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鳥になった少年の唄  作者: 吉富カエル
6/8

懐疑

 恵はすぐに美紀のもとへ駆け寄った。が、美紀はうずくまったまま動こうとしない。恵はどうしていいかわからず、丸くなってうずくまっている美紀の背中を擦ることしか出来なかった。その背からは美紀が微かに泣いているように感じられた。


「ごめんなさい」

美紀は、そばにいる恵にようやく聞こえる小さな声で呟いた。

「ちょっと待ってなさい。いまおとうさんも呼んでくるから」

恵が博を呼びにいこうと立ち上がろうとした時、先程とは違うはっきりした声で「ダメ!呼ばないで」と大きくはないが力強い声で呼び止められた。

 恵は驚きの表情を浮かべながら、中腰のまま美紀の手を握りしめた。ギュッと握った美紀のこぶしは小さく震えていた。

 恵はしばらく美紀のそばに寄り添い、美紀が落ち着くのを待った。やがて握っていた手から恵の気持ちが伝わったのか、美紀の震えも落ち着いていった。

「何があったの?」

恵は、いつもの優しい暖かい声で美紀に話し掛けた。美紀も少しづつ落ち着きを取り戻しており、ゆっくりと顔をあげた。その目はうっすらと赤く夕焼け色に染まっていた。


「部屋に行きたい」

美紀は恵の肩を借りて、つい昨日まで楽しく過ごしていた自分の部屋に戻って来た。高校生の女の子らしく、やさしい雰囲気が漂う暖かい部屋だ。

 恵は美紀を一旦ベッドに寝かし付けると白湯を取りに行った。既に夜も遅くコーヒーでは寝付きが悪くなることを気にしたのだろう、優しい心遣いが感じられた。


 美紀は、恵が戻ってきたのが分かるとベッドから身を起こした。まだ傷が塞がっているわけはなく、誰が見ても一人で起き上がるのは辛そうだった。それでも、美紀は一人で起き上がると、恵から白湯を受け取り一口で飲み干してしまった。

「もう一杯持ってこようか?」

恵は心配して声を掛けた。

「ありがとう。でも大丈夫」

美紀は、恵に御礼を言うと、空になったグラスに視線を落とした。


 二人とも話しかけるタイミングを図りかねていたが、先に口を開いたのは美紀だった。

「おかあさんは、おとうさんを信じてる?」

恵には、すぐには美紀の質問の意図が理解できなかった。あの少年のことだろうか?だが、美紀が少年といたことを私たちが知ってることは、美紀は知らないはずである。それに明らかに嘘を付いていたのは美紀なのだから、少年のことのはずがない。恵には、美紀の質問の意図が理解できないまま答えるしかなかった。

「もちろん信じてるわ。だって、長年連れ添ってきてお互いを理解してると思ってるし、それに」

そこで恵は一旦言葉を切った。少しだけ間が空き、続きの言葉が気になる美紀が恵を見つめたと同時に「それに、おかあさんにはおとうさんを信じることしかできないから」と顔を少し紅潮させながら続けた。

 美紀には、それが年甲斐もなく照れていることからくる紅潮であることが手に取るようにわかった。自分の母親が初めて可愛らしく感じられた瞬間でもあった。だが、そんな一瞬の気持ちはすぐに消え、恵の表情とは逆に、美紀の気持ちが沈んでいるのは明らかだった。


「じゃあ、もしおとうさんが、おかあさんにも言えない隠し事をしてたら?」

その質問を聞き、恵は美紀を見つめた。その表情からは、単なる好奇心からではなく、なにか思い詰めた鬼気迫るものを感じた。恵はお茶を濁したりせず、母親として、妻として、今の思いを美紀に伝えることにした。


「美紀、よく聞きなさい」

恵は、自分が真剣に美紀に向き合ってることを伝えるため、一瞬の間をとった。

「いまから言うことはあくまでもわたしの考え方だから、それが正しいとか、間違っているとかのことではないわ。だから、わたしの話を聞いたら、あなたはあなたの考えをきちんと持つのよ」

美紀は、声に出して返事はせず、ただコクンと頷いた。それを確認した恵は話を続けた。

「わたしにとっておとうさんが隠し事をしてるかはどうでもいいことなのよ。たしかに隠し事をされるのはいい気持ちになるものではないわ。ただそれがわたしのことを思って、隠しているのかもしれないし、もしかしたら、おとうさん自身が気付いていないことだって考えられるわ」

美紀は、黙って聞いているが、まだ理解しかねているようだ。恵は続けた。

「だから、わたしはね、おとうさんを信用すると決めたの。だって、どんなに頑張ったって、おとうさんのすべてを知ることはできないじゃない。じゃあ、自分ができることは、すべてを信用するしかないのよ」

言ってる意味は美紀にも理解はできる。だが、その気持ちがどこからくるものなのかがわからないでいた。

「あなたにもおとうさんを信じて、と言う気はないわ。だから、あなたが小さい頃から接してきたおとうさんを見て決めてくれればいい」

その言葉を聞いたとき、美紀は無性にやるせなくなった。理由は伝えてはいないが、今の美紀は、明らかに自分の父親である博を疑っている。そして、それは母親である恵にはまるまわかりなのだ。


 恵から「おとうさんを見て決めて」と言われたとき涙が出そうになった。まだ高校生の美紀に対して、優しく気遣う母親の気持ちと、父親である博の疑う余地のない思いが込み上げてきた。

 親子喧嘩は小さい頃からよくしてきた。喧嘩と言っても一人っ子からか、甘えん坊として育てられた美紀のわがままばかりだ。でも、その度に博はよく美紀の気持ちを考えてくれた。父親と娘である。当然伝わないこともたくさんある。だが思い返せば博は頑張ってくれた。一生懸命美紀の気持ちを理解しようと頑張ってくれていた。だがそんなことを振り返ったことなどなかった。それに気付いたとき無性にやるせなかった。


「いいのよ」

恵の言葉を聞いた瞬間堪えていたものがあふれでた。美紀の頬を伝う涙を恵が拭う。

「こんなこと、ふつう気づかないものよ。わたしだって高校生の頃は考えたこともなかったわ」

恵は美紀が何を思っているのかがまるで自分のことのように理解できた。


「おかあさん、今から言うことはまだおとうさんには内緒にしておいてくれる?」

恵は優しく頷いた。

「もう気付いてるかも知れないけど、わたし、おかあさんに嘘をついてるの」

もう一度恵は優しく頷く。

「あの日、わたしはおとうさんに刺された訳じゃないの。でも、どうしても本当のことが言えなくて」

美紀の頬には先程とは違う涙が流れた。だが、その涙を恵は拭おうとはせずに美紀に聞いた。

「あの少年ね?」

美紀は黙って頷いた。

「何があったのか話してくれる?」

美紀は、それにはすぐには返事をせず、恵を見つめた。恵は真っ直ぐに美紀の瞳を見つめ返している。

「あの少年はいったい誰なの?」

恵は優しく問い掛ける。

「わからないの。でも、おとうさんのことを自分の父親だって。それで恨んでるって」

恵にとっては考えてもいないことだった。先程まで博といろいろ話をしていたが、まさかそんなことは想像だにしていなかった。

 つい先程まで「おとうさんを信じてる」と美紀に話していた自分がどこか遠いところに行ってしまったような衝撃だった。

「それは本当の話なの?」

恵の声は震えていた。

「それがわからないの。わからないから確かめようと思って病院を抜け出したの」

恵はまだ確信がないことに少し安堵を覚えたが、落ち着きを取り戻すには、まだ時間が足りなかった。

 逆に美紀は一人で抱え込んでいたが、話をすることによって安心したのか、先程より少し落ち着いた感じだ。


「おとうさんに聞くの?」

美紀は聞いた。恵はそれには答えず、独り言のようなに呟いた。

「おとうさんと話をしてたとき、おとうさんはなぜか少年に対して、庇うような言い回しが多かったわ。もしかしたら」

恵の表情は思い詰めている。美紀の言葉がまるで、届いていないようだ。

「おかあさん、ちょっとおかあさん」

美紀は恵の肩を揺さぶりながら呼び掛けた。それによって、恵はようやく我に返った。

「ちょっとしっかりしてよ。まだわかんないだから。じゃないと、ついさっきまでわたしに話してくれたことの意味がなくなるじゃん」

美紀は恵を元気つけようと、少し明るく振る舞った。その気遣いに恵も気付いたのか少し冷静に戻った。

「そうね、そうよね。わたしがあなたに言ったんだから、わたしが守らないとね」

「そうだよ、おかあさん」

美紀の声はまるで冷やかしているようだった。

「わたしはおとうさんを信じるわ。だってわたしの旦那様なんだから」

恵は頑張ってまるで美紀と同じ高校生のような気持ちで声を張り上げたが、それがあまりにも滑稽だったため、二人とも思わず吹き出してしまった。その笑い声でが二人には何よりの力の源だった。


「さて、おとうさんには何て言って問い詰めようかしら」

恵の声はさっきまでと違って明るかった。

「とりあえず、どこの女との子よ!って脅かしちゃいなさいよ」

美紀も釣られて明るい。二人とも博を心底信じているからこそなのだろう。

「そうね、夫婦喧嘩なんて久しぶりだから、腕がなるわ。美紀には母親の強さを見せてあげなくっちゃね」

「期待してる」

美紀は言う同時に、気が抜けたのかファーっとおおきな欠伸をした。

「あらやだ、もうこんな時間なのね、おとうさんを問い詰めるのは明日の朝にして今日は寝るわね」

それには美紀も大きく頷いた。二人とも朝からの出来事で疲れきっていた。



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