみれの獣人だが、やはり基本は弁の立つタイプである。以蔵が勝海舟みを感じたのも無理のないことだった。
ガープの話で納得をしかけた村人が、ううむと唸る。
「でも……そもそも、あのコメっていうのは味がしないからなあ」
「!? 何を言うちょるがじゃ、コメじゃぞ!?」
こんどは以蔵が困惑する。
出島近辺、まさかコメを食わないのか?
南蛮かぶれすぎない大丈夫?
以蔵が言葉を失っていると、外で誰かの叫び声がした。
す、と以蔵の酔いが醒める。何事だ。
「ワイルドボアが出たぞ!!」
と。
必死の叫びが村に響いた。




