ステップ7
「水中に広がる烏賊墨のような黒髪。鮮度の良いナスのように黒に近い紫の瞳。艶やかかつ滑らかなカスタードクリームのようなこの肌。こーんなに特徴的なボクを忘れて雨の中、放り出す気じゃないよね! よろず屋」
よろず屋の後ろで僕と円君はその口上を聞いていた。
ちなみに。
烏賊墨のような黒髪。
鮮やかな黄緑色のターバンでほぼ隠れている。ターバンに付いている止め金具には赤い宝石があしらわれていて目を引く。つまり見えない。
ここからでは距離がありナスのように黒に近い紫の瞳は、やっぱり見えない。
カスタードクリームのような肌はほとんどターバンと雨用のマントに覆われていて、どうやっても見えない気がする。
少し、変わった感性を持ったお客さんらしい。
それとも僕がわからないだけで普通なのかな?
「追い返さないけどね。いつきちゃん。ゆきちゃんと、まどかちゃん。今うちに来てる迷い客たちねー」
あれ?
いつきちゃんって、その響きって……。
「おー! どっちが地図職人ー? ボク、地図職人に会いたいんだよねー」
つまさき立ちでよろず屋ごしにこっちの様子を見ようとしているのがわかる。
「ほら、中に入って、さっさと雨具を脱ぐ。風邪引いちゃうぞー」
はしゃぐ人物をよろず屋が面倒臭そうに促す。
「はい。はーい。お風呂借りるねー。湯上りドリンクはコーヒーフロート希望ー」
「アイスはないから、フロートはムリ」
よろず屋といつきちゃん、二人の会話はポンポンと進む。
ばっさばっさとマントの水気を払いながらいつきちゃんは当たり前のように要求を突きつける。
「んじゃ、お風呂いってきまーす。地図職人君、後でお喋りしよーぜぃ」
見送ったよろず屋がポツリと漏らした言葉が聞こえた。
「厄日かよ。残念どもめ……」
のぞみちゃん達を送り出して間を開けず、降り出した雨とともにやってきたいつきちゃん。
よろず屋にとってはたぶん、僕も含めて残念な存在なんだろうなぁ。
面倒じゃなく残念って、表現されるのがちょっと不思議だった。
よろず屋の珍しい難しい表情。
厨房の指定席的な椅子に座り、手元のボウルに中身を練り混ぜている。
「機嫌、悪い?」
円君がコソッと僕に耳打ちしてくる。
僕は機嫌が悪いと思うので、小さく頷く。
「聞こえてるよー。まどかちゃん、ゆきちゃんもよくわからず同意しなーい」
よろず屋は笑顔で言いながら、椅子の背に体を預けるバランスの悪い体勢で手を振る。
一拍置いてため息。
「ココまでバタバタするとちょーっとイラつくんだよねー。実際、落ち着いてゆきちゃんの尋問するつもりだったのにさ。次から次へと……」
何があったんだろう?
のぞみちゃんは一緒にきていたし、円君は起きた時にはいたし、いつきちゃん? は突発とはいえ、よろず屋の許容範囲を超えてるとは思わないんだけどな。
「あーっ! もうイイや。うだうだするだけ無駄無駄。とりあえず、俺は今寝不足なんだ! 落ち着いたら早々にゆきちゃんの事情聴取、するからな」
言いつつ、片手で混ぜてたボウルを僕の手元に滑らせてくる。
僕は引き継いで練り始める。
練ってる謎物質からコーヒーっぽい香りがする。
「寝不足の原因は?」
円君がぽんっと尋ねる。
「ゆきちゃんが帰った時に尽力してくれた有志の中でゆきちゃんが帰った事を知った連中からの問い合わせ対応及び、地図職人組合からの組合規則一般編の説明会等だな」
ぇ?
なにそれ?
誰が僕のことを問い合わせたりしたんだろう?
うんざりしたよろず屋の口調。
「ゆきちゃんを気に入ったから還すのに知識や金銭を都合したのに、何故、こちら側に戻って来ているのか? とか、怪我をしてないなら会いに行っていいか? だの、雨季をなめた発言しやがってあいつら。入れ替わり立ち替わり問い合わせてきやがってまとめてから一括で連絡してきやがれ」
「うわぁ。大変そう」
一気に流されたたぶん、愚痴に円君が同意を示すように呟くとよろず屋は苦々しげに笑う。
「地図職人組合からの連絡事項も夜中を狙ってきやがったけどなー」
故に寝不足らしい。確実に連絡をとれる時間帯のつもりで夜だったのかな?
「あー。覚えないといけない規則か。多いの?」
師匠緩かったからなーと言いながら円君はよろず屋に視線を合わせる。重々しく頷くよろず屋。
「基本は単純だが、細かい枝葉が多い。ま、職人の命と技能を守る為に作られた規則らしいけどな」
業種ルールにはやっぱり意味があるんだろう。大変そうだなぁ。
「ま、一番の規則は特定の支持者を作ってそれに協力しないこと。だけどな」
ぇっと、どういうことだろう?
「はぁ? なんで? 資金援助とか考えたら、複数を相手にするより特定個人の方がいいんじゃないのか?」
円君が面倒そうに言う。
言外の「めんどう」という言葉さえ聞こえてきそうだ。
「特定個人、組織に肩入れした場合、そこがこけた時に協力していた職人も巻き込まれる。地図職人は一ヶ所に特定協力しないという規則を開示しているけど、当の地図職人が特定しか相手にしていなければただの言い訳で苦しくなるし、他の地図職人の立場も微妙になる。特定協力していなくても、目をつけられて夜逃げする羽目になる場合もあるしね」
意味深によろず屋は円君に流し目を送る。
あ。
そういえば、円君は夜逃げするっていう地図職人の人に弟子入りしたはずだった。
「あー、でもあの師匠はなぁ……」と円君が解説をしようとしたタイミングで厨房のドアがスライドした。
「いいお湯、ごちそうさまー」
大きなタオルを肩にかけたいつきちゃんがほがらかに入って来た。
「コーヒーフロートぷりーず。カフェのいい匂いがするぞー」
堂々と請求する。
この思い切りの良さと度胸は真似できないが憧れる。
「ゆきちゃん、それに冷却魔法かけて」
呆れつつ、よろず屋は陶器のカップを準備し始めている。
「まどかちゃんもゆきちゃんも飲むだろー」
僕と円君は頷く。
気になる飲み物だと思う。
よろず屋は文句を言いつつ、面倒見が良く優しいお人よしですごく居心地がイイ。
混ぜながら、ゆっくり氷結魔法を織り交ぜていく。
もったりと重いクリーム状になったのを確認したよろず屋がボウルを受け取る。
カップには白く湯気を立てる液体。
そこに大きなスプーンで大胆にコーヒーアロマの謎アイスを投下していく。
「それトルミエ?」
いつきちゃんがカップを見つめながら問う。
よろず屋は小さく唇をゆがめて笑う。
「違うよ。トルミエの方が美味しいとは思うけど、マツカっていう植物の実を一年程蒸留水に漬け込んだ飲み物だよ」
「よかったー慣れたけど、ボク、トルミエって苦手なんだよね」
「苦手? 好き嫌いかよ」
円君の言い方にムッとした表情をいつきちゃんは向ける。
ぼてっ
二人の会話を聞きながらよろず屋の作業を見ていたら何かが僕の頭上に降り落ちてきた。
由貴「人の入れ替わり多いと覚えられない……」
円「早い話が権力者に抱え込まれるなと」
樹「コーヒーフロートうまー」