ステップ3
薄暗く、足元から冷えが上がってきそうな廊下。
よろず屋は僕の歩きにくさを気に留めることもなく、ざくざくと引っ張って進む。
この建物はよろず屋の店舗であり、住居でもあるがゆえに広い。そして近隣の建物には到底存在しない設備もある。それが一般的にご近所にはないモノだと説明を受けた。
「ゆきちゃん。入るよ」
客間に入る一瞬前によろず屋は僕に声掛けをする。でも、僕の反応は見ていない気がする。
開かれた中からの光が眩しい。
瞬き数回で部屋の明るさには慣れる。柔らかな淡い色合いでまとめられた客間で待っていたのは二人の女性。
ゆったりした三人がけのソファーの両端に座っている。
一人は華やかな赤い髪が水色のワンピースの上にゆるくかかっているのが目を引く。こちらを見てくる眼差しはキツくてこわい。
もう一人は緑のワンピースで黒髪をポニーテールにした女の子。表情は堅くて緊張しているようだった。
「お待たせ。ミルドレッド。のぞみちゃん」
よろず屋が笑顔でそう言うと赤毛の女が不満げな表情になる。
「まったくだわ。この雨季の中、この街にとじこめられるのはごめんなんですからね」
険のある声に横でびくんとポニーテールの少女が怯える。
「街の外までは案内人頼んでやるよ。ミルは方向音痴だもんなー」
僕に座るように促がしながら、よろず屋はミルドレッド嬢を茶化す。
ミルドレッド嬢とは確か前回会ってるはずだった。ミルという呼び名に憶えがあった。
軽く押されて一人がけのソファーに沈む。よろず屋は引っ張ってきたスツールに腰掛けた。ミルドレッド嬢がきつい表情を強めた。
「失礼ね!」
そう言ってツンッと横を向く仕草はなんだかドキっとさせられる。
「すみません」
何だか悪いことをした気分にかられて反射的に謝ると睨まれた。
「つまり、明確に、ユーキあなたに非があるのね?」
理解を促すように区切って紡がれる言葉。
僕はその真っ直ぐな視線に耐えらなくて視線を落とす。ジリジリと罪悪感がせり上がってきて吐きたくなるほどに気分が悪かった。
息を飲む気配と吐き出された溜息。そのため息にびくりと反応してしまう。
こわい。
気不味い空気を破ったのは、もう一人の少女だった。
「おにーちゃんは私を助けてくれたんだから、悪くないよ!!」
えっと、……誰?
ふるふると黒髪ポニーテールの少女(よろず屋にのぞみちゃんと呼ばれていた)は、ミルドレッド嬢を睨んでいる。ただし、本人が泣きそうだけど。
それに「お兄ちゃん」呼ばわりされたけど、僕に兄と姉はいても妹はいない。
よろず屋が僕を含む三人を見回す。
「妹さん?」
よろず屋は僕に向かって問いかけてくる。
この気不味い空気を気にしてないらしいよろず屋にはかなわないと思わさせる。
「……ゆきちゃん。聞いてるんだけど?」
再度よろず屋に呼びかけられて僕は慌てる。
「妹はいないです」
と言うか、この少女に覚えがない。
いくらなんでも実の兄弟の顔くらい覚えている。しばらく会っていなかった従兄弟とかはあやしいけど……。
「お兄ちゃんには公園でよく遊んでもらったの。また、会いたくって公園をランニングコースにしてて、声をかけようと焦ったら階段で足を滑らせちゃって、気がついたら知らない場所だし、お姉さんの言葉はわからないし、お兄ちゃんにまた会えてよかったよぉ」
少女は一気に言い募りそのまま泣き出した。
「何言ってるの? まぁ内容は想像つくんだけど」
ミルドレッドがよろず屋に小声で囁く。
少女とミルドレッドでは言葉が通じていないらしい。
よろず屋は軽く肩をすくめて僕に視線を向ける。
……え? まさか僕に宥めろと促してる?
よろず屋はニッと笑う。『やれ』という意味だ。
公園で一緒に遊んだことがある子は実は多い。
小学校中学年くらいまでで高学年になると塾や習い事で来なくなるし、僕も高校受験を境に遊びに行くことはなくなった。
つまり、それ以前の知り合いだ。
って、短くても五年以上前って覚えてないよ!!
「僕は笹原由貴。公園では特に名乗ってはいなかったけど、よく僕が僕だってわかったね?」
素朴な疑問だ。それとも僕は成長期のはずの五年間なんにも変わっていないんだろうか?
少女はぐずりながらも僕を見た。
「クラス集合写真に写ってたから兄貴に聞いたの。私は藤枝希。兄貴の藤枝哲はお兄ちゃんと高校三年間クラスメイトだったから時々、写真は見てたの」
藤枝哲。三年間クラスメイト。たぶん、同窓会にもいたはず。欠席ゼロとかはしゃいでたし。
うわぁ。
全然、記憶に無いよ!!
「私たちの間ではお兄ちゃん人気だったから、お話もちゃんと聞いてくれるし、面倒がらずに遊んでくれたし、それにいつだってすっごく心配してくれた……」
妙にうっとりした眼差しで見上げられる。
ごめん!! 覚えてないから!!
居心地が悪い。
「ミサちゃんもアサちゃんも公園にお兄ちゃんが来なくなって心配してたの。勉強がきっと忙しくなくなったら、また公園にきてくれるって、でもきっとその頃私たちが塾とかで公園にいけなくなっちゃた」
ぇっと、情報が多過ぎるよ。僕の処理能力を超えてる気がする。女の子ってどうしてこうお喋りなんだろう?
でも、ミサちゃん、アサちゃん、とくるとノンちゃんかなぁ?
僕の初めてもらったバレンタインチョコは彼女たちだった。
小学生の手作りチョコクッキー。
インパクトで記憶から消えないんだよな。
「ノンちゃん?」
少女はぱぁーっと表情を明るくして力一杯頷く。
「ハイ!」
とても嬉しそうな笑顔だった。女の子の笑顔は素敵だよね。
パン!
ほのぼのとしているといきなり音がした。
驚いた僕とのぞみちゃんは音のでどころを探す。
音の発生元はミルドレッドだった。
両の手を打ち合わせて注意を向けさせたらしい。
まぁ結構無視状態だったし、怒られても仕方ないの……かな?
「あの人、怖い」
のぞみちゃんが僕の袖を掴んでそう言う。
おおきい音を立てられたり、キツイ眼差しを向けられたりは怖いけれど、悪い人ではないはずだ。
見るとよろず屋は笑ってるし。
「ユーキ、通訳しておきなさい。明日ノゾミには一緒にきてもらうわ。私は彼女を迎えにきたんですからね」
えぇっと?
「互助会の関係?」
キリッとミルドレッドの視線がきつくなる。怖くて身が引ける。
「どうして寄生組織の使いっ走りを、司祭の私がしなくてはいけないのかしら?」
宗教家怖い。
僕がビビっているとよろず屋が宥めるようにミルドレッドの肩を叩いていた。
「ゆきちゃんのぞみちゃんに説明。ついでにまどかちゃんに紹介してあげてねー。コッチはミルとちょーっと打ち合わせがあるから」
ひらひらと手を振って出て行けと示すよろず屋に僕は頷き、のぞみちゃんの手を引いて部屋をでた。
「あの、ミルドレッドって人、ちょっとキツイけど悪い人じゃないから」
廊下を歩きながらのぞみちゃんに告げる。
多分、のぞみちゃんは僕ではなく彼女と行動を共にすることになるのだ。なら、できるだけ垣根が低い方がのぞみちゃんのためになる。
ここは、僕らが生まれた世界ではないのだから。
そうか、よろず屋はのぞみちゃんが僕の同郷人で、一緒に来たから話し合いの席に呼んだのか。
「うん。お風呂とか着替えとか言葉がわからないなりに教えてくれた」
どうしてまだ言葉に対する対応が取られていないのかはわからないけど不安。だろうなと思う。
「そっか」
階段室の扉を開けると、円君がいた。
「うわっ! びっくりした。って、女の子連れかよ。神官ねぇちゃんと行くんじゃなかったのか?」
最終はそうだろうと僕も思う。
「なんであの人と行くって思うのよ」
のぞみちゃんが決めつけられていることへ反抗するようにきつい口調で円君に問う。うん。つっかかっている。
「よろず屋がそう言ってたからだよ。ちなみに俺は七尾エン。このよろず屋の居候にして地図職人見習いだ」
得意げに名乗る。
「藤枝希よ。地図職人ってなによ?」
「ふっふーん。気になるかぁー? 説明してやるよ。ただし、行商人の相手の後でな」
そう言って階段室から出てくる。
確かに行商がきてるのならそっちが優先だ。
「僕も行くよ」
円君は頷きながら長めの筒を持ち直す。
何だろう?
あの筒。
この街では、雨季時の玄関は三階部分になる。
その部屋に入る時のぞみちゃんが首をかしげていた。
少し、考えをまとめたいなと思いつつ、二人の様子をうかがう。
二人は気が合うらしく、ポンポンと言葉が飛び交っている。
「地図職人っていうのは、地形が変化しやすいこの世界ならではの職業なんだ」
「この世界って何よ。ただのオタク外人の秘密基地かなんかじゃないの?」
「っはぁー? んなわけあるかよ。丁度いいから、外見てみろよ。もうじき行商人の船もくるしさ」
四段ほどの段差を円君は軽々と上って出入り口となる窓を開けていく。
カーテンがわりの布を片側でまとめ、薄いベニヤ板っぽいものを横にスライド、次に一センチくらいの厚みのある金属板を下に落とし込む。
最後に扉についている閂を外せば、外だ。
半円形の床がある。そこが船着場で荷物の受け渡しをする場所になる。
「なに……。ここ?」
のぞみちゃんが驚いた声をあげている。
だって、ここはよろず屋の家で、その家は水没都市タフトにあるものだ。
「なにって。水没都市だよ? これはこれでアジがあるけど、色彩がちょい残念だよなぁ」
周りの建物も四階建てから五階建てくらいで、外観はほぼ同色。しかも明るいカラーではなく暗い灰色か混じっても緑。
空が曇っているので陰鬱この上ない感じである。
ただ水は澄んでいてキレイだ。
水を含んだ空気は懐かしくも優しい。
帰ってきたとしみじみ思う。
半円形の床の上に下り立つ。少しの揺れ。
多分、水面と接触していないと経験上わかる。
ああ、「帰ってきたんだなぁ」しみじみと思って呟く。
何だか円くんと、のぞみちゃんに不思議そうに見つめられた。円君の眼差し、アレはそう、理解しにくいものを見るそんな眼差しだ。
鈴の音と波の音が聞こえてくる。
それは行商の船の合図。
「行商人の船がくるみたいだけど、クルゼさんの鈴じゃないなぁ」
なじみの人じゃないと思うとなんか、イヤだな。
のぞみ「おにいちゃん頼りになる!」
ミルドレッド・円・よろず屋「は?」