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小さな私の騎士

 扉が開いた音にプリシラは枕から少し顔を上げて、誰が来たのかを確かめた。


「……お嬢様」

「プリシラ様……」


 ソレルとグレイスが心配そうに名を呼ぶ。プリシラはベッドから身体を起こした。グレイスは片付けの途中だったのだろう。カートを持ってきていた。


「お父様は?」

「エビネラン様はまだ……お食事も出すな、と」

「……そう」


 グレイスが悲しげに言うのをプリシラは頷いて答えた。既に丸一日、何も食べていない。

 あの後、父はルシファーに事情を聞いて何度か謝罪をしたらしい。

 プリシラは後からその話を聞いた。なぜなら、そのままの勢いでベルフェゴールを連れて逃走したからだ。あの場にいたら、間違いなくプリシラはルシファーに謝罪をしなければならなくなっていた。素晴らしい判断だったと思っている。


「……お嬢様、大丈夫ですか? その、後悔してますか?」


 ソレルが腫れ物に触るように聞いてきた質問に大きく叫んだ。


「ええ、凄く後悔してるわ……っ!」


 プリシラは奥歯を噛み締め、拳を握ってベッドに振り下ろした。


「こんな罰を受けるくらいなら、やっぱり何が何でもあいつを殴っておくべきだったわ! 」


 部屋で謹慎のみだと考えていた。まさか、食事を抜かれるとは思っていなかったのだ。平手なんて生温かった。グーパンでこそ、この怒りを鎮められたのに。


「あっ、そういう……」

「何よ? ソレル」

「いえ、お嬢様らしいですよね」


 何か言いたげな彼を訝しげに見るも、にっこりとお得意のごまかし笑顔で何も言わない。追求の手を伸ばそうとしたところで、グレイスがティーカップを差し出してきた。

 てっきり、片づけ途中にこっそり会いに来たのかと思っていたのだが、違ったようだ。食事は禁止と言い渡されていただろう、と彼女を見る。


「……グレイス?」

「食べ物、駄目、です。でも、飲み物駄目、言われてない、です! 命令無視して、ない、です!」

「『命令は無視しておりません』って言うのが正解よ。……そういうことなら、頂くわ」


 屁理屈ではあるが、恐らく父はきちんと見越してそう命令している。この事がバレたからといって、彼らに何か罰が降されることはないだろう。

 ある程度落ち着いてから、プリシラはずっと気になっていた事を尋ねることにした。


「ベルフェゴールは、その、どう……?」


 不安に声が震えるも聞かずにはいられなかった。

 プリシラはベルフェゴールと話さないまま、謹慎期間に突入したのだ。

 なぜかというと、あの時逃げた足で母のところへ直行したからだ。

 肩で息をするプリシラ達に眼を丸くした母にプリシラは開口一番「お母様! 悪いのはあいつです!」と叫んだ。他にも色々と叫んだ気がするが途中から悔しさに涙が止まらなくなり、プリシラは父がルシファー達を見送り、部屋へ帰ってくるまで地団太を踏んで声をあげて泣いたのでよく覚えていない。


「ベルフェゴール様はお嬢様にお会いになりたがっていたそうですよ」

「エビネラン様が許さなかった、です……」

「『お許しにならなかった』よ、グレイス。頑張って言葉、覚えましょうね。私も貴女から外国語を覚えるから。……でも、そう。ベルが私に会いたいって言っていたの……私も会いたいわ」


 プリシラは溜息を吐いた。

 ベルフェゴールはとても悲しんでいるだろう。あの無神経男ルシファーのせいで、大切にしていた植物が枯れてしまったのだから。あれほど楽しみにしていたのに立ち直れるだろうか。


「ねぇ、ベルは落ち込みすぎたりしてないわよね。もう植物を育てるのが嫌になったりしてないわよね?」


 あんな魔法を見せられては、それこそ努力など意味がないと思ってしまうものではないだろうか。プリシラからすれば、あんな手抜き魔法植物が本来の力で育った植物と比べるなどチャンチャラ可笑しいが、幼い心にあの出来事がどう刻まれたかは別問題だ。


「分かりませんよ。私達はベルフェゴール様のお付きのものじゃないんで。ただ、あっちの従者とか侍女とかから何度もお嬢様と会わせてくれっていう話が来てますけどね。ベルフェゴール様に直接会わせてはもらえてないんで……使用人伝えで、そう聞いてるってだけですし」

「……それって嫌われたからよね」

「へ?」

「え?」


 間抜けな声をあげた二人を睨む。何を言われたのか分かっていないらしい二人に息を吐いてからプリシラは教えた。


「いい? 私はベルを傷つけたわ。いえ、まあ、実際に手を下したのはアイツよ? でも、部屋に来た時に帰さなかったのは私の落ち度だわ。それをベルの従者達が恨まない訳ないじゃない。きっと文句を言いたいんだわ。それにあの後、お母様のところで晒した醜態はベルが私に愛想を尽かすのに充分なものだったし……会ったとして、何を言われるのかしら。でも、ベルに謝りたいからその時間は欲しいわね」


 その答えが数日後に分かることになろうとはその場にいる誰も思っていなかった。



 *・*・*・*・*・*・*・*・*



 流石に二日続けて食事を抜く事はされなかったものの、未だ部屋から出る事は許されていなかった。

 グレイスに見繕って貰った本を読みながら、自主勉強をして日がな一日過ごしている。

 ダンス講習やマナー講習もまだまだあるのに一体あとどれほど部屋へ謹慎しなければならないのか分からない。せめて屋敷の本を全て読むよりも前に謹慎を解いてもらいたいものだ、と天井を見上げた。


「グレイス、私は今、物凄く誰かに八つ当たりしたい気分よ! あーあ、お父様が怒られてるのかしら。それは嫌だって伝えたわよね? もし責任を取れって言われてるなら私、ちゃんと取るつもりだって。そうでもなければ私、あんなことしないわ」


 父がアレに頭を下げる屈辱は耐えられない。プリシラは父親を尊敬しているし愛しているし、大好きだ。そんな人がアレに頭を下げるのは、プリシラには我慢出来ない屈辱だった。


「修道女? それとも絞首刑? 毒殺? 何にしろ、死ぬ前にあいつの顔を腫れあがるくらいに殴りたいわ……っ! 出来ればメリケンサックつけて、あの澄まし顔を抉りたいわ!」

「プリシラ様っ! 縁起でもないこと言わない! 下さい!」


 プリシラが死ぬと口にしたことに顔を真っ青にして怒るグレイスに「だって」とプリシラは唇を尖らせた。


「あれからもう一週間以上経ったのよ? もうそろそろ、何か処分について話があってもいいと思うのよね。私って仮にも皇太子に暴言を吐いたんだし。……あーあ、せっかく三ヶ月やってきたのに。私って堪え性がないのよね。きっとこの屋敷にいると皆、私のこと疎ましく思ってるわ。余計な事をやってくれたって」

「そんなこと、ないです! 私、プリシラ様、当然のこと、した思います!」

「嬉しいわ、グレイス。ソレルも同んなじようなこと言ってたわね」


 何だったか。

 ソレルは確か「遂にやったか、って感じです。5年も自分のことに関しては我慢してたんですし、ベルフェゴール様の為だって言うなら、正直どんな観点から見ても私はお嬢様の味方ですね〜」と言われたはずだ。つまり、アレを殴ること推奨派だと。

 そんな彼は今、プリシラと違って外にいる。それを思い、プリシラは眉をぐぐっと寄せた。


「……はぁ……ソレルはいいわよね。護衛も出来るようにって、沢山身体が動かせるなんて。本当に羨ましい……」

「プリシラ様……」


 少しだけ呆れたように笑われる。プリシラは本を閉じて立ち上がった。部屋で出来る運動でもやろう、と思ったのだ。グレイスは心得たとばかりにお茶の用意に入る。


「う~んっと……ん?」


 強張った身体を伸ばし、プリシラは斜めの状態でその身体を止めた。


「ねぇ、グレイス。なんだか外が……騒がしくないかしら」


 手を降ろしてよく耳を澄ませ、騒ぎがだんだんこちらに近づいてくるのを察した。しかも、その騒ぎが不穏な空気を孕んでいそうな騒ぎだ。

 カチャリとプリシラの後ろから音がし「プリシラ様、お下がりを」とグレイスが耳元で囁いた。さっきのは茶器を置いた音だったようだ。

 いつでも逃げられるように、と走る体勢を整え、警戒を強める。

 ルシファーは腐っても人気の皇太子だ。

 彼を侮辱したと広まれば激情し狂った令嬢達が何人か乗り込んで来ても可笑しくはない。

 だんだん足音が近づき、扉が開―――


「―――ねぇさまっ!!!」

「えっ!? ベルっ!? って、きゃあっ!?」

「ベルフェゴール様!?」


 全く想定していなかったベルフェゴールにグレイスと二人で硬直した。

 プリシラの身体に飛びついてきたベルフェゴールを支えきれず、プリシラはひっくり返る。

 10歳の娘には7歳の弟を心の準備なしで支えられるだけの力はなかった。


「ね、ねぇさま!ねぇさま……!」


 抱きつく力を強めるベルフェゴールを呆然と見つめる。グレイスに助けを求めて見上げると生暖かい眼で首を振られた。

 信頼する侍女は役に立たないようだと分かり、プリシラは一先ず、顔が見えない今がチャンスと謝る事にした。


「ベル、ごめんなさい。私が悪かったわ。私が、すぐにあの時部屋から出さなかったからあんなことに……それか、はっきりと殿下の申し出を断っておけば……」

「何言ってるの!?」

「きゃっ!」


 勢いよく顔をあげられ、頭突きをされるところだったのをプリシラはぶつかる寸前でかわす。


「なんでねぇさま謝るの!? 僕を嫌いになったからっ!? 僕がねぇさまを助けなかったからっ!? 謝るのは僕のほうでしょ?!」


 はぁ?とプリシラは自分の眉間に皺が寄ったと確信した。しっかりと顔が見えるようにベルフェゴールの肩に手を置いた。


「何言ってるのよ? 悪いのは私よ。ベルが殿下に何か出来るわけないわ。あれは見下すしか能のない男なのよ? どう反抗しようと反論しようと見下してくるに決まってるじゃない! そうじゃなくて、貴方を傷つけたこととか、私が醜態を晒したこととか、それを謝って……」

「―――だって僕、嬉しかったんだ!」

「……え?」

「そりゃ、僕は凄く悲しかったよ! 辛かったよ! 腹だって立ったよ! でも、ねぇさまにじゃないよ! ねぇさまは僕のために怒ってくれて、こうして、僕のせいだって言わないで罰まで受けてる! 僕は、僕は凄く嬉しくて、それですごく悔しかった! 情けなかった! ねぇさまを庇えなくって、ねぇさまに庇ってもらって、ねぇさまに辛い想いをさせてる無力な僕が凄く悔しくて情けなかったんだ!!!」

「まぁ……ベル……貴方ってば……」


 蒼い瞳から一筋、涙が零れ落ちるのを呆然とプリシラは見ていた。普通なら情けなさを感じる涙なのに、ベルフェゴールのそれは気高さに満ちていた。プリシラの知らない人のような、随分大人びた顔をして、ベルフェゴールは宣言した。


「僕はねぇさまを護る騎士になるよ! 僕、僕は、誰からもねぇさまを護れる騎士になる!」


 強い意志を感じる瞳で宣言されたプリシラは弟の成長に心が震えた。


 ――――なんて愛らしい弟なの! 可愛いだけじゃなくてかっこいいなんて詐欺よ! いいえ、最高よ! やっぱり私の弟は天使だったんだわ! 悪魔を司ってるなんて馬鹿な迷信だったんだわ! でも悪魔的なベルもかわかっこいいからそれはそれでアリ!


「ね、ねぇさまは……ねぇさまは嫌? 僕が騎士になるの、嫌?」


 さっきの決意した表情とは違って、プリシラの知る幼い弟ベルフェゴールの顔になって聞いてくる。

 プリシラは、大丈夫よ、と笑いかけようとして失敗した。


「ねぇさまっ?!」

「―――……ぅ、っ……! ひっく……っ」

「ねぇさま、泣くほど嫌だったの……!?」


 違うのよ、姉様は嬉しいの、と言いたいのに涙が止まらなくて咽喉が引きつって言えない。だから、首を振ってベルフェゴールを抱きしめた。抱きしめる手からこの幸福感が伝わるように、しっかりと。

 戸惑いながら抱きしめ返してくれる手にプリシラの眼からはまた涙が溢れる。


「ちが、うわ……っ、ベル……ッ! わ、たしは、うれしくて、ない、てるの……っ、よ」

「……ねぇさま、嬉しくて泣いてるの?」

「そう、そうよ……っ、ふふふ、小さな私の騎士ナイトさん……これからの成長に期待、してるわよ」

「う、うん!」


 涙で霞む眼を開けるとグレイスも鼻をすすっている。

 そんな状態でも彼女はプリシラが落ち着けるためのお茶の用意は忘れておらず、プリシラに渡すハンカチの用意も忘れていなかった。

 差し出されるハンカチで流れ落ちる涙を受け止めて、プリシラは身体を離してベルフェゴールを覗き込んだ。


「―――でも、あまり駆け足で大人にならないでちょうだい。お姉様、寂しくて消えちゃうわ」

「えっ!? ねぇさまが消えるのは困るよ!」


 と、慌てて縋りついて「どうしたら消えないの?」と真剣に心配して聞いてくれる可愛い弟に美味しいお菓子でも食べさせてあげようとプリシラは思いながら、幸せに浸って笑った。

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