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鳥になった少年の唄  作者: 吉富カエル
5/8

意味

 横田との電話を切ると恵はキッチンに向かい、しばらくするとコーヒーを両手に持って戻って来た。

「少し落ち着いて考えてみましょうよ」

恵は、博にも自分にも言い聞かせるように呟いた。


 博は恵の淹れたコーヒーを一口だけ口にすると、フーッと大きく深呼吸した。

「美紀はいったい何て言っていたんだ?」

博のその問いに美紀はすぐには答えず博を見つめ返した。

「ごめんなさい。わたしもすぐに言えばよかったんだけど気持ちの整理がついてなくて言えなかったの」

「気持ちの整理?」

「ええ、美紀からは、あなたが美紀を刺したと聞いたのよ。それにあなたが見たという少年も知らないというから、混乱しちゃって」

恵は俯きながらコーヒーカップを見つめている。恵のカップはまだ口がつけられておらず、淹れてきたときのままだ。

「とりあえず飲んで落ち着いたらどうだ」

博は既にカップの半分になった自分のコーヒーと見比べながら勧めた。だいぶ落ち着いてきた口振りからは、すべてを冷静に受け止めようとする思いが恵にも伝わってきた。


「美紀はあなたが帰って来たときにリンゴを剥いていたと言っていたわ」

「リンゴ?」

博にも違和感があるらしい。

「美紀がリンゴなんて剥いたことあったか?」

「いいえ、わたしも見たことがないわ。だから、言われたときにすぐに気がつけばよかったのだけど、まさか美紀が嘘をつくなんて思っていなかったから。きっと必死に考えた嘘なんだと思う」

「美紀はなんだってそんな嘘を?」

「それはわたしも聞きたいわ。美紀はあなたが帰って来たら急に怒り出して、リンゴを剥いていたナイフで刺されたようなこと言ったのよ」

博は自分が帰って来たときのことを思い出していた。

 あの時、美紀は気を失って倒れていた。そして、そのそばにあの日駅で見かけた少年がいた。その少年が美紀といるところが目撃されたと横田は言っている。


「あの少年はいったい誰なんだ?」

博は駅で見かけた少年のことを必死に思い出そうとしていたが、どうしてもはっきりと思い出すことが出来ない。だがあの少年であることは、なぜか確信していた。そしてどこか遠い記憶の面影があることも。

「あの少年をずっと前に駅で見かけたことがある」

博は初めてその事実を恵に話した。

「駅で?」

「ああ、だいぶ前のことだから、いつかははっきり覚えてはいないが見たことがある」

 博は、少年が空を見上げていたあのクリスマスの日、その眼には涙が流れていたように見えたことも恵に打ち明けた。

 恵は何か少年の手掛かりになることを期待して聞いていたが、それ以上のことがないとわかると肩を落とした。

「結局、少年のことは、なぜ美紀が一緒にいるかもわからないのね」

「すまない」

博は謝る必要はないのだが、性格なのだろう、肩を落とす恵を見ると思わず口にしていた。


「まさかとは思うけど、美紀の彼氏とかじゃないわよね」

博に肯定されるのが怖かったのだろう。恵はずっと考えてはいたが、口に出せないでいた。

「あの少年がか?」

博は、美紀に彼氏が出来てもおかしくない年頃だということを改めて考えてみた。

「いや、それはないだろう。根拠があるわけではないが、あの少年は違う気がする」

恵は博の言葉を聞いてホッと小さく溜め息をついた。だが、やはりそれ以外の理由も恵には見つけられないでいた。

「でも、彼氏だからあの子が嘘を付いてまで庇ったってことは考えられないかしら?」

「たしかに美紀が倒れている横で、あの少年は泣いていたし、可能性としてはあり得ると思う。だけど、なぜか違う気がする」

恵も博の言葉を信じたかった。でも、どうしても他に理由が見つけられないのだ。

「わたしには彼氏以外考えられないわ。家の中にいたのだって、きっと美紀が入れたのよ」

「根拠はないから、なんとも言えないが彼氏なら自分の部屋に入れるんじゃないのか?」

「そんなのわかんないわ。他に誰もいないから、誰かが帰ってくる時間になったら部屋に行くつもりだったのよ」

博には、強引なこじつけに感じられたが、少年を見ていない恵には、あの少年の雰囲気を正しく伝えられないでいた。


「まあ、そんな決め付けようとしないで。ほら、コーヒーでも飲んで落ち着いたらどうだ」

博は、恵が淹れてきたコーヒーを恵に勧めた。コーヒーからはまだ微かに湯気が立ちあがっている。恵は言われたようにコーヒーを口にした。


「あなたはどう思ってるの?」

「美紀と少年の関係か?」

恵は静かに頷く。

「わからない。正直、あの少年は悪い子には思えないんだ。決して泣いていたからとか、そういうわけではなく、ただ直感なんだか」

恵は怪訝そうな表情で博を見つめている。

「だから、もしあの少年が美紀の彼氏であったとしても、きっと何か事情があってあんなことになったんだと思う。だから、美紀もあの少年のとこに向かったんではないかと考えてるんだ」

恵には、博の直感などわかりようもない。だが、恵にも出せる答えがないため、今は博の話を聞くことしか出来ない。


 その後も二人でいろいろと考えてみたのだか結局結論はでないまま深夜になった。

「もういい加減想像だけで考えるのはやめにして、やすむことにしないか」

博は少し疲れた表情だった。

「そうね、これ以上考えても仕方なさそうね、美紀に会って話すしかないのだから」

恵はまだ釈然としない口振りだが、その表情からはさすがに疲れが見て取れた。

「あなたは明日はどうするの?」

「いまは美紀がどこにいるかわからない以上、探すのは任せて会社に行くことを考えてるよ」

「そう、こんなときでも会社に行くのね

その言い方が少し気にさわったのか博の口調は少し強かった。

「仕方ないだろう、美紀から連絡があるまでずっと休むというわけにもいかないんだから。それに美紀もいい年だ、自分で分別もつくだろう」

「その分別付くお年頃が、自分からどっかに行ってしまったというのに」

さすがに博もしつこく感じたのか、無言で恵を見つめ返した。恵はまだ納得が出来ない表情を浮かべていたが「とにかく明日は仕事に行くことにする」と博は言うと寝室へと消えてしまった。


 恵はしばらくは博が消えた部屋を見つめていたが博が戻ってこないため、崩れ落ちるように深々とソファに座ると両手で顔を押さえながら「なんでこんなことになってしまったのよ」とぶつける先のない怒り押さえ込むしかなかった。


 5分ぐらい経っただろうか、恵もさすがに寝室へと向かう準備をするため、部屋の電気を消したちょうどその時だった。コトッと玄関の方で小さな音が聞こえた。真夜中でなければ気づくことはなかったと思われる小さな音である。


 恵は息を潜めた。向こうも同じように息を潜めているのだろう、静寂のみが周りを支配している。実際には一分にも満たない時間が恵には数分にも感じられた。

 誰かがいるのはわかる。だがそれが誰であるかがわからない。可能性からは美紀であるとしか思えない。いや、あの少年かもしれない。万が一にも、泥棒なんてことはないだろう。

「美紀なの?」

恵は意を決して話しかけてみた。が、返事はない。

「美紀?」

恵はもう一度暗闇に向かって問い掛けた。が、やはり返事がない。

 誰もいないのだろうか。あまりの静寂に恵は疑心暗鬼になりかけたその時だった。

 ドタッ

 今度は誰の耳にも聞こえる大きな音だった。それは先程、恵がソファに崩れ落ちるように座り込んだのと同じような感じだった。

 恵は耐えきれずに、灯りを点けた。そこには倒れ込むように座る美紀の姿があった。まるで先程までの恵のように。




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