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妻のプロローグ




「では奥様、我々はこれで失礼致します。また明日、よろしくお願い致します」


「こちらこそ、ありがとうございました。明日もよろしくお願いしますね」


夫である隆の遺体を自宅へ運んでくれた葬儀屋のスタッフを玄関先で丁寧に見送った鈴は、玄関の戸を閉めるとすぐに踵を返し、隆が安置されている仏間に戻る。そそくさと隆の遺体が納められた棺の蓋を取り外すと、鈴は棺の中を覗き込むようにしなだれかかった。


「ふぅ…疲れた。…やっと二人きりになれましたね、隆さん」


人が触れること拒むような冷たさを放つ隆の遺体。そんな隆の頬に鈴は躊躇する事もなくそっと手を添え、愛おしげに撫でる。


「たった2年間の短い結婚生活でしたけど…一生分の幸せをもらった気がします」


鈴は目に涙を貯め、やがては溢れて隆の顔を濡らした。


「昔、私が隆さんの側のから突然いなくなったからって…今度は隆さんがいなくなることないじゃないですか…あの時のことは本当に反省してるんですよ?」


『あの時』を思い出しながら、鈴は隆に語りかける。

思い浮かぶのは高校の卒業式前日のこと…






当時、鈴と隆は恋人同士であり卒業式前日も二人きりで遊んだり、デートしたりして過ごしていた。そして、日が暮れて辺りがすっかり暗くなったことで隆が鈴を家まで送り届けた。


「じゃあね、堀内さん。また、明日の朝迎えに行くから待っててね。」


「うん…あの、蔵守くん…あの、あのね、私…」


「んっ?どうしたの?」


「…えっと…その…」


(ちゃんと言わないと、今日の夜にはいなくなるって…もう蔵守くんとは会えなくなるって…)


鈴はこの日、両親とともに夜逃げをする予定になっていた。理由はよくある話で、鈴の父が鈴の母の反対を押し切り、安易に友人の連帯保証人になってしまったことが原因だった。案の定、鈴の母が危惧した通りに友人は事業に失敗して蒸発し、鈴の父は数億円という莫大な金額の借金を背負うことになったからだ。しがない一般サラリーマンであった鈴の父には到底支払える金額ではなかった。


(うぅ…言えない…絶対に蔵守くんを悲しませる…とてもじゃないけど言えない…!)


「うぅん…何でもない。また明日、待ってるね」


「うん、待ってて。それじゃあね」


隆は踵を返して歩き出す。鈴はこの別れが最愛の彼との別れになると思うと、その場で蹲りたくなる程に胸が痛んだ。思わず咄嗟に隆を呼び止める。


「やっ…やっぱり待って!蔵守くん!」


「えっ?んぐっ!?」


鈴は振り返った隆に抱きつき自分の唇を隆の唇に押し付けた。鈴は抱きついた時点では隆とのキスを最後の思い出にしようと考えていたのだが…ここで誤算が起きた。キスをしたことで隆への愛情や色々な想いが膨れ上がってしまい収拾がつかなくなってしまったのだ。


「んふっ…んっ…んっ…んあっ…」


鈴は自分の体と心が求めるまま、隆の口内に舌を侵入させた。すると隆も鈴の行為に応えるように舌を動かし、お互いの舌を絡ませながら唇を奪い合う。たっぷり5分程続けると、お互いに満足したのかどちらともなく唇を離した。二人の唇は透明な糸で繋がっており、どこか淫靡な雰囲気を漂わせ始めていた。


「ねぇ…蔵守くん。今日ね…お父さんとお母さん帰ってくるの遅くなるって言ってたから…だから…よかったら、家でお茶でも飲んでいきません…か…?」


「…うん。そうだね、そうさせてもらおうかな…」


どちらともなく指を絡ませて手を繋ぐ、いわゆる『恋人繋ぎ』である。指を絡ませたまま、二人は鈴の自宅の中へと消えていき……二人はその日、一線を越えた。事を終え、少し大人になった二人は十二分に愛を語らった後、隆が家路につくことで別れた。鈴は家路につく隆の後ろ姿を目に焼き付けるように見つめていた。


その日の夜遅く、鈴は隆に謝罪と別れを記した書き置きを残し両親と共に姿を消した。


翌朝、家主が居なくなった堀内家のリビングでは隆が泣き崩れていた。結局、隆と鈴はどちらも卒業式に出席することはなかった。






『あの日』を思い出し、隆の頬を撫でていた手の動きがさらに優しげなものになる。


「『あの日』、初めて抱かれた時のこと…今でもはっきり覚えているんですよ?隆さんと再開するまでの人生で一番幸せな思い出でしたから…」


初めて隆に抱かれた時のことを鈴は未だ鮮明に覚えている。なぜなら、『あの日』の思い出だけが、その後に過ごした地獄のような日々の中で唯一の心の拠り所であったからだ。『あの日』の思い出がなければ、早々に自ら命を絶っていたに違いなかった。


「あぁ…隆さん、ずっとずっとずっとお側にいますから…」


名残惜しげに隆を撫でていた手を引っ込める。徐に立ち上がると自分に言い聞かせるように呟いた。


「…さて、準備しないと…」


鈴は隆が安置された部屋から静かに退出すると、間を置かず部屋に戻ってきた。両手には、あらかじめ準備していたであろうポリタンクが握られていた。


「隆さん、ちょっと臭いますけど我慢してくださいね?」


ポリタンクのフタを外し、中身を隆に振りまいた。部屋中に油の不快な臭いが広がり、鈴は僅かに眉をしかめる。一つ目のポリタンクが空になると、引き続き二つ目のポリタンクのフタを外し今度は自分に振りまいた。用意した油を全て振りまくと鈴は隆の遺体に抱きついた。右手にはライターがしっかりと握り締められていた…


「隆さん、愛してます。…今、行きますね…?」


ライターを着火した瞬間、鈴と隆は真っ赤な炎に包まれた。






『…引き続きニュースです。昨夜遅く、○○町○丁目で火災が発生しました。火災は消防により消し止められましたが、火元となった民家が全焼し、焼け跡からは性別不明の二人の遺体が発見されました。警察と消防は、この遺体がこの民家の住民である「蔵守 隆」さんと、その妻の「蔵守 鈴」さんとみて確認を急いでいます』




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