再会
ミーーーンミンミンミンミーーー
早朝から蝉の鳴き声が至る所から聞こえてくる。季節は7月の夏、蝉はけたたましく鳴き声を発し、空を見上げれば巨大な入道雲がその威容を誇るかのように浮かんでいる。そんな季節の中、『蔵守 鈴』と『蔵守 隆』は現世で生きることになっておよそ1年が経過し、2人とも高校生となっていた。
「…ふぅ…いよいよね…緊張するわ…」
今日もまた普段通り高校に登校した鈴は、窓際に置かれた自分の机に座り、窓の外を眺めながら呟いた。呟かれた声色は少し緊張の色を含んでおり、呟いた本人である鈴自身の表情も少し緊張しているように見える。
(もし、前世の通りなら…今日、隆さんが転校してくる日のはずだから…やっと会えるのね)
どこか緊張した面持ちで外を眺めていたが、唐突に顔を曇らせて俯いた。
(…でも、今の隆さんは私のことを知らないはず…仕方のないこととはいえ、隆さんに他人行儀に接される…はぁ…想像するだけで憂鬱になるわ…ううん、贅沢言ったら罰が当たるわね。隆さんに会えるだけでも幸せなことだから…あぁっ!でも…)
答えのでない問答を脳内で繰り返す鈴は、机に座ったまま泣き顔になったり、笑顔になったり、顔を赤らめたりしていて、教室内で異様な雰囲気を放っていた。そんな百面相をしている鈴を、周囲のクラスメイト達は訝しげに見ていた。
「…なぁ、堀内さんどうしたんだ?」
「さぁ? どうしたんだろうな? 気になるなら聞いてこいよ」
「聞いてみたいけどさ…堀内さんって男子をスゴい避けるじゃん。だから話しかけずらいんだよな」
鈴を見ながら話し込んでいる男子二人組のすぐ側を女子生徒が通り過ぎた。通り過ぎた女子生徒はまっすぐ鈴に向かい、鈴の側に立つと背中を叩いた。
「おはよー! 鈴ちゃん!」
「わっ!? びっくりした…おはよう、沙羅ちゃん」
鈴の背中を叩き元気良く挨拶したのは、鈴のクラスメイトで友人の『小林 沙羅』である。切れ長の目に整った顔立ち、腰まで届きそうな程な長く艶やかな髪をツインテールに結い、学校内でも屈指の人気を誇る沙羅は、鈴と小学生の頃から付き合いがあり、特に親しい友人であった。
「どうしたの? 鈴ちゃん、様子が変だよ? …それに何か…いつも以上に身嗜みに気合い入ってない?」
「そっ、そんな事無いわよ!? …いつも通りよ」
鈴は沙羅から若干目線を逸らしつつ答えた。そんな鈴を沙羅はジト目で訝しげに見つめる。
「え~? ホントかなぁ?」
「ホントよ! 嘘じゃ…ないわ…たぶん」
もちろん嘘である。鈴は現世の出来事が前世の記憶通りに推移していることを鑑み、今日ほぼ確実に隆が転校してくると予想していた。前世の記憶が無いであろう隆に少しでも好印象を抱いてもらおうと、普段より3時間も早起きして身嗜みを入念に整えていたのだ。その甲斐もあってか、鈴の姿は何時も以上に魅力的で、何時も以上に人目を引いていた。
「ふーん? まぁ、いいけど…それより聞いた? 今日、転校生が来るんだって。男の子らしいよ?」
「そっ、そうなの!? どんな人が来るのかしらね? いい人だといいわね…」
「だよねー! それに、格好良かったらもっと良いよね!」
「ええ…そうね…」
沙羅の言葉に鈴が曖昧に頷いていると始業のチャイムが聞こえてきた。沙羅は鈴との会話を打ち切り、自分の座席である鈴の前の席に着席した。間を置かず教室の扉が開かれ、担任である女教師『楠木 春香』が入ってきた。
「おはよう! ホームルームを始めるわよー! 座りなさーい!」
担任の呼びかけに、まだチラホラと立ち上がっていた生徒たちが自分の席に着席していった。楠木先生は全ての生徒が着席したことを確認すると口を開いた。
「まず最初に、今日は大事なお知らせがあります。入ってらっしゃい!」
楠木先生が呼びかけると教室の扉が再び開き、1人の男子学生が入室してきた。
「…あぁ…隆さん…あなた…」
鈴は入室してきた男子学生を見ると、誰にもきこえないような小声で呟いた。その呟かれた声色は、とても深い恋慕の情が含まれていた。
時は1時間程遡る。隆は鈴が通っているであろう高校の正門に立ち、感慨深げに校舎を見上げていた。
「懐かしいな…色々な思い出がありすぎて感動もひとしおだ…」
見上げていた視線を降ろし、ゆっくりと前を見据えた。その視線には強い意志が宿っているように見える。
「もし、前世通りならこの学校に鈴がいるはずだ…いよいよだな」
両手で両頬を勢いよく叩いた。パァンと乾いた音が響き、たまたま近くを歩いていた登校中の生徒たちが何事かと振り返るが、隆はそんな彼らの視線を気にすることもなく歩き始めた。
「今度こそ…ずっと一緒だからな…鈴!」
教室の前には担任である楠木先生と隆の2人が立っていた。
「じゃあ、私が声をかけたら教室に入ってきてね?」
「はい! わかりました」
隆の返事を聞いて楠木先生は満足げに頷くと、教室の扉を開けて中に消えていった。1人残された隆の表情は、僅かにだが緊張している様子が見て取れた。
(いよいよ…鈴とご対面だ。恥ずかしいとこ見せないように、気をつけないとな)
「まず最初に、今日は大事なお知らせがあります。入ってらっしゃい!」
楠木先生に呼ばれ隆が静かに教室に入室する。入室した隆は迷う事無く、鈴が座っているはずの席に視線をむけた。すると、隆の瞳には、今までずっと恋い焦がれてやまなかった女性の姿が飛び込んできた。
「…鈴……」
窓際の席に座る黒髪長髪の女性。腰に届きそうな程の豊かな髪を窓から流れ込んで来るそよ風によってふわりと靡かせ、同学年の平均以上に育った母性の象徴を持ちながらそれを下品に見せない整ったスタイル、僅かにつり目がちで切れ長な瞳には強い意志が宿っているように見える。その姿は15歳ながら、すでに見る者に大人の女性の艶を感じさせるものだった。
(はぁ~やっぱりウチの嫁さんは美人だなぁ…いや、まだ現世でも嫁さんになってくれるかどうか確定ではないんだけど…)
隆は改めて鈴の美しさに内心で感嘆していると、鈴と視線が合った。教室に知らない男が入室してきたのだから視線を向けてくるのは当たり前なのだが、鈴の視線は他の生徒たちとは違うように見えた。
(鈴の視線が妙に熱っぽいような…目が潤んでるような…? もしかして、鈴も前世の記憶が…いや、まさか…そんな都合の良いことがあるわけがない)
自身の中に芽生えた都合の良い予想を慌てて否定する。心の中で様々な考えを巡らせているうちに楠木先生の側に到着した。
「紹介するわ。今日からクラスメイトになる『蔵守 隆』くんよ。蔵守くん、挨拶してもらえる?」
「はい! 『蔵守 隆』です。親の仕事の都合のため転校してきました。本日より、よろしくお願いします!」
隆の挨拶を見ていた沙羅は視線を前に向けたまま、椅子を後退させて鈴に話しかけた。
「ねぇ、鈴ちゃん。転校生だけど…見た目からして普通そうだね~? 残念だなぁ、もっと格好いい人なら良かったのにねぇ……………ねぇ、鈴ちゃん?」
鈴の返事が無いことを不思議に思った沙羅が、前に向けていた視線を外し、振り返った。そこには、隆に目線を向けたまま微動だにしない鈴の姿があった。普段なら白磁のような美しい頬は明らかに上気しており、宝石のような瞳は潤んでいた。
「えっ、えーと? 鈴ちゃん? …ねぇ、鈴ちゃんどうしたの? おーい!」
何度も呼びかけるも、鈴は前を見つめたまま全く反応しなかった。沙羅が反応しない鈴に苦心しているのをよそに、楠木先生は話を続けていた。
「元気な挨拶で大変結構! あなたの席は堀内さん…って言っても分からないか。あの窓の近くに座ってる髪の長い女子の隣にある机に座ってちょうだい」
「はい、わかりました!」
隆は元気良く返事をすると、楠木先生が指差した鈴の隣の席に向かって歩き出した。この時も鈴の視線はずっと隆に向いたままであり、隆が鈴に視線を向けると必ず目が合う状態であった。
(鈴よ…転校生が気になるのは分かるけど…さすがに見すぎじゃないか?何か恥ずかしいんだけど…)
指定された席に向かう隆が鈴の3歩手前に差し掛かった時、鈴が僅かに口を開いた。
「…隆…さん…」
恐らくは無意識だったのだろう、口から発せられた声はあまりに小さくか細いものだった。通常なら周りにいる者に聞こえるような声ではなかったが…不思議と隆の耳にはハッキリとクリアに聞こえた。
「えっ?…鈴…?」
あまりにも懐かしく、そして現世に生まれ変わってからずっと欲していた呼び声に、思わず隆は立ち止まり鈴を凝視した。隆に対して鈴も同じような状況であった。なぜなら、自分の事を知らないであろう隆から『鈴』と名前を呼ばれたからである。
「隆…さん? まさか、記憶が…!?」
「えっ!? 記憶って…まさか、鈴も!?」
「うそ…そんな…あっ…ああっ…ああああっ!!!」
鈴の瞳から突然、涙が溢れた。鈴は溢れる涙を拭う事もなく、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がると隆に飛びかかった。
「隆さん! 隆さーん!! 隆さぁーーん!!!」
「えっ!? ちょっ! ぐふぅーー!」
鈴は隆よりも背が低いとは言え、身長の近い同級生に不意打ち気味に胸元に体当たりされた隆は、堪える事が出来ず鈴共々倒れ込んだ。
「イテテテ…んんっ!?」
倒れ込んだ隆が目を開くと視界一杯に鈴の上気した顔が広がっていた。隆がその事を理解する前に鈴の唇によって口が塞がれた。
「んんっ…んっ…ぷはっ。あぁ、隆さん、隆さん、隆さん、隆さん、隆さん!」
「えっ!? ちょ、ちょっと鈴!?」
深い口付けをした鈴は唇を離すと、間髪を容れず隆の名を呪文のように唱えながら顔中にキスの雨を降らせた。もはや隆の声は耳に届いておらずキスに夢中であった。
「鈴! 鈴! ちょっ! ちょっと、落ち着いて! 鈴!!」
「隆さん、隆さ…はっ、はい! 鈴よ! あなたの鈴よ!」
隆は鈴の両肩を掴み必死に呼びかけることで、辛うじてキスの雨を止める事に成功した。
「あなたの…って、何を言ってるんだよ、もう…それより大丈夫?」
隆の『大丈夫?』の声は転倒したことに対しての問いかけであったが、正確には伝わらなかった。鈴は両手で隆の胸ぐらを掴むと心の奥底にあるものを全て吐き出すかのように叫んだ。
「大丈夫じゃないです! ずっと側にいてくれるって…ずっと幸せにしてくれるって言ってくれたのに…先に逝ってしまって…もちろん、隆さんとの生活は幸せでしたけど…でも、早々に置いて逝かれて、私がどれだけ悲しかったか…!」
「えっ…そっち? いや、うん…それはホントにゴメン…許してほしい…」
「…許してほしかったら…今度こそずっと…ずうっっっと一緒にいるって…側にいるって約束してください…じゃないと私…」
最後の方になるにつれて鈴の言葉は弱々しくなり、両手に込められた力が緩み、顔を俯かせてしまった。
「約束する…今度こそちゃんとずっと側にいて…必ず幸せにするよ」
隆は鈴に言い聞かせるように語りかけた。答えを聞いた鈴はゆっくりと顔を上げた。その顔には隆が思わずドキリとする程の美しい笑顔があった。
「…なら許します。隆さんがどれだけ泣いて嫌がっても離れませんからね? …愛しています、隆さん」
「俺も愛してるよ、鈴……とりあえず立とうか? …今、とてつもなく恥ずかしい状況だと思うんだ…」
「えっ? ……あっ!?」
すっかり隆に夢中で自分が教室にいることを忘れていた鈴は、自分が置かれている状況を思い出した。途端に顔を真っ赤にさせると、壊れた人形のような動きで首から上だけを動かし、ゆっくりと周りを見渡した。
「…………」
「…………」
「…………」
鈴の目に映ったのは、驚きのあまり目を見開き驚愕の表情で固まる沙羅をはじめとしたクラスメイト達と、口端をヒクつかせながら驚き呆れたような表情をした楠木先生の姿だった。
「……もう、気が済んだかしら? そろそろ座ってくれると助かるのだけども? あと、2人とも放課後に私のところに来るように! …いいわね?」
「…はい」
「…はい」
若干の怒気が含まれた楠木先生の言葉に、隆と鈴は少しばつが悪そうに返事をした。その頃になると驚き固まっていた生徒たちも正気に戻り始めた。教室の至る所から悲鳴や驚きの声が上がり、教室内は騒然となってしまった。この事態を収拾するために、さらに時間を要したため、ホームルームの開始は遅れに遅れ、楠木先生の機嫌はさらに斜めとなっていった。