ステップ2
目を開ければ、暗い場所だった。
少しはなれた場所に光源があるのかうすぼんやりしている。
僕は彼の返事を聞く前に意識を落としたらしい。
横たわったままぼんやりと見えてきたのは以前、数カ月過ごした恩人宅の一部屋だった。
「あ、やっと起きたんだ? よろず屋に伝えてくるから戻ってくるまでに着替えておいてくれよ。いろいろ話し合うコトがあるらしいから」
聞き覚えはないが理解できる言葉でそうぽんぽん早い調子で告げられ、相手を見ようとした頃に扉の閉まる音が聞こえた。
目覚ましびーじーえむ?
僕の寝起き反応速度はハッキリ言って悪い。ん~寝起きだけかな? あれ? 通常仕様?
彼が言っていたよろず屋というのが前回僕を元の世界へと送り返してくれた相手だろうというコトはわかっている。
僕も彼のことをよろず屋と呼んでいたから。
誰だったんだろう?
もぞりと体を起こす。
部屋を確認しようとした時、声の主が戻ってきたようで薄く開かれた布の隙間から廊下の灯りが差し込んだ。
「おい。……なんで、まだ、身体を起こしただけなんだ?」
ぴりりと苛立ちを含んだ声に僕は慌てる。
急がないと迷惑をかける。
「えっと、今着替えるトコ」
「とろい」
「うん。ごめんね」
僕は謝りつつ、わかりやすい場所に置かれてあった着替えに袖を通す。前回、よろず屋が僕用にと準備してくれたものだ。懐かしい。
Tシャツのような作りの服の上に祭りで羽織るはっぴのような上着を重ねる。色はシンプルな濃紺。
「別に。俺には関係ないし。ただ、よろず屋がこの部屋にもうじき来るってさ」
どうでもいいとばかりの声に僕は怒らせていないんだとほっと安堵する。それからようやく、声の主をまともに見た。
年の頃は十代後半くらいだろうか。肌色は色白気味のアジア系。黒髪で細身。動きはなめらかで活動的に見える。服装はすっきりした無駄のないもの。
つまり僕とあまり変わらない。僕は運動得意じゃないけど。
薄暗めの部屋で見える限りそんな感じだった。
会話は続かない。どうしたらいいのかわからなくなってきて真っ白になりそうなところに、「ゆきちゃん、まどかちゃん、二人とも自己紹介終わったー?」と明るい口調とともに食事の乗ったトレイを片手によろず屋が入ってきた。
まどかちゃんって彼のことかな?
赤いジャケット濃紺のズボン。特徴的な濃淡のある青の髪。悪戯好きな輝きを持つ緑の瞳。楽しげな口調で僕をゆきちゃんと呼ぶどこか華やかな青年。それがよろず屋。
ユウキだと、何度か主張したけれど効果はなくて、諦めた。
そのかわらなさに少し気持ちが落ち着く。
「エンだって言ってるだろ。あー、ユキ? 俺は七尾円。ちょいっと前にこの世界に紛れ込んだ移住者だよ」
まどかちゃんと呼ばれた彼がそう主張するけど、やっぱりどこか諦めても聞こえる。
僕と同じように諦めてもいるんだろうなと思う。よろず屋はいつだってマイペースだから。
「ゆきちゃん」
よろず屋が促すように僕を呼ぶ。
いつの間にかトレイはサイドテーブルに置かれている。
「……自己紹介しようね。ゆきちゃん。まどかちゃんとはここにいる間、相部屋なんだから」
苦笑混じりのよろず屋、不機嫌そうなエンくん。
そう言われて僕は少し慌てた。
「笹原由貴です。二十歳。以前迷い人としてよろず屋さんにお世話になっていました」
必死に型通りの挨拶をする。
「そう、頑張って元の世界へと送り返して、むこうで頑張って生きていってくれてる予定だったんだよねー」
呆れを感じるよろず屋による解説。なんだか、すこし肩身が狭い。
前回もよろず屋に何から何までお世話になった。
言葉も衣食住もすべて。元の世界へ帰る手法さえ。僕は何も深く考えずに全てを任せていた。
そう、本当に自分が元の世界に帰りたいのかすら考えることはなくそれはもう流された。
「へぇ。年上だったんだ。しかも出戻り? それって確か互助会から一時金がおりないってことだろ? どーすんの? なんか稼げる手段持ってんのかよ」
心配してくれているのか、ずけずけとはいってくる言葉。
互助会。
異世界から迷い込んだモノに対する支援組織。
魔法使いの組織や宗教団体から援助を差し伸べられることもあるが、その対象から外れたものに対する支援組織。
勇者として活躍した異世界人や、永住を決め、財を成した異世界人が同様に迷い込んでしまったある意味同朋に対する助けに。と資金を出し合い運営しているらしい。
何度か説明され、教科書的な内容は記憶した情報。
ただ、僕は一度利用し、特に返金も出来ない状況で元の世界へ帰ってしまっているので利用はできないはずだと思う。
前回の恩恵である言語理解はそのまま使えるようだし、お世話になっていたよろず屋にまた転がり込めた。
これからどうなるかはわからないけれど。
「おーい。ゆきちゃん、戻っておいでー。客間でお話し合いがあるからさー」
互助会の事を考えているとよろず屋に促される。
話し合い?
「神殿からミルドレッドもきてるし、ゆきちゃんと一緒に来た女の子のこともあるしね」
え?
一緒にきた?
「うーん、こっちに来る寸前の事を覚えてる? ウチじゃなくてこの世界ね」
こっちに来る寸前……?
問われて記憶を漁る。
そう、この世界から戻って、ここで生活できたんだから頑張ろうってバイトの面接に行ったり、役に立ちそうな講習を探したり、親と対話を試みたり、同窓会に参加してみたりしてたんだ。
そう。
同窓会だ。
僕は結局うまく対処することができなかった。
だから、二次会には参加せず帰途についたんだ。
だって高校の同窓生の誰のことも名前が出てこないし、知らない人間しかいないのに相手は普通に僕のことを知っていてソレがスゴく怖かった。
ああ。わかってる。もちろん、おかしいのはわからない状況にいて、怖がっている僕だ。
だって、その場にいるのは元同級生。
しかも地元の人間が多いはずで。
小学校から同学年だったり、同級だったりした相手たちのはずだから……。
だから、逃げるように帰ることにしたし、あの時は本当に普通から逸れた自分のおかしさに泣きそうだった。
生まれた世界で自分が異端者であるように感じた。
この世界に帰りたかった。
生まれた世界でなくても生まれた世界よりまだ息が楽にできたから。
少しでも人に会いたくなくて公園を突っ切って帰るルートを選んだ。
すれ違うのはジョギングしてる人間くらいのはずで。
鬱蒼と生い茂る樹々の間を切込むようにのびた階段で、段を踏みはずしたランナーを支えたのはたまたまだった……。
階段を、踏みはずした、ランナー?
その後、どうなった?
「ゆきちゃん。自分の中に篭りすぎ。人を待たせているんだから、ほら。おいで。まどかちゃん、部屋の諸準備はあとでゆきちゃんと一緒に相談するコト。じゃあ、待たせると煩いから行くよ」
よろず屋が僕の腕を引きながら言葉を流す。
僕は無意識に頷きながら、ランナーのことを思い出そうとしていた。
円「大丈夫、なのか?」
よろず屋「相変わらずマイペースな!」