ステップ12
気がつくと見知らぬ街道にポツンと立っていた。
道は坂道で下の方にたくさんの家の屋根や教会のような鐘がついてそうな塔が見えた。
木々はまばらで薄くさびしい。足元の草もしおれぎみに地面に張り付いている。乾いた風が吹き抜けると砂利や砂埃がタフトとは違うなと思う。
見知らぬ町。
見知らぬ場所だった。
ぼうっと観察していると急に勢い良く腕を引かれ転びそうになる。
「はやくっ!」
切羽詰まった声で道の脇に引き寄せられ膝を付かせられる。したたかに打ち付けて膝が痛い。
地面は乾いていて、固かった。
白茶けた地面に転がる砂利石は割れたばかりのように鋭げだ。
なにが起こったのか、見回そうと視線を上げようとするときつい声とおさえこまれる感触。
「頭、下げなさい」
慌てて僕はその指示に従う。
町の方からガチャガチャずるずると賑やかな怪音を立てながら何かが上がって来る。
それは毛むくじゃらの四つ足の獣が引く荷車だった。
金属のこすれる音。荒い鼻息。漂う異臭。
地面を抉り軋みながら回る車輪。
重く響く靴音。
低い視界が捕らえるのは金属の長靴。獣の足。赤さびたどす黒い車輪。車輪が砕く小石が散らばり落ちる音。滴り落ちる赤黒い塊。
ぐちゅりと長靴がその塊を踏み潰して荷車の行進は続いていく。
喉の奥からせりあがってくる熱い感覚。
あれは肉だ。
耳を澄ませば、苦しげな呻き声がもれ聞こえてくる。
思わず、顔を少し上げる。
檻を積んだ荷車が数台、目の前の坂を登っていく。通り過ぎていく。
その檻の中には数人の赤黒い影。
荷車が揺れ進む時にぼとりと落ちる肉塊。
「ひぅ」
声が洩れた。
目の前に落ちた肉塊にはぼろぼろの爪が付いていた。
がしゃっ
荷車が動きを止めた。
腐臭と血生臭さを混ぜた汚濁臭。
吐きそうな衝動を必死に抑える。
目を開けると、そこに、白くきらめく穂先が突きつけられていた。
ころされる
そう思った。
この穂先はそのまま僕を貫くのだろう。
きっと、この行列に対して声を上げてはいけなかったのだ。恐怖と諦めが僕を支配する。
吐き気はどこかに消え去っていた。
その緊迫は思わぬ声で破られた。
「お待ちください。そのものは旅の者。この地の規律を知りはしなかったのだと思われます」
頭を下げるようにと言ってくれた声が再び耳を打つ。
救いの手が差し伸べられるだなんて思ってもいなかった。
「知らぬからと言って許されるものでもないぞ」
武器を持つ男がそう答える。
「はい。しかし、その処断を受け入れる心を持つ者であるのですから、どうか一度の御恩赦を」
白い穂先がひかれる。
「双方、刑場まで同行するがいい。罰となる対価をそこで払え」
「御恩赦、ご配慮に感謝いたします」
その救い手の言葉の後にまた荷車が動き出す。
最後の荷車が通り過ぎた時、ようやく声をかけられた。
「立ちなさい。刑場に向かうわ。喋ってもいいけど、できるだけ小声でね」
「あ、ありがとうござ、います」
僕はつっかかりつつも何とか、感謝を伝える。
救い主は灰色のローブの女のヒトだった。
「気にしないで、あなたが喚いたりしない子だったから助ける気になっただけよ。さぁ、遅れないようについていかなくちゃ。逃亡扱いは面倒の元だわ」
僕はあわてて立ち上がると彼女と共に荷車を追い始めた。
打ちつけた膝は痛いし、穂先の煌めきの恐怖感で足がもつれたりもしたけれど、幸いなことに荷車の速度はゆっくりで見失うようなことはなかった。
「逃げようとか、考えないのね。私はノイ。このアーベント領に住んでるわ」
逃る?
逃げられると思わないし、ノイさんが僕を助けたことで困ったことになるのはよくないと思う。
「僕は、ユウキ。えっと、タフトの水没都市から」
ノイさんはここが『レーゲン・アーベント』という名の領主が支配するアーベント領だと教えてくれた。
そして、荷車に積まれている人々は口減らしの罪人なのだと教えてくれる。
口減らし。
思わぬ言葉を聞いたと感じた。
「罪を犯し、秩序を乱したり、上位者の機嫌を損ねる者を養えるほど、アーベント領は豊かではないわ」
そう語るノイさんの表情は微妙に沈んでいた。
豊かでなければ、余裕がなければ生産できない者を生かす余裕のない街。
「だから、ご領主様は刑場を作られたわ。口減らしを行い、土地を安定させ得る魔力の持ち主を定期的に呼び込むために、ね」
自嘲気味なノイさんの言葉。
余裕がない世界で余裕を作り出すための仕組み。誰も切り捨てられない世界じゃなく、不要を切り捨てて余裕を生み出す。
それは罪悪感を生むような気がする。
誇ることのできない故郷への自嘲とかだろうか?
「最初はね、わからなかったわ。だから、ご領主様のご息女アドレット様がその身を捧げられたの。しばらくして対価は死肉ならどんなものでも構わないということがわかったの。ご領主様は嘆かれなかったというわ。でもね、きっとお辛かったと思うの。アドレット様は一人娘だったから」
僕を見て、ノイさんは笑う。
「どうしてこんなこと話すんだろうって思ってる?」
僕は頷く。
「それはね、貴方がよその土地の人だからかな?」
そう言ってノイさんはようやく見えてきた刑場の門をまっすぐに見つめた。
「さぁ、あれが口減らしの門。ヒトが死んでいくという光景に他国からの見物人を集めるアーベント領の収入源ね」
灰色の岩作りの壁にぽっと取り付けられた木戸。
木戸の横には普通に壁が続いている。
だけど重い車輪の轍は壁の下にもぐりこんでいるのだ。
そんな不思議な光景を見続けることもなく木戸の横で待っていた兵士によって建物の中へと通された。
刑場の建物内は薄暗く、入り組んでいた。
「ここは、観客用の門じゃなくて舞台裏だから」
ノイさんの言葉に僕はただ頷く。
ぐるぐると階段を下りる。
長く、長く続く下り階段。迷路のような同じ風景の通路。通路には木製のドアがはりついている。同じようなドアが同じような場所に同じように。
通路と階段が幾重にも繰り返される。
歩いているのに同じ場所を廻っている気分になる感じだった。
通路もまたそれとわかり難いように下っているのだとノイさんが教えてくれる。
ノイさんが声をかけてくれているから目を回さずに済んでいる気がする。
先導する兵士が不意に足を止め、
「はいれ」
通路途中に幾つかあったドアと同じようなドアをさす。
中に僕とノイさんを通すと扉は重々しい音を立てて閉まった。
一人ならかなり心細い思いをしただろうとなんとなく思う。
やはり通路と大差ない薄暗く、ベンチとテーブルがひとつあるだけの部屋だった。
外からの呻きがよく響く部屋だった。
気味の悪い声。引きずる物音。
「こっちよ。知りたいんならね」
ノイさんが手招く先には覗き窓。
近寄るべきじゃないと思うのにさし招かれたら近づかずにはいられなかった。
そこに広がる光景はヒトが死んでいく光景だった。
生きたまま切り刻まれるヒト。互いに殺し合いをするヒト。
吊るされて血抜きされてる肉。それを離れた場所から眺めているヒトがいる。
ヒトが肉に変わる。
笑ってヒトが肉に変わる光景を見ているヒトたちがいる。




