真実
博は、訪ねてきたのが横田と分かると、応対は恵に任せて急いで部屋へ駆け込んだ。だが着替えだけ済ますとすぐに戻ってきた。寝癖は直っていないままだ。横田は恵によって応接間に通され、美紀も一緒に座っている。
「おはようございます。どうされたんですか?こんな早くから」
そう話し掛けられた横田の視線は一瞬だけ、その少し上に向いたがすぐに博に向けられた。
「ちょいと調べが付いたことがあったんで報告に寄ったんですが。それより、娘さんが帰られてたんですね」
横田はなぜそんな重要なことを連絡してこなかったんだとばかりに博と恵を見た。
「ええ、ついさっき。ちょうど連絡しようとしてたとこなんです」
とっさに恵が誤魔化したが、横田の表情はその嘘を見抜いているようだった。
「どこに行っていたんですか?」
横田は少しだけ表情を崩すと美紀に話し掛けた。それと同時に博と恵も眼を見合わせた。二人とも少年の話は聞いていたが、美紀がどこに行っていたか、なぜ少年と一緒にいたかを聞いていなかった。少年の話があまりに衝撃的だったので、そんなことすら、聞くのを忘れていたのだ。
「どこって言われても」
美紀は言葉を濁した。だが、そこから先は三人とも聞きたい話だし、まして刑事の横田が見逃してくれるわけがない。
「正直に話してくれればいいのよ。ちゃんとこうして帰って来たのだから、怒ったりしないわ」
恵が優しく声をかけると、美紀は小さく頷いた。
「わたしが病院から逃げ出したのは、あの少年に会うためだったの。でも、約束してた訳じゃないから、とにかく少年を探しにいこうと、あてもなく病院を抜け出したの」
美紀は、三人の表情を見比べながら、恐る恐る話を進めた。博も恵も優しく表情のままだが、横田だけは厳しい表情になっていた。
「ただ病院を出たのはいいけど、手持ちのお金もほとんどないし、怪我も痛くて動けないしで、どうしようか途方にくれていたら、あの少年が向こうから声をかけてきたの」
「それは本当なのか?」
横田より先に博が聞いた。
「本当よ。後から聞いたのだけど、あの少年は、うちから逃げたんだけど、怖くなって戻って来たらしいの。そしたら、救急車で運ばれて行くわたしを見て、病院の外でずっと待ってたって言うの」
それには横田も驚いたらしい。
「ずっとって、一晩中?」
「事実かどうかはわからないけど、あの少年はそう言ってたわ」
横田は少しだけ、何かを考えているようだったが、美紀に話を戻した。
「それで、その後は?」
「その後は二人でタクシーを拾って駅前のカフェで話をしてたの。ただ話と言っても、あの少年がとにかくお父さんのことを聞いてきて、ずっとその話だったわ」
「少年のことは何も聞いてないの?」
博も早く知りたかったことを恵が聞いた。
「聞けなかったの」
「うちの若いもんですかね」
横田のその言葉の意味が理解できたのは美紀だけだった。
「警察が来たの。それに気づいたあの少年がわたしに家に帰るように言うと、すぐにお店を出て行っちゃったの。だから、何も聞けてないの」
「それで、昨日の夜帰って来たと?」
恵は苦々しく頷いた。それを聞いた横田は、恵ではなく博に話し掛けた。
「黒田さん、今回は障害事件です。そして美紀さんは被害者で、犯人は逃亡している。事件としてはおおきなものではないかも知れませんが、すべてを正直に話してください」
博としては、美紀の帰宅時間を誤魔化したのは恵であり、自分は何も悪くないと思っているのだか「はい」と答えるしかできなかった。
「他に何かあの少年についてわかったことはあるのですか?」
気まずく思ったのか、逆に恵が横田に問い掛けた。
「ええ、最初にも言いましたが調べが付いたことがありまして、その報告のために寄らせて頂きました」
「何が分かったんですか?」
最初に反応したのは美紀だった。博と恵も何かを言いかけたが、同じ質問だったのか、何も言わずに横田を見ている。
「あの少年の身元です」
その言葉に三人は眼を見合わせた。正確には、三人だから一人は見合わせてはいないのだが、横田からはそう見えた。
「単刀直入に言います。」
横田はまじまじと博を見つめた。
「黒田博さん、あなたは子供の頃施設で過ごされましたね?あの少年も同じ施設で過ごしていたのです」
正直、博にはすぐに実感が沸かなかった。もう三〇年近くも昔の話である。自分の知ってる人間ももういるはずがない。だから、同じ施設で過ごしたと言われてもピンと来るはずがなかった。
「柴田宣子さんをご存知ですね?」
博は首を振った。
「では、滝川宣子さんは?」
博は、その名前を聞いたとき、その場に居る誰が見ても分かるほど、表情が渋く変わった。
「その滝川宣子さんの子供です」
横田がその言葉を伝えたとき、実は一番表情が変わったのは恵だった。が、その一瞬の表情を見逃さなかったのは、同じ気持ちが込み上げてきた美紀だけだった。
「その滝川宣子さんという方と、あなたは一体どういう関係なの?」
恵の声は明らかに震えていた。それはそうだ。昨夜から様々なことを考え、悩んだ末に信じた夫が、再び疑わざるを得ない状況になっているのだから当たり前だ。